こんにちは。
「エイジレスで自分の色気を楽しもう」

星乃みことです。

 

「スターオーラを放つ! トレーニングサロンMICOTO」では、


もってうまれた華やかさや
特別な才能
運気のあるかたに限らず


どんなかたでも、

一瞬にして
あなたにしかない魅力を
(オーラ)を輝かせることが
できるようになる

<スターオーラメソッド88>を
オンラインにて、お伝えしています。

 

 



 

私の昔、昔の

恋愛パターン

象徴するような事例・・・

 

 

一番大好きな人(Aさん)はいるけど、

なかなかわかりやすい相思相愛の

感じにはならない恋をしているとき

 


そのいっぽうで、

 

一番好きな人ではないけど、

まあまあ好きな人(Bさんなど)と

相手からのアプローチによって、

そういう関係をもっていることがあった。

 


Aさんとは

わかりやすく

成就するにも時間がかかるし、

先がみえない。

  


まあまあ愛してくれるBさんと

関係をもつことで、

この寂しさはうめられる。

 



でも一番大好きなのはAさんドキドキ

 

 


この場合Aさんのことだけに

エネルギーを集中させ、


Bさんとは つきあわない・・・と

いう選択もできる。

 


 

まあまあ好きなBさんは、

まあまあ好きなだけで、

本命ではないのだから。

 

会っても心の底から

満たされることはない。

 

でも、少しの愛は満たされる。

 

 

 

そして、Aさんとだけ 

つきあってると、

 

あまりのAさんへの

想いが強すぎて、

自分が破壊しそうになる。


そのバランスを保つために、

アプローチされたBさんと

つきあっていた。

 

 


 
このケースを食べ物に

置き換えて考えてみた。

 

 

 

私は「渋皮付き和栗」が大好きだ。

栗だったらなんでも

いいわけではない。


                       
一番は「渋皮付き和栗」(Aさん)が、

大好きだけど近くには売ってないし、

季節も限定されている。

 


すると、一番大好きな渋皮付き和栗を

食べることが、なかなか難しい。

 

 

けれど、「栗甘露煮」や

「甘栗むいちゃいました」(Bさん)は

コンビニやスーパーでいつも手に入る。

 

でもそれは自分が一番大好きな

「渋皮付き和栗」(Aさん)ではないわけだ。

 

 

やっぱり一番大好きなのは

「渋皮付き和栗」(Aさん)。

 

それは他の栗を食べたらわかる。

いわゆる妥協でしかない。

けれど、栗自体が好きだから。

嬉しいは、嬉しいわけだ。


 



一番大好きなAさん

あるいは「渋皮付き和栗」だけに

エネルギーを集中させ、

 

Bさん「栗甘露煮」や

「甘栗むいちゃいました」は、

結局 妥協案でしかない。

 

それでも、多少の愛は満たされる。

 

Aさん、あるいは「渋皮付き和栗」で

愛を満たされるのが

保証できている場合は、

もしかしたら待てるのかもしれない。

 

 

でも、そんな未来のことは

わからないから、

 

人は「そこそこ」「ほどほど」の

愛を補おうとしているのか。。。

といったことを考える。

 

 

人の恋愛と「渋皮付き和栗」とを

同じ扱いで事例にすることは、

なーんか微妙なのだけど。

「愛」と「食」は、

すごく密接なつながりがある。


(摂食障害は愛情飢餓が

根本的な原因の一つだと

私は感じています)
 

 

 

 

Bさんや違うCさん、

 

あるいは「栗甘露煮」や

「甘栗むいちゃいました」と

 

相思相愛でも、

決して心の底からの愛は満たされない。

 


自分自身がわかるわけよね。

 

本当に好きなものは

これじゃあないってことが。

 

ひとときの甘い時間は過ごせるだろう。

だって、おいしいことは確かなわけだから。

 

 

ただ本当に欲しいものではない。

(真の望みではない)

