人と会うとき 話を聴くとき

 

こどもと接するとき

 

自分の生氣を吸い取られている氣がしていた

 

なんでこんなに疲れるんだろう

 

なんでこんなに寄ってくるんだろう

 

なんでも頼ってくるんだろう

 

 

ーーーここまでは『他者軸』だった

 

奪われている感覚ばかりなときって すごく辛いよね

 

 

ふと俯瞰的になった 離れたところで自分のこころを見つめたとき

 

ーーー『自分が』許していたし 与えていた

 

これも自分で決めていたことだったんだ

 

頭で理解できる範囲の顕在意識ではない

 

理解できない 認知できない範囲の潜在意識下でOKサインを出していたんだと

 

気づいたら あとは楽チン

 

なんでも自分だったって気づくと 捉え方と行動が変わるから

 

相手に求めることがなくなり すっきり生きられるよ

 

すべて赦すことがやさしさじゃない

 

私にとっても 相手にとっても心地よい関係って

 

どんなものだろう?

 

自分に心地がよくないことは 相手にだっていい影響や循環は与えられない

 

だとしたら 自分はどうする??

 

『自分を生きる』って とっても深いことだね