真のお父様とイエス様のキリストとしての真の愛と英知がマクロ世界を動かすのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

霊界システムの構造が理解できてこそ、「全世界の女は一人のエバだ。」のみ言の本当の解釈が出来るようになります。霊界システムを円滑に起動させる為の、もっとも重要なポイントになっていることだからです。成約時代を迎えて行われた1993年12月の、16万人日本女性修練会において、このみ言は語られました。世界人類の女性を代表して、日本女性に語られたのです。

 

夜の神様は本形状の絶対服従性の働きにより、包み込まれる感覚を得て、包み込んできた対象を包括したい衝動に駆られました。絶対主体の神様が対象世界を構想し、真の愛のもとに包括したいという衝動に駆られたのは、対象である本形状から包み込まれる感覚を得たことによって生じました。この包み込まれる感覚を、神様は母性として構想し、母性を結実させる女性を、個性真理体として創造しようとしたのです。夜の神様が全天宙を包容包括し、真の愛の世界を展開させるには、人類全女性との授受作用が原動力になっていくのです。

 

夜の神様と人類全女性との授受作用が、どのようにして可能になるのかは、次の記事で解説しましょう。

 

  *****

 

1976年9月20日ワシントン大会後ベルベディア真のお父様のみ言より

「先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。あんた達には見えないけれど。あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。」

 

霊界システムとは、人類始祖堕落以前は創造原理プログラムを天宙全体の創造のために稼働させ、人類始祖に四大心情圏を成就させるための霊界と地上界を繋いで展開させるシステムとして存在していました。夜の神様が発動する心情エネルギーに組み込まれている創造原理プログラムは、人間が責任分担を果たす限りにおいて、神様の計画通りに稼働し、天一国を実現するためのシステムとなっていたのです。

 

人類始祖誕生以前は、夜の神様からの一方的な愛の投入によって、霊界システムは稼働していました。人類始祖が誕生してからは、責任分担を守る人間との授受作用によって、人類始祖の四大心情圏の成就と家庭完成と共に、天宙全体が真の愛のもとに完成するようになっていました。

 

しかし、人類始祖堕落以降は、堕落したアダムに代わるメシヤを誕生させるために、蕩減復帰摂理を展開させるシステムへと変わったのです。それとともに、堕落した人類始祖と天使長ルーシェルの授受作用による、邪悪な情念によって稼働するサタンシステムが発動されるようになるのです。

 

霊界システムにおいて、夜の神様から万物に向けて発動している霊界と宇宙を存続させるための心情エネルギーは、変わらずに発動され展開してきました。人間の肉体を存続成長させるための心情エネルギーも、万物と同様ですが、心に四大心情圏を成就させるための心情エネルギーは、蕩減復帰のための信仰基台と実体基台を勝利した時にしか働けなくなります。

 

つまり、「メシヤの為の基台」ということになりますが、「サタンシステム」はこれを崩すために、堕落性を誘発させるために稼働展開するようになるのです。

 

蕩減復帰摂理とは、この霊界システムとサタンシステムが霊的に交差抗争する渦中で、神様とサタンとの条件闘争として戦われてきた結果として現れてくるのです。

 

当然、イエス様もこのシステム抗争を熟知されていました。洗礼ヨハネが不信して第1次摂理が失敗に終わり、第2次摂理に入ってもイエス様は、アベルに降りたイエス様と一体となるカインが容易に立てられないでいました。その渦中で、洗礼ヨハネの弟子たちがイエス様の弟子たちを批判した時に、自らを「花婿」と表現し、「花婿は奪い去られる」と語られたのです。

 

マタイによる福音書 第9章

9:14そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 9:15するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。

 

この「花婿」という表現には、真のお父様が語られた「正妻と妾」による蕩減復帰の意味合いと、同様と言える蕩減復帰の意味合いが込められているのです。

 

自らと心情一体となるカインが立たない渦中で、ペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」と、イエス様をキリストとして信じた信仰の一点を「岩」と決められ、その上に「教会をたてる。」と語るのです。

 

マタイによる福音書 第16章

16:13イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 16:14彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 16:15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。 16:20そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。

 

こうして、イエス様の十字架後の蕩減復帰の為の準備を、着々と進めた上で、十字架上のサタンとの決戦に、イエス様は向かわれていくのです。

 

