人生とは何だったのだろう??・・・

 

68年間、70に手の届くところまで、曲がりなりにも社会の中で生きてきた今、

「ああすればよかった・・・」

「こうすればよかった・・・」

「馬鹿なことをしてしまった・・・」

「諦めなければよかった・・・」

「もっとまじめに考えればよかった・・・」

・・・・

 

思い返すことは、後悔ばかりです・・・

 

 

若干15歳、高校1年の夏休み明けに、ナップサック一つ持って、母子家庭の貧しい家なのに、家のお金を1万5千円も、こっそり持ち出して、近くのやぶ林の中で、学生服を脱ぎ捨て私服に着替えると、山口県のド田舎の小さな駅から、汽車に飛び乗って、京都へ向かって家出してしまった。

写真はお借りしております。

 

途中泊った旅館では、15歳なのに、「20歳です」と、年齢をごまかしましたてへぺろ

 

 

2日後の朝、京都の駅に着くと、テレビで中卒可能と人材募集していた京都の養鶏場に行き、「ここで働かせて頂けないでしょうか?」と、履歴書を社長に見せたが、けんもほろろに、断られてしまった・・・

 

仕方なく、京都の駅に、トボトボ戻る途中で、通学する高校生たちにすれ違いました。

 

なぜか、みじめな気持ちになった・・・

 

京都駅で、「悩んでても仕方ない・・・」と、腹を決めると、腹が減ってきて、好物のオムライスを食べた爆  笑

 

オムライスを食べると、腹が膨れて、元気が出てきて、朝日新聞を買って、駅のベンチに座って、求人欄を見た。

しかし、なかなか、中卒で人材募集をしているところはなかった・・・

 

「帰るか?・・・」ショボーン

 

 

仕方なく、残ったお金で、京都から山口までの、汽車の切符を買った。

 

汽車を乗り継いで、その日の深夜、山口の駅に着いた。

 

しかし、どのつらさげて、家に帰ればいいのか・・・

 

途方に暮れて、駅前のベンチで、ナップサックを膝の上に抱えたまま、座っていると、不審なおっちゃんが、

「君、こんなところで何してるんだ?」

と聞かれたので、

「別に何も・・・」といって、去ろうとすると、突然、がしっ!っと、腕をつかまれ、

「ちょっと来なさい!」と、無理やり、警察署へ引っ張られていきました。

 

不審なおっちゃんは、「刑事」でした・・・チュー

 

1時間あまりして、母と兄と祖母がやってきました。

 

母は私の顔を見るなり、私に取りすがり、泣き崩れました・・・

 

3日ぶりの、母と子の再会でした・・・

 

 

その後、それまで仲の良かった友人の一人が、私を避けるようになりました。「家出をするような人間と付き合うな!」と、親から言われたんだろうな?と、何となく感じました。

 

私は折角合格した県立高校に戻ることを嫌がったので、我が家は、埼玉県に移住しました。

 

 

そして、私は埼玉県の金型工場で、機械工として働く様になりました。

最も汚いつらい仕事で、手は傷だらけになり、作業着はボロボロになり、汚れまくりましたが、中卒でしたから仕方ありませんでした。

 

それに自分から望んだ生き方でしたから・・・

 

仕事が終わると、5時からの県立の定時制高校に通い出しました・・・

 

クラスの中では、15歳の私が一番若く、みんな年上で、主婦のおばちゃんや、暴走族のあんちゃん、刑務所から出てきたような、こわおもてのおっちゃんなど、種種雑多、いろんな人と知り合いました。

 

みんな苦労しながら、頑張って学校に通っておりました。

 

みんなが同志の様な、連帯感もありました。

 

私は15歳で家出をして親不孝な生き方をしましたが、普通に学校行くだけでは学べないことを学べた気がします。。。