江利川総会長に与えられた「霊的権限」を理解することこそ「天宙平和統一天一国勝利」の鍵! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

聖和は韓氏オモニと祝福家庭の不信による十字架だと掲げ、真のお父様を摂理の敗北者としているのです。真のお父様は勝利したが、韓氏オモニと祝福家庭が背信して失敗したんだと主張したとしても、十字架に架かったとしたならば、それは自らの妻と弟子と信徒を救いに導けなかった救世主として失敗者ではないですか。

 

真のお父様はカインアベル一体の勝利を公認した時点で、韓氏オモニの不信も祝福家庭の不信も、無かったことにできる条件を勝利していたのです。

 

お父様は完全勝利されて、私たちにはもう蕩減が無い霊的基盤が整えられているのです。蕩減が無くなったという事は、真のお父様も二代王様も語られています。にもかかわらず、真のお父様の完全勝利を信じることの出来ない私たちの意識が、もう無いはずの蕩減を造り出し、サタンの讒訴を受けているのです。

 

私自身は、母国日本の聖殿食口の皆様に、真のお父様の完全勝利が何であるのかを伝え、二代王様が教育されているみ言を解説することによって、二代王様と完全相対し、三代王権が立っている霊的基盤に、聖殿食口全員が立てるようにする為に、お父様の聖霊に導かれています。

 

だから次回より、真のお父様が完全勝利によって整えられた霊的基盤がどのようなものであり、その基盤で発揮される「霊的権限」とはどのような意義を持つものなのかを説明していきたいと思っています。

 

  *****

 

二代王様が江利川総会長に与えた肩書き

「肩書きは『総会長兼協会長』ですが、これは既存の組織を引き受けようとすることを意味するものではありません。お父様から離れた現存組織が崩壊していく一方で、残った信仰者をまとめて、お父様に戻る信仰運動を起していくことを意味します。その意味で、世界会長(二代王様)の代身として、日本の全ての天一国市民に対する霊的権限を持ちます。」

 

江利川会長に肩書きを与える際に、み言で表現した「霊的権限」とは何を指し、どんな意味を持つものなのでしょうか。

 

一般社会で「権限」という言葉は、次のような意味を持ちます。

 

デジタル大辞泉 「権限」の意味

1 国家や公共団体が、法令の規定に基づいて職権を行うことのできる範囲。

2 代理人や法人の機関が、法律または契約に基づいてなしうる権能の範囲。

3 個人がその立場でもつ権利・権力の範囲。「君にはその権限はない」「権限を越える」

 

どの項目も、範囲という言葉で締めくくられています。江利川総会長に与えられた「霊的権限」に対して、範囲があるとしたならば、その前の文節にある「お父様に戻る信仰運動を起していくこと」の為の権限を持っているという事になります。

 

また、「法令の規定に基づいて職権を行う」「法律または契約に基づいてなしうる」とそれぞれの項目にありますから、三代王権にあっては統一原理、八大教材教本、そして最も重要なのは、二代王様が摂理展開に応じて語られるみ言に基づいて「信仰運動」を展開していくことになるでしょう。

 

その上で、「霊的権限」霊的とは、何を意味しているのでしょうか。霊界の霊でもないし、霊人体の霊でもなく、神様の霊を意味している事に間違いありません。

 

なぜなら、被造世界の全ては、神様から発動されるエネルギー(万有原力)で創造されているからです。霊界の霊の意味も、霊人体の霊の意味も、天宙の中の一部であり、その全体を形成しているのは、夜の神様から発動されている、神霊と表現される霊的エネルギーだからです。

 

この被造世界である天宙は、神様から発動される神霊によるエネルギー(万有原力)と、息子娘である人間を導く、聖霊による心情エネルギーで形成され発展し活動しているからです。

 

路傍の石も、神様から送られてくる霊的エネルギーで形成され、そこに存在しているのです。そして、人間自身の肉体も、霊的エネルギーで形成され存在し、活動しているのです。さらには、私の心で展開する思考も心情も、神様から来る心情エネルギーで考えることが出来ていて、感動することが出来ているのです。

 

私たち被造世界の全ての個性真理体は、神様から送られてくる万有原力により存在出来ていて、万物と人間の違いを見る時に、万物は神霊によって存在することが可能になっており、人間の心は聖霊に導かれていることになるのです。

 

つまり、「霊的権限」の意味するところは、人間と天宙を存在させている、神霊と聖霊を意味するという事になるのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の聖霊とは、御霊とも表現されました。つまり、神霊と聖霊で造られている被造世界全体を霊的視点で見る時に、神とキリストと天宙は、三位一体の存在だということになるのです。

 

原理講論の創造原理には、次のように解説されています。

 

第一章創造原理第 三節創造目的(二)神の喜びのための善の対象

 既に説明したすべての事実を総合してみると、天国は神の本性相と本形状のとおりに、個性を完成した人間一人の容貌に似た世界であるということを、我々は知ることができる。人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。

 

ここに「人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達される」と記述されていますが、この中枢神経に比喩される役割をするものこそ、聖霊という事になるのです。

 

この三位一体の存在世界を創造しようとした神様の動機までさかのぼると、そこに真の愛が現れ、真の愛を中心として神様とキリストと天宙が一体となって実現展開する世界が、天一国となるのです。夜の神様の真の愛が働きとなって現れる聖霊を通して、一人一人の息子娘と神様が授受作用できる世界こそ天一国なのです。

 

つまり、「霊的権限」とは「真の愛による権限」となるのです。これをさらに深く検証して、私たち王王妃の「霊的権限」について考察していきます。

 

 

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