イエス様はイスラエルから受け入れられなくなると、イエス様をキリストとして信じる信徒達を、キリストの花嫁である教会として立てました。イエス様を、キリストとして信じる信徒をして教会と呼び、教会をキリストの花嫁と呼んだイエス様の真の愛から出た表現は、霊界システムを稼働させる真の愛の原動力を作り出すようになるのです。

 

イエス様は真のお父様と同様に、「夜の神様、昼の神様」の関係性を把握し、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを中心とした霊界システムの稼働方法を熟知されていたことが分かります。

 

すべてのクリスチャンは、イエス様をキリストとして信じたその時から、キリストとの約婚状態に入ります。再臨主が降臨され、その時こそ婚礼が行われるのです。つまり、女性は新婦であり、再臨主の妻となり、男性は妻がキリストの妻となることを信仰によって選んだ立場です。

 

真のお父様のみ言としての表現では、正妻と妾の心情一体化ですが、霊的にのみ勝利されたイエス・キリストの相対圏としては、一人一人がキリストの新婦として、聖霊の臨在によって心情一体圏が作られるのです。

 

その心情一体圏こそ、二千年に渡って霊界システムを稼働展開させ、世界的なメシヤの為の基台を作り上げてきたのです。

 

それでは、イエス様がキリストとして立つことのできなかった要因を語られているみ言を紹介します。長くなりますが、この後に、六マリアによる蕩減復帰摂理を理解するうえで重要な内容となりますので読んでいただければと思います。大変だと思う方は、原理原本の引用も掲載しますので、赤文字下線部分だけでも読んでいただければ感謝です。

 

  **引用開始**

 

1970年10月18日777双聖酒式後のみ言 水澤里中央修練院

 

 イエス家庭における神の摂理

 皆さん、考えてみなさい。ヨセフは天使長の立場であり、マリヤはエバの立場でしょう?。結婚のために堕落したのを復帰するには、結婚をしないと復帰できないでしょう?。天使長は結婚しますか? (しません)。結婚という問題はエバしかありません。エバのだんなさんはどこにいますか。今まで、天使長しかいない世界に、再び神と関係を持って現れた男性がイエス様だったのです。


 マリヤはお母さんです。お母さんは、天使長から奪い取られたエバが元返しされた神側の女性だというのです。結局イエス様の母であり、イエス様の相対者の母の立場に立つべき女性だったのです。エバは結局、こう引っ張られていったために、堕落した世界の母が生まれてきました。エバは落ちていく子孫の元に立ったのです。


 しかし、落ちていったその女性の中から一人、このように元返してきたというのは、復帰されるその中心の基準になるというのです。このマリヤが復帰されるに従って、今まで結婚して家庭を持ったすべての女性たちの復帰の道が開かれるというのです。


 そうでなかったら、家庭は全部不和になり、救われる道は全くありません。このマリヤが神の方に帰ることによって、復帰された勝利の立場に立つから、世の中のすべての家庭内にいる、マリヤの立場に立つ女性たちが神の方に帰る道が生じてきたのです。それができなかったら、みんな殺してしまうか、裁いてしまわなければなりません。それは、エデンの園において血統を汚さなかった、堕落しない女性です。婚約をした条件を残し、サタンと結ぶような立場に立ったのです。


 それは、復帰の条件を満たすために、そのような立場に立たせたのであって、神の本意はそうではありません。神に引っ張られて元返してきた、その女性です。サタンに引っ張られたものを元返して、帰ってきた女性でしょう。サタンが引っ張っていくことのできない、本当のエバがいなければなりません。堕落しない女性から完全復帰がなされるのです。


 イエス様がだれを立てたかといえば、新婦です。その新婦は復帰の使命をします。失ったものを元返す、その女性がいなければなりません。それは結婚した女性です。結婚している人とか、婚約した立場から引っ張ってこなければなりません。それから、そういう条件と全然関係ない女性がいなければなりません。そのようにして復帰されてきた立場の女性がマリヤです。それは母の立場です。自分の相対者の立場に立つまでは結婚しない、処女がいなければなりません。その年齢は十代であって、二十歳を超えてはならないのです。堕落はその年代にしたからです。


 だから先生が四十歳で、十七歳のお母様を迎えたのです。その女性は、統一教会の熱心な人であってはいけません。原理も知らない、信じて出発する。そのような女性を選び出さなければなりません。そういう方面において、お母様は天来の素質を持っていました。生まれる時も、そういうような内的な因縁を持って生まれてきました。みんな原理的です。

 

