ノストラダムスの予言は

以前書いたのですが

ぼんやり書いてた部分があり

解りにくかったかもしれませんので

補足として書きます。


キリストが産まれた時から数えると

今年は西暦2024年


しかしキリストが洗礼を受けたのは

もっと後のこと。

キリストが神と呼ばれるようになる

洗礼から数えると今年は1998年となり

来年1999年7の月が、予言された時です。


それって都合よく当てはめたのでは?

と思われる方に更に言うと

昭和100年問題をご存知ですか?


※昭和100年問題とは、2025年にコンピューターのシステム障害が起こる可能性がある問題です。 2000年問題と同様の「年数処理に起因するシステム障害」が懸念されており、未対応のまま2025年を迎えると、コンピューターの時間処理に問題が起こりさまざまな影響が出ると指摘されています。


このように数え方は色々ありますので

嘘と言うには浅はかと言えます。


さて、来年を簡単に考えるのか

どーせ何もないさと高を括るのか。

あると信じたとして、人には何もできなくない?

と思い、何もしないで過ごすのも人です。


だから何もしなくて良いのか?

それとも何かしら動こうとするのか?

神様は、ここを見ておられるのです。


人はすぐに諦める。

しかし人は諦めない心を持たされているのです。

諦めないで何かしら動くことができる。


私は今、願いを集めています。


昨夜、友人からの紹介で

1人の方とお話しをしました。

私も願うと仰ってくださいました。

が、人は時間が経つと思いも薄れ

忘れてしまうものです。

これからも、友人と相談しつつ

この方とお話しをしていこうと

思います。

兎にも角にも、お話しができた事に感謝です。

お話をした後に残るのは有り難いという

思いだけでした。本当に有り難い。


私は、人を集めている訳ではありません。

本当に確かな想いを持っている方。

その想いを持って願う方に出会いたい

願いを集めたい。

それが例え、1人でも2人でも良いのです。


ここで神様の教えを書くのも

教えを知ったから、覚えておこう

これだけでも良いのです。

覚えていたら、いつか困った時に

教えが助けとなり正しい道に導いてくれる。

まだ読み始めだと、一方的に読んでるだけで

なかなか理解できないこともあるかも

しれませんが、幾つも読んでいるうちに

いつの日か、あっ!と、繋がったり

理解できたりすると思います😊👍


神様は空想の世界にはいません。

私たちの中深くにいらっしゃる。

だからこそ人は、誰に教えてもらわなくても

神様という存在を知っているのです。

しかし残念なことに存在を知るだけで

教えを忘れてしまった。


だからこそ神々の教えを知り、それに従い

動く者を見てらっしゃる。

全ての教えに従うことは無理でも

1つなら2つならできる。

それで良いのです😊