ヤマトの光さんの旧態依然の神観原理観に現れている日本民族人間権威主義の悲劇! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事後半より

 

「大勝利をくださっても皆さんは悔い改めなければならない。」

 

なぜなら、トランプ大統領の勝利は真のお父様と三代王権の勝利であって、私たち王王妃の勝利ではないからです。私たちの勝利は、地上においてはアメリカの民衆が立ち上がり、霊界においてはサタンシステムの攻撃として現れる中央政府・グローバリスト達の謀略を打ち砕いた時に、その時こそ私たち王王妃、聖殿食口の勝利となると私は思っています。でも、それでも悔い改めるのです。

 

真の悔い改めにより、私たちの生心にお父様の聖霊が臨在して下さるようになります。真のお父様の生心に臨在されるのは夜の神様ですが、私たちにはお父様の聖霊が臨在されます。

 

この感覚は、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相が理解できないと、体験できないと思います。心情的に体験することはあっても、心はそれを理解することができません。

 

このことが理解できなければ、二代王様が教育してくれた9年間は、無駄だったことになってしまいます。世界平和統一聖殿日本本部の問題は、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相の教育を必要ないと主張している事です。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相が理解できなければ、二代王様が語っておられる「お父様の勝利によって戦う」というみ言の意味が理解できなくなるのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストが分からなければ、真のお父様を信じていると主張しても、キリストを信じていないことになり、家庭連合と同様に「人間メシヤ」を信じているにすぎないという事になるのです。

 

家庭連合時代に、どんなに勝利して来たと言っても、最後に全てを奪われたのです。中央集権体制での中心性一体化は、サタンの思う壺に嵌まっていたのです。

 

三代王権のもとにある私たちは、天一国におけるキリストを中心とした、真の心情一体を目指さなければなりません。

 

  *****

 

ヤマトの光さんが、世界平和統一聖殿日本本部の公認講師である井田講師を批判し、クルト教の信奉者だと主張しています。クルト教とは、キリストであるお父様が、聖霊役事を通して、私に与えて下さった「真の父母様本体論」を、ともに学んでいる兄弟姉妹のことを、批判的に表現した名称です。

 

二代王様ご自身が、今年の歴史的決戦において、お父様がどのように働いて来るかは分からないと語られています。この歴史的決戦の為に、お父様もこれまで着々と闘う準備を整えて来たに違いありません。「真の父母様の本体論」の原形は、2018年11月、江利川大陸会長が執り成しをされた聖霊の役事の時に、一瞬にして私の無意識世界に吹き込まれてきた、圧縮された神様の心情世界が原形になっています。

 

私が備えてきた知識や理論から出てきたものではないのです。お父様は、霊界から一人一人に働きかけおられるので、「真の父母様の本体論」を、私以上に理解して語れる方も、複数おられるのです。その中の一人の方は、「真の父母様の本体論」の考察を深めた講義と共に、著作も出すことになるでしょう。

 

キリストを中心とした天一国文化は、お父様の聖霊によって、着々と築かれようとしているのです。

 

井田講師は2024年2月11日の首都圏礼拝において、原理本体論140ページに記されている「女性を先惟して男性をつくった」という内容を、さらに詳しく解説されました。原理本体論は二代王様が指摘されたように、「天使長の政府構造を理想としている懸念」が含まれている部分があります。問題があるのですが、「女性を先惟して男性をつくった」と解説されている部分は間違いがありません。

 

それに対してヤマトの光さんは、男性は主体だから、女性を先に構想することなどありえないと考えているのです。

 

ヤマトの光さんは、主体に権威を与え、絶対的だとする「統一思想」から抜け出ることができていません。原理本体論「統一思想」を土台にして解説を進めていますから、当然、「統一思想」にも、二代王様が評価された「天使長の政府構造を理想としている懸念」が多く見られます。むしろ、原理本体論よりも顕著に現れています。

 

ヤマトの光さんは印象操作のような記事ばかりが多く、彼の持っている神観や原理観を、記事として明確に表すことがありませんでした。それが、お父様からの啓示で「統一思想」のページまで指示されたと感動して、2月27日と29日の記事として公開しています。

 

まず、その2月29日の記事から引用しましょう。

 

  **引用開始**

 

ヤマトの心の日記

2024年2月29日 (349〉 24-147

(2)真のお父様のなされることは、時にかなって美しい。「主体格位」

 

(二)主体格位

「人間は成長すれば、主体の位置すなわち主体格位に立つようになるが、主体の例には次のようなものがある。

家庭において父母は子女に対して主体である。

学校では先生は生徒に対して主体である。 ~

会社においては上司は部下に対して主体である。

 

 統一思想から見た場合、主体は対象に対して神の代理の位置にある。したがって、主体は神に代わって、対象を主管しなければならないのである。

主体が対象に対して取るべき心の姿勢が主体意識であるが、主体意識として必要なものは、対象への関心と愛と権威である。

 

