今さら聞けない、本当の韓国③ | 子どもへ伝える大切なもの

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日韓関係のまとめです。

1回目は日韓併合の真実について歴史をおさらいしました。
今さら聞けない、本当の韓国①

2回目は日本統治下の朝鮮が実際どうであったか、
身分と教育についてまとめました。
今さら聞けない、本当の韓国②


今日はその続きです。
まだお読みでない方は、始めからお読み頂く事をおすすめ致します。


③土地改良・農業

当時の朝鮮をマッケンジーがこう書いています。
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私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしていながらも、
飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。

「どうしてそれらの土地を耕さないのか」と聞いたところ、
「耕せば、耕すほど税を取られるだけのことだ。」という返事があった。




○植林

焼畑農業が盛んだった朝鮮の山林は禿げ山でした。
当然、豪雨が続くとすぐ洪水を起こし、田畑や家屋に被害があり、農地は荒れていたのです。
そこで朝鮮総督府は1911年に「山林令」を発布し、
統治時代に約5億9千万本の植林を行い、
森や林を復活させたのです。


○土地調査事業

朝鮮は両班の暴力による土地収奪などで、土地の所有者が不明瞭でした。
ですから農民同士の土地をめぐる所有の争いも日常茶飯事だったのです。
土地調査事業の結果、耕地面積は約246万町歩から約425万町歩となり48%増加も増加したのです。


8年間にわたり日本の税金で調査が行われ、
近代的な土地台帳を朝鮮にもたらせました。
両班の時代は、土地の所有権があやふやでしたが、
地主の申告制で土地の所有権を国からしっかり確定してもらったのです。

また荒廃した土地には、所有権が判明しない土地も多く、
それらは国有地にされました。
それは耕作地面積の3.26%でした。

当時、小作人も含め農家戸数は約270万戸に対して
187万人に土地の所有が認められました。
また土地の所有権の無い小作人に対しては、
格安で国有地の払い下げが行われたのです。
しかし、せっかく与えられたこの土地の所有権も日本人に売却してしまう者も多くいたのは事実です。

その他
治水事業と農業の近代化
石高1千万石から2千万石に拡大



まとめ
「日帝による土地収奪」の真実

→両班に接収されていた土地を農民に返却し、所有権をしっかり国が担保した。耕地面積が48%拡大し、その内、国有地とされたのは全体の約3%に過ぎませんでした。


「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は農地の40%」の真実
(国定韓国高等学校歴史教書に記述)


→40%とは耕作面積(課税地面積)の増加比率であり、総督府が接収した土地の比率では無い。
朝鮮人が日本人に売却してしまった土地も入れても・・
日本人一般地主17万5000町歩、
東洋拓殖株式会社が25万5000町歩で
全耕地面積の6%弱に過ぎなかった。






④医療・人口・平均寿命
朝鮮ではカルト宗教の巫女などによる呪術的な医療行為が行われ、近代医療が進んでいませんでした。
なんと当時の朝鮮人の平均寿命は24歳でした。

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腸チフスを防ぐ牛の頭とにんにく


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マラリアを治すのに実父の姓名を足の裏に書いた



祈祷師による医療を禁止して、近代医療を取り入れ
疫病患者らの隔離病棟を作り、伝染病が減らし
西洋医学や衛生思想の普及に努めたのです。

平均寿命は24歳から56歳に伸び
人口も1313万人から2512万人に増えたのでした。



⑤インフラの整備

道路、橋、鉄道(4000キロ)の整備


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ソウル 南大門通り
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1936年 南大門通り




$子どもへ伝える大切なもの
ソウル 南大門






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統治前 ソウル
$子どもへ伝える大切なもの
統治時代 ソウル



電源開発

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世界最大級の水力発電所、水豊ダム
出力世界二位で、朝鮮及び満州の電力をまかなった






⑥その他、実績


あまりにも多いので箇条書きにします。

○港湾の整備
○衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
○人身売買の禁止
○少女を妓生とすることを禁止
○私有財産の保障(所有権制度の整備)
○近代的企業制度と商法の確立
○通貨制度の整備

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○度量衡の統一
○罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
○残虐刑を廃止


子どもへ伝える大切なもの


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○地方の行政長や議員の選挙による選出

○宦官の禁止
○纏足の禁止

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では、前回の質問に戻りましょう。

まず「植民地」と聞いて、皆さんどういうイメージをお持ちですか?
白人がアフリカや南米大陸を支配し、その地の人々を抑圧し、人権も無く、その地の人々を奴隷のように扱うイメージがありませんか。

大辞泉によると
「植民地」とは:ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従属する地域。

とあります。

さて、日本の統治下の朝鮮は下記の選択肢のどれに当てはまるのでしょうか。
①私たちのイメージ通りの植民地だった
②辞書通りの意味の植民地だった
③どちらでもなかった



答えはズバリ③番が近いと言えましょう。
日本の統治下だった朝鮮と台湾が
戦後いち早く先進国の仲間入りを果たせました。

それは何故でしょう?

一方、欧米が植民地にしていたアフリカはどうだったでしょうか。現在も後進国のままですよね。

それは何故でしょう?



欧米の植民地と朝鮮や台湾とを
同じ「植民地」という言葉で括るのは
アンフェアーではない事がよく分かります。







強制連行なんかされなくても、仕事もあり食糧もある日本に朝鮮人は夢を見たのです。
朝鮮人が大量に内地に移住してきたのは、当然の結果でした。(ほとんどが密航ですが・・・)

結果として日本内地は失業率が悪化し、治安が悪化する事になります。





日帝に米を収奪されなくとも、少しでも高く売れる内地に米を輸出したのです。
結果として、内地の米価が40%も暴落し、農村部では身売りが横行し、朝鮮からの米の流入を制限するほどでした。




当時、朝鮮は日本でした

朝鮮人はもちろん日本人だったのです

ですから日本政府は莫大な資金を注ぎ込んでまで

朝鮮の近代化を図ったのです







次回は、戦後の話に移ります・・・

追記:記事が一回消えたので、文章に抜けがありました。

当時の国のスローガンは「内鮮一体、一視同仁」でした。
つまり日本政府は、内地と同等の地域と考え、近代化の遅れていた朝鮮半島だからこそ、より一層、資金と人材と物資を投入しました。

それゆえ、朝鮮出身の優秀な人は軍人をはじめ沢山存在し、日本人より出世する人も沢山いました。

内地から来たというだけで、威張る人はいたでしょう。
朝鮮出身というだけで、差別をする人はいたでしょう。

ですが日本政府の朝鮮半島における政策や
朝鮮人の待遇を冷静に見つめることによって、それが一部の表面的な話にか過ぎないことが分かります。

歴史を変える事は、絶対にできないのです。

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