加筆:韓氏オモニが堕落し反逆に至った最も奥深い要因! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

考えてみてください。

 

二代王様のもとにある王王妃・聖殿食口が「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを心に迎え、父と子と聖霊の三位一体のイエス・キリストを信じてきたクリスチャンであった王王妃とともに、本然のカインとして、本然のアベルである二代王様と心情一体となって行われた、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストによる真の本然世界・天一国の祝福式だったのです。

 

ここに、「キリストによる祝福」と、「人間メシヤの位置で行われてきた祝福」の違いという本質的問題に直面するのです。

 

このことが理解できて、1997年9月6日に亨進様と共に受けた栄進様の祝福と、栄進様の使命を受け継いだ国進様の祝福の摂理的意義が、初めて理解できるようになるのです。

 

そうして、私たちは亨進様とヨナ様、そして国進様とチエ様の祝福の意義と価値を、本当の意味で知ることになるのです。

 

  *****

 

二代王様は2021年3月23日キングスリポートにおいて、2012年1月29日に語られた「夜の神様、昼の神様」の解説の主題となる、​「キリスト」についての解説をさらに深めて語られました。キリストは100%神であると同時に100%人間であることを明確にされ、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストについての解説にまで触れたのです。

 

なぜ、亨進様は家庭連合の世界会長という立場で、基元節を迎える一年前となる2012年1月29日に、100%神様100%人間の「キリスト」について明確にしなければならなかったのでしょうか。それは、基元節において、真の父母様の第三次の聖婚式を、100%神様100%人間の「キリスト」の位置に立って成さねばならなかったからです。

 

そして、それまで「人間メシヤ」の位置からの祝福を受けた全ての祝福家庭が、「天一国基元節入籍祝福式」を受けることを通して、「キリスト」による祝福を受けるようになっていたのです。キリストによる祝福とは、蕩減が一切無くなった、直接主管圏における完成基準の祝福です。そのためには、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを迎える、アベルカイン一体の勝利基準を祝福家庭が果たしていなければなりませんでした。

 

それでは、祝福家庭のアベルカイン一体の勝利基準を立てる摂理は、どこで為されなければならなかったのでしょうか。

 

2012年1月29日に亨進様が「夜の神様、昼の神様」を解釈され、真のお父様が「100%神様100%人間」のキリストであることを公表されました。その三カ月後になる4月25日に、真のお父様は劉正玉会長に、次のように指示されていました。

 

「劉正玉!(はい!)本体論教育は劉正玉!(はい)本体論教育は劉正玉が責任をもったでしょう?(はい) - 中略 -今回の話の中で本になかったこと、あなたが言いたい事、先生が話さないようにとしたものまでも全てしてしまいなさいというのです。先生のみ言葉の中で教えなかったことはありません。すべて話しました。」

 

その後に行われた韓国食口と日本食口による原理本体論教育で、「夜の神様、昼の神様」の解釈を深め、真のお父様が「100%神様100%人間」のキリストであることを明確に示さなければなりませんでした。

 

すると原理本体論は、「キリスト」の本体の様相である「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を明らかにする、「真の父母様の本体論」となったはずなのでした。「聖父・聖子・聖霊の三位一体」は真の愛の発動源であり、その真の愛の結実体こそ、真の父母様であるからです。ですから、真の父母様の本体論は「キリストの本体論」でもあるのです。

 

これこそが「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で、真のお父様が語られ続けられた「真の父母様の本体論」なのです。

 

韓国の食口には2012年5月17日から6月15日まで、「基元節と祖国光復の為の新種族的メシア3600名・原理本体論30日・特別教育 」(韓国/水沢里)を行い、日本の食口には2012年7月1日から31日まで行われました。

 

この修練会において、1985年8月16日の一勝日のみ言で、真のお父様が証しされたような事象が現れなければならなかったのです。

 

  **1985年8月16日一勝日のみ言より**

 

 孝進と言えば、昔の孝進を誰も知っていますが、今の孝進は知らないのです。ここ二、三カ月にわたって起きたいきさつは知らないのです。CARPの責任者となって本を出したり、日本で活躍したことを知らないでしょう? しかし、この事実というのは、孝進の一生において革命的なことなのです。加えてこの事実は、世界史的デビューへの看板を掲げたことに等しいのです。

 

