「もうどうでもよくなった!」…という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?

…投げやり?…やけくそ?…あきらめ?…絶望?

…あまり良いイメージの言葉ではないかと思います。私もずっとそう思っていました。

しかし、この脳脊髄液減少症と言う治療法も未だ確立されておらず、診断方法も曖昧であるこのおかしな難病にかかってしまった以上、体も心も蝕まれていきます。

…そして、数え切れない位の様々な壁にぶち当たります。
…多くのこの病気の患者さんは、病院をたらい回しにされ、医者からはそんな病気などない!などと頭ごなしに説教され、はうような思いで専門医を受診しやっと病名が見つかったとしても、人によっては経過が順調と言うわけではありません。

私の場合、点滴3週間絶対安静、ブラッドパッチ、フィブリンパッチ、生食パッチ、人工髄液、硬膜外持続注入、そして髄液漏閉鎖術(最終手段のバクチ的な手術)
…可能性のある治療は全て受けてきたつもりです。
しかし、残念ながら改善点が全くないのです。
もう一つ付け加えると、元の検査で寝たきりになったので、戻れるならば、何も治療しなければよかったです。
「最終手段に受けた髄液漏閉鎖術」…これが、かすりもしなかったので、

「もうどうでもよくなった!」…と心から叫びました笑

…するとどうでしょう。
今までこの大手術を受けるまでの3年間、私はずっと病気を治すことだけを考えてきた。特に治療方法のことをずっと考えていました。
…それが、「もうどうでもよくなった!」と思うようになってから、このうじうじと考えている時間無駄じゃない?

どうせ「もうどうでもよくなった!」のならば、1回死んだと思って、自分のやりたかったことをできる範囲でいいから、やり潰していこう!

と、考え方が180度変わりました。

髄液漏閉鎖術の手術は全くの無意味でしたが、あきらめをつけさせてくれました。いわばキーパーソン的な意味では、私にとって必要な手術だったのだと思います。

今まで、「座れるようになったら〇〇しよう。」「○分間歩けるようになったらどこかに出かけよう。」などなど、
…○○できるようになったら、〇〇しよう…と言う考えを全て取り払いました。

すると、見える世界がどんどん明るく変わっていきました。
「もうどうでもよくなった!」…は、終わりの言葉ではなく、はじまりの言葉だったのです。

この始まりの言葉「もうどうでもよくなった!」…から、私は今までの過去は捨てて、新しい自分に生まれ変わったと思って、歩み始めました。
…続く。