10年弱のKO大非常勤の間、いろいろありました。同僚(といっても、KO常勤)の複数の先生(うち、1人は亡くなる前週の講義には出ていらした)が亡くなったり、物理教室で開催の毎年夏の八ヶ岳白樺湖付近の大学契約施設(ペンション)でのテニス合宿、その高速の行きすがらに寄る勝沼の葡萄狩り、毎年大学主催で行われる非常勤講師の慰労会(六本木廬山にて、幼稚舎御父母出資だそう)、や6大学野球をはじめとした様々なスポーツ観戦など、懐かしい限りです。非常勤講師をしていた他の大学や学校とは異なり、かなり、重用されていた大学でした。なによりも、着任した時の年に、学生運動で、非常勤講師の待遇改善をうったえ、それが実現したことが、他の大学と比べ、秀逸な大学でした。
博士号取得者のアカデミック(大学教育研究関連の職)ポストは、同研究の民間企業の研究所(月70万~数百万円)に比べ、給金(奨学金、日本学術振興会からの給金=30数万円/月、助手の給与=20数万円/月)が微々たるものだったので、国立大大学院生は無論、大学助手や講師時代には、非常勤講師は必須のアルバイトでしたから、4~5件は当たり前でした。助教授以上を得るまでは、ひたすら、業績(論文)稼ぎと、アルバイトでした・・・・・。夜泊まれる職場付近のアパート代だけでも、月10数万ほどはかかりますから、アルバイトしないと、生活が成り立たなかったので。