 ここで、良かったか悪かったかの評価を受けるのです。幸いにして、素晴らしい評価の言葉が韓国の代表から、韓国の家庭から、韓国の食口たちから伝わってきました。それに加えて、更に日本でも同じような評価をしてくれています。そればかりでなく、祝福を受けた二世たちの歓待と称讃を受けることによって、両親を含め、私の家庭の誰よりも勝(すぐ)れている立場の証を立てることができました。全員が一つになっても、それと取り替えることのできない代表者となって帰って来ることを期待していましたが、孝進は立派にその責任を果たしました。

 

 天の御旨の中で繰り広げられた今回の修練会に対して、神様が見つめる観点はどういうものだつたでしょうか。始め修練会の責任者として立てられた時、「原稿を準備しないで行って、祈祷しなさい。精誠ここめて祈祷するように」と言いました。弱き者であるから、羊のようなイエス様と同じ立場で、何も知らない孝進が今ダビデのようにゴリアテの前に出て、ありったけの力を出して神を信じて、石投げを持って立つのであるから、それはどれほど苦しかったことでしょう。そのような心情の場に置かれたというのです。

 

 孝進が神にすがり父母にすがって摂理の第一線に立つというその心情を持ったならば、神は無条件に協助するようになっているのです。だから、この事が普通の事でなかったのです。先生のこの監獄生活の全過程で、四十年を越える前後を中心にして、このようなすべてのことが偶然の一致のような結果をもたらしたということは、内的な面で神が数理的な計画を進めてこられたその基盤の上で始められたということを、孝進が知らなくてはならないのです。そのお陰で、今回有終の美を飾って帰って来たというのです。

 

 私が一番うれしいと思うのは、韓国の皆さんが孝進の送別会をしてくれた後、飛行場には見送りに行かないことにしたにもかかわらず、二世たちが全員出て来て金浦飛行場に集まり、たいへんにぎやかな見送りをして周囲を驚かせたということです。指示はしなかったけれども、自ら進んで動いた、この事により、二世たちをして天の福を受けることのできる条件ができたことを皆さんに言っておきます。

 

  **引用終了**

 

ここで重要なのは、指示はしていないのに、二世が自らの意志で孝進様を見送りに行ったことです。自分の意志で判断し、自分の湧き上がる心情を抑えられずに取った行動は、孝進様と二世とが互いに自然屈服していることの証なのです。彼ら二世を、聖霊が突き動かしたのです。

 

ですから、「基元節と祖国光復の為の新種族的メシア3600名・原理本体論30日・特別教育 」において、講師だけの問題ではなく、原理本体論のみ言を受けるにおいて、聖霊を受けるものが出なかったことが問題なのです。聖霊を受けるものが出ないということは、アベルカイン一体の心情圏を体験できたものがいなかったということです。聖霊を受けた食口に発言できる機会が与えられ、自らの意志で受け入れ覚醒する食口が現れるならば、祝福家庭において真のアベル圏が形成されたはずでした。

 

家庭連合がサタンに奪われた最も深刻な問題は、韓氏オモニでもなく、顕進様でもなく、祝福家庭・統一食口にあったということです。私たちの過去における、人間メシヤへの偶像崇拝こそ、背信行為であり、サタンシステムが利用する情念となっていたということです。

 

統一食口であれば、祝福家庭であれば、真のお父様を人間メシヤとして信じ侍ってきたことが、偶像崇拝と言われたら、いたたまれない気持ちになるでしょう。真のお父様ご自身が、それを間違いだとは語られなかったのです。原理講論には間違いがあると語ってはいましたが、どこに間違いがあるのかを指摘されませんでした。

 

真のお父様は「メシヤの為の基台」が出来ない限り、自らを「キリスト」とは証し出来なかったのです。自ら再臨主として、またメシヤとして証しされましたが、三位一体のキリストとは証しすることは出来なかったのです。私たち祝福家庭がアベルカインを勝利して、聖霊を迎え、自ら悟らなければならないことだったのです。

 

しかし、人間メシヤとしてしか教育を受けられずに、人間メシヤとしてしか信じることができなかった私たちにも、夜の神様が条件として取れるものがあり、それゆえに亨進様が後継者としての道が開かれた条件的要素があります。それは、次回の記事で明確にしていきましょう。

 

今こそ、私たちは覚醒し、二代王様の語る「メタノイア」と「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを心に立てなければなりません。

 

ここからいよいよ、キリストによる祝福の意義に入りましょう。

 

 

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