三遊亭鳳笑 五代目円楽一門会 の ブログ -2ページ目

 目黒の庭園美術館へ 秋のお散歩。目黒 五反田は 19から 20代後半までの 10年くらい過ごした 場所。

 
 痛くて 恥ずかしくて 自意識過剰。
 バイトして 読書して 音楽して 心折れたり 若さゆえの 残酷さを 持って 挑んだり。出会って。 
 別れ を置いてきた 場所。
 
 ビートルズ『ラバーソール』に ジョンの書いた 『イン マイ ライフ』が入ってる。
 甘くて とても滲みる曲だ。 故郷のリヴァプールを 追想 する曲。
 
 昨日は 庭園美術館を 出て 白金から 目黒を下り 下目黒、目黒川に沿って 五反田へ。
 
 追憶の景色が モノクロームから 薄く色づき 蘇る。
 
 街角、通り、建物の一つ一つに エピソードが あったりする…。悲しみもハイな気持ちも 切なさも 美しさも 笑が弾けたコトも、すべてが強い郷愁を誘う、ノスタルジックに 胸を つく。
 
 誰しも そんな街 が あるんでしょうね?
『インマイライフ』 は ノスタルジックな 夢見心地。
 間奏の ピアノを倍速で 録った。チェンバロ風な 音に聴こえ リズミカルに 思い出を 早回し で 魅せてくれる。
 歌詞。恋人 友人 まだいる、もういない、変わらない場所、変わった場所、みんな 思い出に 変わってしまった…浮かぶ風景も 今は無き追憶としてふける でも 今のキミを愛してるって歌。
 
 私には 愛するキミは いるだろうか?…こんな 郷愁を含んだ街での 笑いも、実りも、娘に 贈りたいと 思うだろう。
 可愛らしさ という感情は なつかしさを 伴うと かわいそうって 感じられたりする。
可愛さの 根底に 憐憫が ひそむのだろうか? 
 現前の存在そのもの には かわいそうなことなど ないのだが? 時の、場のフィルターを 通す。戻れない 刹那の記憶は 感傷となって現前することがある。
 
 ノスタルジックを 綴り続けた 詩人、それは中原中也!
 「幾時代かがありまして 冬の疾風は吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処での一盛り…見えるともない ブランコだ…ゆやーん ゆよーん ゆやゆよん…落下傘奴のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん…」『サーカス』 より 抜粋。
 中也は フランスの詩 完成期?!ヴェルレーヌの感傷を、ボードレールの感覚を、最も良く知った 口語自由詩 の 鬼才であります。
 萩原朔太郎も そうなのですが ダンディズムと幻想 危うさと戯れる 美学の詩人 と言えます。
 中也の場合は 子供との惜別を 直に 触れたりしす。   
 直でなくとも イメージを紡ぐ。生と死 時と場を、なき風景さえも ブランコします。ゆやーん ゆよーんとね。
 ノスタルジーは、無くしたものへ向かう、たとえ 時空上に見つけられなくとも 再現される、サーカス芸。
 ノスタルジーは 芸術の 重要な一形式。
 
レノンの『在りし日の歌』。 追憶から現実へもどり、今 目の前いる キミを 誰よりも 愛する!と 歌う。
 ならば、私は? 幼な子に ノスタルジーな感覚を感受できる子に 育ってね!少しだけ豊かな気持ちになれるよ と伝えたい。
 
 胸をつく、今なき 否 どこにもなかったやもしれない ノスタルジー。
秋の陽  穏やかな カタルシスが流れる、目黒川を 歩きました。
 
 皆様も 秋の散歩へ どうぞ! 出会いも 別れも 快楽も 激情も 今は 穏やかに 追憶に昇華されてゆきます。 
   In my life I love you more!