大学時代の友人のお宅に
お参りに行ってきました。

亡くなったことを知らずに1年以上。

1周忌を過ぎてからの
ご主人からのお手紙で知りました。

ショックでショックで
当時の仲間達に急いで連絡。

卒業から30年以上経った
チリジリの仲間たちと
待ち合わせをして向かいました。

本当はみんなで再会の予定を
立てていた中のコロナ突入で

そろそろ日にちを決めようかと
話していたのに、、。



膵臓癌で2年余りの闘病

だったとのこと。


ご主人もショック過ぎて

何をどうしてよいやら


喪中ハガキも誰に出して良いやら、

と連絡出来ずにいたそうです。




一番下のお子さんはまだ大学生。


お家には

お子さん達の小さい頃の作品が

たくさん飾られていて、


とってもあたたかい家庭の様子が

そのままありました。


保育士だった彼女は

学生時代から

とっても明るくて


方言たっぷりの会話は

面白く、暖かく、

みんなを前向きにしてくれる

言葉ばかりでした。





幼稚園・小学校・中学校と

一緒だったというご主人。


そんな小さい頃からずっと見てきても

やっぱり彼女は彼女。


子供の頃から

亡くなる時まで

彼女らしさはずっと変わらず


ご主人もずっと尊敬していた存在

だというくらい

素晴らしい人でした。


亡くなった今も

「本当にすごい人」と 

繰り返すご主人。


みんなそれぞれに

思い出話は出るけれど


誰が何を言っても

みんなが知っている彼女であり、


そんな面があったなんて、、

なんてことが一切なく、

誰にでも、

そう、一番そばにいたご主人にでさえ


辛い顔や悩んでいる顔、

嫌な顔は一切見たことがない、

というのです。


闘病で、不安や辛さや愚痴は

抱えきれないほど

あったのでしょうが、


誰一人そんな様子を

見たことがないまま。


誰もが彼女の人柄を共通して

分かち合えるって

実はすごいことだと思いました。





みんなで話しながら

「きっと今頃、こうやりながら

こう言ってるよね。笑」

と話す会話には、


本当に誰もがそこに

共通に見ている彼女がいました。


みんなが同じ彼女を知っているから。


そんな様子を見ながら

思ったのは父のこと。


私は父とたくさんたくさん

関わった時間で

父の考えていることが

手に取るようにわかりましたが、


彼女のことは、

同じくらい

みんなにわかっていたのです。


一緒に過ごしたのは短期間なのに

それだけ、

一人一人の心の中に

ちゃんと彼女は印象付けられていて

愛されていて、

みんなの人生の一部になっていたんだな

改めて気付かされました。




ご主人が葬儀で配られた文に

[皆に愛されて親しまれた妻]

というタイトルのコメントが

ありました。


まさしくこの言葉の人だよね、

簡単に言っているようだけど

実際に当てはまる人は

そうそういないよね、


というみんなの言葉。


お孫ちゃんに

絵本の読み聞かせをするのが夢


と言っていた彼女は

ご主人のスマホの中に

動画として残っていました。


ご主人のお誕生日のLINEを最後に、


夢を叶えた10日後他界しました。


遺影の彼女は

とても幸せそうで

幸せな人生だったよ、

と言ってるようです。