サレンダーが訪れました。
2回目の”参りました”
”サレンダー”って特別な大きなことのように感じていたけど。
そんなことはないんですね。
最初の時はよくわからず。
後からブーティに話して”それがサレンダーだよ”って言われて知ったんですけど。
今回は、体感があって
”あっ サレンダー”ってきづいた不思議。
川をながれていたら中心に吸引されて静けさが訪れたような。
日曜日に父が緊急搬送され。もう…ってなって。
覚悟を始めると涙が溢れ出ちゃって。ビービーないていて。
ブーティから愛を送ってあげてって言われたけど。
そんな気分にならない。
愛とかコンパッションとかそんなものやりたくない。
コンパッションって言葉に以前に増して恐怖を感じだしいて。
ダイナミック瞑想をやる余裕もないし。どうしたらいいんだろうかって思っていたら。
なんでこんなに怖いんだろうか?
自然と深く入っていけて。
見つけた”インナーみかちゃん”
父は、「自分はいらない子だと思っていた」そうで。
父から「子供の頃、自分の映っている写真は全部捨てた」と聞いていました。
祖母が亡くなって、祖母が持っていて写真をみると、父が映っていたらしき写真がありました。
父の顔の部分だけズタズタに削られていたのです。
父のトラウマと私のトラウマが繋がっている。
いまになって、心身ともに父との繋がりを強く感じています。
自分の存在を否定しているインナーみかちゃんを認めずに
自分に思いやりを向けようとするふりをするから
インナーみかちゃんがあばれていたんですね。
自宅で一人でダイナミック瞑想等のアクティブ瞑想に入り込んでやっていると、身体をズタズタに突き刺すような強烈な感情に身を投じていっていて。それが病みつきになっていました。
強烈に感情を感じないと終わらないって思っていた。
そんなこともないんですね。
感情って身体の力を抜いて、
抵抗せずにエネルギーを抜いてあげればいい感じ
という洞察もありました。
抵抗せずにってのが怖いのです。
勇気というか、”突破力”が必要で、”突破”して流れる。
それならできる。
トラウマヒーリングを熱心に取り組んでたどり着けなかったのに。
コンパッションの恐怖からたどり着いたトラウマ
この場所から始めます。
ナロパとブーティを感じています。
ありがとうございます。