小学校の6年間の同級生40人程度のなかに、いろいろいました。米兵の2世の子複数人とか、大企業の社長の息子とか、中小企業の社長の子女とか、開業医の子女とか・・・・。で、一番記憶に残る大企業の社長の息子M.M.ちゃんのこと。一番印象は、授業の一環として、上野の科学館の訪問で、強磁場マグネット(~テスラ?)の展示で、彼は腕時計を磁場中に差し入れ、ノンマグ時計を誇っていました。21世紀の現在では、~テスラ程度の磁場に堪えるノンマグ時計はいくらでもありますが、60年ほど前の日本で、そうした腕時計をした人がいたことが、驚きです。たしか、”これは数十万円だ!”と誇っていました。コロッケ5円、メンチカツ10円の時代にです。また、当時、ラジコン飛行機やリモコンサーキットカーなどが流行っていました。私は、無線装置を屑やや中古トランジスタラジオから取ったトランジスタと電池管で自作し、on offだけのラダーオンリーの人力グライダーを自作していました(総費用は10円~100円ほど)が、彼は、デジタルプロポーショナルと、当時呼ばれた最新鋭の無線コントローラーに焼玉エンジン飛行機を用いて(恐らく費用は数十万円ほどか)いました。リモコンサーキットカーでは、模型やで売っていたマブチモーターに自作ゴムタイヤを付けて、電線の網銅メッシュを使ったブラシ電極を自作し(総費用100円程度)、サーキットでM.M.ちゃんと対決しましたが、当時販売されていた最高級機種(恐らく数万円程度か)との対決で、完敗でした。これら、全てで、M.M.ちゃんの勝ち誇った様子、言動”これだから貧乏人は・・・”が今も脳裏に残ります。でも、貧乏だったからこそ、科学技術を学び、応用してきた自分があり、誇らしくもあります。