 第一に、主体は対象に対して関心を持たなければならない。~

関心を持たないということは、対象に責任を持たないことを意味する。そうすれば対象は主体に不信を抱き、主体に従わなくなるのである。 ~

 

 第二に、主体は対象を愛さなくてはならない。

 一般的には、他人に命令したり、他人を支配するということが、主体意識のように考えられているが、本当はそうではない。

主体であるということは、対象を愛するという事である。

 神が対象である人間を愛されるように、主体は対象を愛さなくてはならない。

対象意識とは、対象が主体に服従し、奉仕することであるが、対象意識が成立するためには、まず主体が対象を愛さなくてはならないのである。

 

 第三に、主体は権威をもたなくてはならない。

主体は対象を愛さなくてならないが、指導者が部下を率いるときに、やさしくばかりしたら権威が立たない。指導者に権威が無ければ、部下には緊張感がなくなってしまう。したがって、主体は権威をもちながら対象を愛することが必要である。

 

 これは、愛には春の様に暖かい愛もあるが、冬のように厳しい愛もあるということである。愛は時と場合によって、その表現が変わりうるのである。

 このように主体には権威が必要であるが、過度の権威意識をもってはいけない。権威が強すぎると部下は委縮して創造性を失いやすいからである。

 上司が部下をしかっても部下が感謝するようになるのが真の権威である。

神においてもそうである。神は愛の神であるあるが、権威の神でもあられるのである。」

 

   統一思想要綱 第三章 本性論 三 格位的存在 (二)主体格位

以上

私たちは始めに、神様の前に対象格位に立つことが必須であり、その土台の上で、主体格位を行使することになります。

私たちは、上下、前後、左右の中の相対関係の中にあって、誰も例外なく、ある時は対象格位(対象意識)に立ち、またある時は、主体格位(主体意識)に立って行動するようになるのですが・・・

私たちは今一度、このみ言に立ち返って振り返ってみる必要があるのではと強く思わされています。

 

  **引用終了**

 

一読して分かるように、二代王様のキリストを心の中心に立てる信仰姿勢や心情世界とは、真逆の思想になっています。二代王様は決して自分に権威をおきません。自分を崇めてはいけない。自分に感謝してはいけないと、全ての恵みはお父様によるものであると、三代王権のもとにある王王妃、聖殿食口たちを諭しています。

 

主体と対象が、互いが真の愛に自然屈服して一体となる時に、そこにお父様の権威が現れるのです。

 

二代王様も自身に権威を置いているのではなく、キリストである真のお父様と、勝利した三代王権に神様の権威を置いているのです。それでは二代王様は、何で主管するかと言えば、ただ真の愛です。そして、二代王様も、各氏族メシヤ王王妃に対して、管理はしないのです。二代王様と共に、心にキリストを立て、キリストを中心とすることによって、心情一体となるのです。

 

目で見ることも出来ず、耳で聞くことも出来ず、触れることも出来ない「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを中心とするのですから、生心で実感する本然の信仰を持たなければ、キリストの臨在を感じ取ることができないのです。

 

その絶対的主体のキリストでさえ、真の愛に絶対服従して生きようとする衝動により、心情世界が展開しているのです。

 

宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体

 何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃる神様を、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてはプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。絶対的神様も絶対的に服従してみたいというのです。愛には絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいというそのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合というものもありません。それは、根源がないために分散してしまいます。 

 神様から造られたすべてのものはペア・システムです。鉱物世界もペア・システムであり、級は低いのですが陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史始まって以来初めて発表するのです。神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。 

 

原理本体論に対しての二代王様の評価は、天使長の政府構造を理想的だと述べているのではないかという懸念がたくさん出てきました。」と明らかにされました。統一思想も同様なのです。アベルをメシヤの代身として、絶対服従する中央集権体制の組織を築き上げた幹部たちの思考回路が、そのまま表現解説されてしまったようなものです。

 

しかし、原理本体論も統一思想も、摂理的状況を表わした尊い著作として歴史に残るでしょう。八大教材教本の原理講論も、「キリスト論はひどくレベルの低い神学」と評価されましたが、摂理的真実として、そのまま永遠に残すべきものなのです。

 

このように検証してみれば、ヤマトの光さんの神観原理観に表れる旧態依然の思想は、日本民族の偶像崇拝から抜け出ることができない日本食口の問題点でもあるのです。

 

イエス・キリストが十字架に架かり、摂理が延長されてから、神様は日本民族を母国とするべく歴史的に教育をしてきてくださいました。だからこそサタンは、その日本民族の無意識世界に入り込み、偶像崇拝の道へと誘い込んで来たのです。

 

今こそ、見えないサタンの網から抜け出し、お父様と二代王様が願う霊的覚醒を、一人一人が迎えなければならないのです。

 

 

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