白木蓮。
好きなお花の一つです。

先日、お花屋さんでこの白木蓮の枝を見かけ、初めて購入してみました。
本当に咲くのかな、もし咲かなくても蕾は蕾で可愛いからいいや、と自分を納得させながら。

と言いますのも、白木蓮はその名の通り白い花びらが美しい花なのですが、その蕾は全体的に毛で覆われています。
色はグレー寄りの薄緑。
つまり、蕾と花との印象がまるで違うのです。

そんなわけで予防線。
もしも思い通りにならなかった場合にがっかりしないように。

もし、もしね、家電製品が説明書通りに動かなかったらそれは文句を言うけれど、生き物には絶対はないものだからしかたないよ、という持論。

まあ、そんな心配もなくとても綺麗に咲いてくれたのですが、今日言いたいのはそういうことではなくてですね、
私が今まで見ていたものは白木蓮だけではなかったということに気がついたということなのです。

開花してくれたことはものすごく嬉しかったのですが、それでも期待していたものではないという違和感がありました。
そして分かったのです。
私は今まで、白木蓮と空を見ていたのだなと。
街中で咲いている白木蓮の木は背が高く、いつも見上げている状態。
なのでその先には青空や曇り空が広がっていたのです。
そして私はその光景に毎年心惹かれていたのです。

それに気がついた後、アリスとの散歩をした時に、近所の私的白木蓮鑑賞ベストスポットに行ってみました。
咲くにはまだ早いけれど、蕾の大きさだけでも見てみたいなと思いまして。

そしたら、、、

そしたら、、、

そのお宅がなくなっていました。

そうか。
更地になったこの場所。
ここの家の木だったんだ。
立派な白木蓮の木。
もう見ることはできないんだね。

それでも私は白木蓮を見かけるたびに思い出すことでしょう。
緩やかな坂道を時に登りながら、時に下りながら眺めた白木蓮の花々を。

見ているようで見ていないことは多々あるけれど、見てるつもりはなくてもしっかり見ているものもあるのですね。

清らかな時間をいただきました。

今日もありがとうございました。