明日死ぬとわかったら、今日をどう過ごしたいか。

そう考えながら生きてみようかなと思っている。


日々の慌ただしい生活の中で、自分勝手に生きることが100%正しいということはないと

思うけど、惰性とか無理をして何かの犠牲になるとか、そういうことを極力避けた方が自分らしく

いられるかなって思っている。


あとは、自分がこの先何を大事にして生きたいと思うか。

自分らしく生きるって何だろう?

今までの私は社会に馴染もうと頑張ってきた。

まともに、一般的な感覚を持って生きたいというある意味での目標があった。

子供のためにも。

夫がまともな、一般的にはこれがルールだというお手本なので、困った時はその感覚に乗ってきた。


私そのものの人生にはさほど関係ないというか、子供のための付き合いとか、夫の関係などで一般的にはこうしておくのが

無難だというようなコトにはまともな行動をとる方が大半の人が安心するのでそれで良い。


だけどわたし個人で動くとしたらいつも絶対変なのだと思う。一般常識って何って感じになる。

でもそれが私。


子供の頃は、常に世の中への疑問だらけだった。今でもそうだけど『なんで?』が

口癖みたいな子で親に嫌がられた。生意気とか親を挑発したくて言ってるわけじゃないのに。

『なんで?』と思ってはいけないのか…とそのうち思うようになり、社会に対して疑問じゃなく

受け入れるように生きなきゃいけないんだなと肌で感じるようになって、そこから私は

生きにくくなったと思う。


生きにくい。答えがわからないから生きにくい。

そのまま大人になって子供が生まれた今は、子供達の疑問にはできる限り寄り添う。

『何で?』が出てきたらよしきた!と思う。子供の頃にわからなかった疑問は今の私なら

じっくり深く答えることができるから。

そう思うと、私の親は私への答えがなかったのかなと今では思う。


迷ってばかりの人生だったから、傷つくことも後悔することもたくさんあって。

でも全部まとめたときに、『私のこれまではこれでよかったのかもしれない』と

思えるようにはなった。綺麗な生き様ではないかもしれないけど。

子供の頃の疑問に親が答えることができて、私が今と全然違う人生を作り上げていたとしたら

今の私はここにいない。


今でも私の親は私に答えを出せる人たちではない。性質が全然違うから

私が疑問に思うことの意味がわからないのだ。

親の庇護を受けずに生きなくても良くなった今は、それももうどうでも良い。

今は自分のことは自分で決めていい。


今は、子供達の世話をしながらいかに新しいことを始められるか。

その答えの一つは頭の片隅に燻っている気がするが…。



14通目はここで区切ります。