 

 


だからといって、

Aさんだけを待ちつづけよう

なんてことがいいのかどうかは、わからない。

 



もしそうしたならば

 

「他を我慢して、

Aさんだけを待ち続けたのに」


みたいな妙に恩着せがましさが

「圧」になるかもしれない。

 

でも勝手にこちらが

待ってるだけなんだから。

 


 

また 


いつも「まあまあ」とか

「ほどほどに」好きな感じで、

おなかをいっぱいにしていると、

 

本当に好きなものが手に入ったときに、

そのおいしさを感じにくくなるのは、

もったいないことだ。

 


だけど、日々 寂しい想いで 

Aさんだけを待ち続けるのも

気が狂いそうだった。

 

寂しいといった言葉を超えて、

気が狂うって感じかな。


そのくらい私の愛は、

狂気のようなエネルギーが 

つまっている。

 

なにせ、好きな映画は

「ベティブルー」だから。


本能の赴くままに

表現できる主人公に投影した。

 

 


 
また映画「君の名は」じゃあないけど、

一度そういう人に出会ってしまったら、

もうそれは心からは離れられない気がする。

 

 

 


最初から「ない」ものとして、

出会わずに生きていくのは簡単だ。

出会ってないのだから。


でも出会ってしまったあとでは、

全く人生が異なる。

 

たとえ なんとかまわりをごまかせても、

自分自身の心はごまかせないだろう。

 

出会ってしまったのだから。

 

(私が「甘栗むいちゃいました」だけしか、

知らなければ 常にご満悦だったはずだ。
しかし、私は「渋皮付き和栗」の味を知っている・・・。)

 

 

このほんの少しの「妥協」の

つみかさねこそが、


「まあまあ」「ほどほど」の

生きかたに繋がっている。

 

 

「つきあっている人」もそうだ。

 

愛してくれてるからといって、

つきあっていても

 

既に 以前 

 

心の底から愛する人と出会い、

そのときの自分を知っていたならば

そのときの自分とは、異なることは 

 

他人をごまかせても、

自分をごまかすことはできない。

 

なぜなら、

全てがそのときとは 違うわけだから。



 

それが たとえ 

死ぬほど愛されていたとしても、

それに答えられないと

わかっている自分がいる。


 



日常は、選択のつみかさねだ。


 

朝、起きて 何を飲むか。
何を食べるか。

何をするか。

何をしないか。

誰と会うか。

誰と会わないか。etc.


 

自分のインスピレーションと

感受性だけにフォーカスして、

純度の高い毎日を丁寧に紡いでいきたい。

 

「ほどほどの幸せ」からの卒業に向けて。

 

 

 ✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨


*上の記事は、

「君の名は」が大ヒットしたときに

書いたもので

 

「神記事」と 

大絶賛されたんですウインク

 

 

 

この頃から

私の魂も進化しました(笑)

 

 

 

そして誤解していただきたくないのは

 

明らかに 成就しない相手に

執着し続けても

幸せからは 遠のきます。

 

 

ちなみに


私は自ら好きドキドキ

なるってことは、

極端に少ないです。

 

 

好きドキドキになってから

食べるなんてことを

していたら、

 

今でも間違いなく

私は独身だったでしょう。


 

食べてみないと

わからないことってありますし

食わず嫌いは、もったいないです。

 


そして食べてみたら

 

渋皮付和栗よりも


違う感じで 

超おいしかったドキドキ 

なんてことだって

あるかもしれないですよねニコニコ

 

 

 

いづれにしても

 

愛に関しては

 

自分が愛に満ちていたら


相手に期待することも

執着することも

一切 なくなりますから。

 

過去の美化した想い出に

しばられることなく


「今」を楽しめるように

なります。

 

 

自分の愛が満ちていれば

「誰か」は、関係ないってことが

よーーくわかりましたニコニコ

 


愛は育むものだと

いうことも💖