---
このブログを書かせていただいている目的は、自分のものの見方(正しさ)を手放すことです。
こどもを先生として見ることで、私たち親が見えていない視点が観えてきます。
そして、自分のものの見方を手放すと、世界は新しく見えてきます。
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日新たなり。」
を実践しながら、豊かな人生を一緒に分かち合えればと思っています。
---
みなさん
おはようございます😆
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😌
昨日も、日本一高い黒糖と言われる、三奈木砂糖を作られている農家さんのところにお手伝いに伺っていました。
脱水症状にならないようにと気をつけていましたが、
天気予報をくつがえす突然の豪雨☔️
脱水症状ではなく、ずぶ濡れになりました🤣
天気の前ではなすすべがないですね。
さて、昨日のブログで所有しているものや、いる場所に振り回されないこどもの自由なあり方を書きました。
今日は、私たち親、大人はどの時点でその自由さを失ったのかを探求してみたいと思います。
そもそもみなさんは、自由さを感じていない分野はありますか。
私であれば、仕事、お金、コミュニケーション、リーダーシップの分野に自由さがありません。
別に何か悪いわけではないのですが、笑顔に溢れているわけではありません。
まぁ、こんなもんだろうという感じのところですね😌
これらの分野で共通していることは、
誰かとの比較
があります。
もしくは、自分の理想(目標)との比較でしょうか。
そして、それより劣っていると感じていると自由さがありません。
自分より贅沢をしている人を見ると自由さがない。
自分よりリーダーシップを発揮している人を見ると自由さがない。
自分よりやりがいを感じて仕事をしている人を見ると自由さがない。
そんな感じでしょうか。
でも、書いていて思うのですが、比較の裏側には、
この分野において、自分は十分ではないというのが見え隠れしますね。
私の場合は、お金、仕事、リーダーシップ、コミュニケーションの分野においては、父親の存在と比べている自分を発見します。
父親に比べて、自分は十分ではないがありますね😱
自分では自分の生き方があるとしているつもりでも、素直に自分の心に耳を傾けるとそこには比較があります。
話が戻ると、
こどもの頃は比較はありませんでした。
父親に比べて私は劣っているなんてことは思っていません。
あぁ、明確に意識しはじめたのは、小学生の頃、
父親のようになりたいと作文を書いた時です。(思い出しました😌)
そこから常に比較していますね。
「世界に1つだけの花」という歌が好きですが、
そこの歌詞に、"No.1にならなくてもよい。もともと特別なOnly One"
という歌詞がありますが、この歌詞が好きなのは、自分が普段から比較しているからですね🤣
こどもが目の前のことに没頭できる、そして、いるところが豊かなのは
比較がない
が秘訣だと発見できました。
明日は、どうやって比較を手放していくのかを探求していきたいと思います。
今日1日は比較を手放して過ごしてみようとおもいます。
みなさんは、どんな比較をもっていますか。
本日も健やかな1日になりますよう。