1月18日の日経新聞の記事より。

 
 
清水寺貫主である森清範氏は、金子みすゞの作品に、清水寺の本尊でもある観音さまの目を感じているという。
 
 
「観音さまの目とは、自分が見ている対象そのものになりきる、ということ。
他人の苦しみを自分の苦しみとして共感できるということです。
みすゞの詩には、それがあります」
 
 
『大漁』
「(略)浜は祭りのようだけど 海のなかでは何万の 鰮のとむらいするだろう」
 
 
『積もった雪』
「上の雪さむかろな(略)下の雪重かろな(略)中の雪さみしかろな」
 
 
私の主観ですが、
 
 
共感性の高いHSPの方の多くに、身の回りのすべてを自分と同じ「人」としてとらえる習性のようなものがあるように感じます。
 
 
木々の葉っぱが笑うように揺れる。
食事の時、いただく命に想いを馳せる。
川や岩の一生を想像する。
道具に感謝する。
 
 
HSPの人がもつ温かい眼差しは「優しい」だけではなく「尊い」もの。
 
 
そんなことを再認識した記事でした。