 イエス様は出家しましたね。それはなぜかといえば、この外で子供を求めようとしたのです。外でヨセフの代わりの人はだれか、考えたことがありますか。イスカリオテのユダは何のために先生を売ったのかといえば、愛のためです。こうすれば理由がはっきりしてきます。(イエス様とともに)一番、だれよりも内緒話をし、共にしながら、こういうことをしようとしました。

 

 しかし、教えることはできません。教えて堕落しましたか、誘引して堕落させたのですか。その女性は、イエス様に、天の愛によって引っ張られてくるのです。そういうような闘いが、摂理の背後で闘われてきました。結局、イエス様が失敗したのはだれのためかといえば、ヨセフのゆえであり、イスカリオテのユダのゆえでした。

 

 それで、イエス様はガリラヤのカナの結婚式に行ってぶどう酒を作りました。そこで、お母さんが現れて、「ぶどう酒がなくなってしまいました」と言った時、イエス様は、「婦人よ、あなたは私と何のかかわりがありますか」と言ったでしょう?本当に怨讐になりました。「お母さん」と言わなかったのです。

 

 また、ある人がイエス様に、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」と言った時、「私の母とはだれのことか。私の兄弟とはだれのことか」と答えられ、さらに弟子たちの方に向かって、「……天にいます私の父のみこころを行う者はだれでも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」と言ったでしょう?それは、み旨を行けなかった証拠です。

 

 聖書は、一つを隠しておいてそれを教えるのに、いかに苦労したかということがすぐに分かってしまうのです。だから、先生によって、こういう歴史の背後の秘密が今紹介されているのです。何の話か、聞いて分かるだけではいけません。実行しなければなりません。そうすれば、皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。

 

 皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。

 

 そういうようなみ旨を分かっている者が、「おお、女の子、自分のためにやれ」とか、「いいや、私のために生まれた」と、そんなことが言えますか。愛のために堕落したのでしょう。生死の問題は愛を中心としています。摂理の勝負の問題は愛を中心としてです。その愛は家庭です。統一教会にも、そのような女性がいなければなりません。

 

 それは蘇生、長成、完成という三時代に接しています。そういう十字架の道を先生は戦ってきているのに、皆さんは全然知りません。その先生の家庭が中心の家庭であり、皆さんは、そのようなアベルの伝統をそっくりそのまま引き継がなければならないでしょう。だから、先生がそれをやっているのだから、皆さんの奥さんは自分たちのものではありません。先生も、そういうような覚悟でこの道を出発しているのです。

 

 聖進さんのお母さんに対しても、もしも怨讐が神のみ旨で奪い取ろうとする者がいれば、そこに土産物をつけていくらでも渡してあげます。ゲラルの王アビメレクも、アブラハムの妻サラを返す時には褒美までつけて返したでしょう?自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。

 

 日本にもそういう女がいるでしょう?そういうような男性が摂理において非常に貢献してきた。だから摂理は妾から始まります。本家の本妻からは復帰できません。神様から見た場合、エバは二番目でしょう?。堕落しないエバが本家であって、二番目(堕落したエバ)は妾でしょう?

 

 だから、世界的に有名な偉人とかいう人は、貧しい所から素晴らしい子供として生まれてきます。本妻をさておいて、愛情心に燃え上がって、妾とか、華僑の女とかつきあった、そういう所から素晴らしい男性が生まれてきます。マタイ伝の冒頭には、四人の淫行の女性がいたことが書かれています。タマルも、ラケルも、ラハブも、ルツも皆妾のような立場です。

 

 ヨセフもマリヤとの愛の問題で、イスカリオテのユダも愛によって失敗しました。その弟子も分からなかったのです。あなたたちもまずもって、イスカリオテのユダ以上の心情を持った男にならなければなりません。自分の愛する女を盗まれても、(その男を)祝福してあげるような度量と寛容心を持たないというと、天国人となることができません。

 

先生の話す話は、聖書によると皆こうなっています。皆追われても追われても、皆これを縫いつけるようなことをしているのだから、その縫いつけたところに水が漏れるようにしたら、サタンが侵入する。水が漏れないように百パーセント一致しているから、サタンが後退するのです。

 

 だから今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。それを教えなければ、あなたたちより何百倍、何千倍知恵深いサタンが持っていってしまうのです。そうなった場合には、神の復帰の道は完全に閉ざされてしまいます。子供のなすべきことをサタンがすぐに持っていって成した場合には、またそこに神の二重の苦しみが生じてくるのです。だから、それは暗示や比喩でもってなす。表示や合図でもって教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べば分かるのです。

 

