ここのところ何度か、

私たちがいま

北海道北部の美深町という過疎の町で

3室だけの小さなホテルを

造ろうとしているという話をしてきました。

 

ホテルの建物は、

新たに造ったものではありません

(3月15日付「時間が封印された石積み」参照

https://ameblo.jp/hoshitsuru/entry-12447227297.html)。

それは美深町の草原の中に

なかば置き忘れられたようにして建っていた、

いわば廃屋でした。

 

 

この廃屋めいた建物が残っていた場所は

美深町の中の紋穂内(もんぽない)という地区です。

すぐ近くにはJR宗谷本線の紋穂内駅があります

(古い車両を駅舎代わりに置いただけの無人駅ですが)。

国道40号線からも近いです。

「美深町西里4線」という信号を東に折れると、

約600メートル。30秒ほどで着きます。

そしてこの600メートルのかなりの部分は

一本の橋で占められています。

紋穂内橋、長さ348メートル。

 

通ってみると、どこか謎めいた橋です。

まず、奇妙なほどに長い。

日本中の有名な橋と比べてみると、

隅田川にかかる勝鬨橋(東京都中央区)が246メートル。

日本一長い川である信濃川にかかる萬代橋(新潟市)が

307メートル。

大都市の象徴的な存在となっている橋より

さらに長い橋が、

紋穂内という人口総数28人の集落と

国道40号線とを結んでいるわけです。

そして同時に細い!

車がギリギリすれ違えないぐらいの幅しかなく、

そのため348メートルの間に

(確か)2カ所(だったかなあ)、

少しだけ幅の広い部分が設けられて、

橋の上で車が行き合ってしまった場合は、

先に橋に進入した車はここで対向車を待って

すれ違うことになります。

しかしその細さに比して造りは堅牢、

シャープでモダンな姿をした橋です。

なぜこんな橋が、ほんのわずかな人しか住んでいない

田園の集落に向かって延びているのか。

その不思議さが、渡る人の胸に

強い印象を残すのです。

 

この橋ができたのが何年なのかは

ネットで検索してもわかりませんでした。

今度、「美深町史」にでもあたってみよう。

ただ、この橋を含む道道445号紋穂内停車場線に関して

1962年に路線認定という記述を見つけたので、

橋が架けられたのもおそらく

この時だろうと思われます。

 

紋穂内橋は長さでは日本で4位という大河である

天塩川に架かっているのですが、

この橋ができるまで

人々は渡し舟で流れを渡っていたのだそうです。

もちろん渡し賃が必要です。

しかも冬になると舟は使えなくなってしまう。

そんな時期が来ると人々はどうしたかといいますと、

上流から流れてくる氷を集めては

その氷を積んで橋の代わりにし、

その上を歩いて行き来したのだといいます。

地元の人々はこれを“氷橋”と呼んでいました。

 

川の水までを凍らせる極寒の地だからこそできる

氷の橋。

もちろん、これを渡るのには危険が伴います。

とくに気温が上がってくる春先が危ないらしい。

そして氷の橋から落ちてしまえば、

まず間違いなく命も落としてしまいます。

昭和30年代に労働大臣や運輸大臣を歴任した

美深町出身の有力政治家がいたそうで、

その人の政治力でこの紋穂内橋はできたのだとも

地元の人に聞きましたが、

つまりこれは紋穂内の集落に暮らす人々にとっては

“命の橋”だったのでしょう。

 

氷橋。

その言葉はどこか遠い世界のもののように

いまの私たちの耳には響きます。

でもこの集落には、

その夢のようにもろい橋を

実際に渡っていた経験を持っている人が

まだ少なからず暮らしています。

私にこの橋の歴史を話してくれた人も

そうでした。

私はこの橋を前にするといつも、

不思議な戦慄のようなものを感じます。

別の世界に導かれていくような、

橋が異界への通路になっているような、

そんな感覚。

いや、あるいはそれは

錯覚ではないのかもしれません。

これは氷橋でつながっていた地へと

人を運んでいく橋なのですから。

 

 

日常とは違う世界へのアプローチ。

「青い星通信社」という小さなホテルは

そんな謎めいた橋の向こうで

訪れる人を待つことになります。