  **引用終了**

 

「イエス様は出家しましたね。」とお父様は語られています。第1次摂理において洗礼ヨハネの不信もありますが、そもそもイエス様を産んだマリアと婚約していたヨセフとの、二人共どもの不信がありました。ヨセフは天使長の位置での蕩減復帰として、イエス様誕生の後に、マリアと夫婦関係を結んではいけなかったのです。

 

マリアはイエス様の結婚のために全身全霊を注がなければなりませんでしたが、天使長の位置にあるヨセフと夫婦関係を持ったことから、神様との関係が切れてしまい、イエス様とは関係のない立場となってしまいました。そこで、イエス様は摂理から離れたヨセフの家を出ることになるのです。

 

マリアの背信により、真の母となる女性を立てられない状況からの、蕩減復帰が為されるようになります。再び天使長に奪われたエバの位置を、神様のもとに取り戻し、エバの罪と天使長の罪を蕩減復帰する摂理が展開されるのです。その使命が、イスカリオテのユダとその妻に与えられたのです。

 

原理原本には、イスカリオテのユダについて、次のように記されています。

 

  **原理原本より引用開始**

 

第2章 第2節 イエスの三年公生涯路程はみ旨成就の基を取り戻すため

 イエスが愛する弟子の中にイスカリオテのユダがいた。イエスは、このユダを愛し、天のみ旨成就に協助できる一人の相対存在として立て、神の根本のみ旨を造成することを目標として工作されたのである。すなわち、そのときイエスは、ユダを一人の対象者としながら、堕落の根本自体である一人のエバ格となる存在を選び立てようとされたのである。それゆえ、ユダの夫人を一人のエバ存在として選び、み旨の本意を立てようとされたのである。

 

 そのときマグダラのマリヤは、イエスのみ旨に対する絶対従順者であると同時に、イスカリオテのユダにとって一人の愛人(妾)格の女性として存在していた。それでイエスは、ユダの夫人をエバ(正妻)格とし、サタンがエバをアダムから奪い取ったかたちでユダの夫人をユダから取り返して原理を満たし、み旨を成就しようとされた。そして、イスカリオテのユダには代わりにマグダラのマリヤを与えようとされたのである。このようにしてイエスは、一人のエバとしてユダの夫人を選んで摂理を始めた。

 

 そのような基本的問題が提起されると完全に発動し、パリサイ人と書記官(律法学者)たちを激しく怒らせてイエスと敵対するようにしたのである。しかし、ユダさえ全的に「信」と「順」と「侍」でイエスに仕えていたならば、み旨成就の基本を満たすことができるはずであった。

 

 ところが、イスカリオテのユダは、やはりイエスのみ旨に対して不満を抱いて行動し始めたため、自らの師を銀貨三十枚で売るという、歴史上にない根本問題がここから始まったのである。

 

  **引用終了**

 

ユダの妻が信仰を立てて、天使長の位置であるユダの相対から離れ、イエス様の相対とならなければなりませんでした。真の母としての妻となるわけではありません。そのエバの蕩減復帰の勝利のもとに、初めてイエス様の真の母となる女性が現れ、迎えることが出来るということです。

 

ユダの妻の信仰とともに、それ以上にユダが神様の業を信じぬくことが必要でした。その信仰の重要性を語られているみ言が、「777双聖酒式後のみ言」の中で語られているのです。

 

「そうすれば、皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。」

 

「皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。」

 

「自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。」

 

つまり、イエス様が花婿であり、イエス様を信じる信徒が集う教会が花嫁ということは、この真のお父様のみ言で語られている人類始祖堕落の蕩減復帰の、究極の極意が込められた譬えであったということです。

 

キリスト教の女性にとって、イエス様をキリストとして信じたその時から、イエス様との約婚状態に入ります。そうしてキリストの約束された妻として、再臨主を待ち望むのです。

 

その信仰以上に、自分の妻をキリストの妻として捧げようとする夫の信仰が重要だったのです。ですから、男性信徒もキリストの花嫁という譬えになるのです。

 

その天使長の位置にある夫たちを、絶対的信仰に導くのは、聖霊が臨んだ妻たちの信仰でした。キリスト教の女性信徒たちが、信仰と心情においてキリストと授受作用することにより、三位一体の神様から発動される心情エネルギーが、男性信徒を導く聖霊となって臨むのです。そしてまた、霊界システムを稼働展開させてサタンシステムに対抗し、「世界的メシヤの為の基台」を造成してきたのです。

 

 

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