どら猫でござる。 -2ページ目

どら猫でござる。

ゴールデン猫劇場

こんにちは

こんばんわ

おはようございます。(_ _)

 

前略

どちら様もお元気でドスコイ・・

 

三連休も明けて

今日からまた仕事・・・

 

という人も多いかと思いますが

今週も元気に過ごしましょう。(^^)b

 

しかし

なんでございますね。

 

連日、違法な暑さが続く今日この頃・・

熱中症で亡くなる人も多いようですが・・

 

あ、そうそう・・

遥か昭和の昔には

「日射病」とか「熱射病」と言ってましたが

いつのまに「熱中症」になったんですかね・・

 

それはともかく・・・

皆様は対策は十分ですか?

 

我が輩は熱中症対策に

昼間っからビールをたっぷり補給してますので

大丈夫でござる。☆□D\(^_^ )

 

では、今日の「どらメシ」

(久しぶりにパスタを作ってみた)

 

人生

何があるかわからん・・

 

というのは

いつも言ってますが

 

たいていの事は

フッ!と油断した時にやられる事が多い。

 

「よし!これで大丈夫だ!」

と、思った時ほど

想定外の理由でコケたりする。

まさかの裏切りとか妨害とか・・

 

逆に

「こんなんで大丈夫かな?」

と、気遣いながら進めたものが

今でも続いていたりする・・。

 

だから

少しでも気を抜いたらだめなのです。

 

今の世の中

ボーッ!としてたら

見ぐるみはがれますよ。

くわばら、くわばら・・・(-_-;)

 

 

我が輩ごときは

あれですよ。

 

もう残された時間は少ない。

何事も効率よく時間を使わなくては・・

まだまだ無駄が多い・・かな。

 

嘘と煽りだらけのテレビマスゴミ。

金の亡者と他人攻撃だらけのSNS。

心の通わない薄っぺらな人付き合い。

 

一円にもならん・・。

 

なんの徳にも癒しにもならんもんを

見たり聞いたり動いたりするのが

一番時間の無駄・・。

 

お金はたまには無駄遣いしてもいいが

時間は無駄遣いしてはいけない。

と、思う今日この頃・・・

 

だから

これからの毎日は

昔を懐かしみつつ、のんびりと時間を使い

でも、真剣に生きよう。

 

さして最後は

人様に迷惑をかけないうちに

燃え尽きてさっさとくたばる・・。

そうだ、それがいい・・・。

 

 

成功者とは・・

 

金と地位を手に入れる事だけではない

自分の意思通りに生ききれたかどうか

によります。

 

チマチマコソコソすんな!

己の生き様晒して楽しく生きろ!!

 

我が輩ごときは

とりあえず

ビールとつまみがあればそれでよいよい。

なあ〜んもいらん。

 

よけいな欲を捨てた方が

意外と幸せだったりするもんだ・・・。(¯_¯)b

 

あ、ども・・

ビールが無ければお酒真っ暗

「どら」でござる。('_')b

 

(在りし日のジジ・・・)(-_-)

 

というわけでございましてな。

 

今日は「駅弁の日」

だそうな・・・

 

日本最初の駅弁は

宇都宮駅で発売された

おにぎり2個とたくあんを

竹の皮に包んだシンプルなもの

だそうな・・・(諸説ある)

 

今時は

竹の皮で包んだおにぎりなんて

絶滅種だし・・

逆に高級かも・・('◇')

 

それはともかく・・

 

駅弁・・・

 

と、ひと口に食べても・・

もとい

ひと口に言っても

いろいろございますが・・・

 

聞くところによりますと

駅弁は全国に約2000種類以上あるそうな・・

 

しかし・・・

駅弁というものは

その地方の駅でしか売ってない・・

つまり

そこでしか食べられない・・

 

駅弁食わぬは武士の恥・・・

 

そこで

汽車の旅・・・

 

汽車で地方を巡りながら

その土地その土地の駅弁と地酒を愉しむ

それこそが汽車の旅の醍醐味・・

(最近は「鉄旅」と言うらしい・・)

 

シュッシュッポッポ♪シュッシュッポッポ〜♪

 

 

そういえば最近・・・

汽車の旅してませんが

 

ん?

今は「汽車」とは言わない?

電車・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

なら、いいです・・。(-_-)

 

まあまあ・・\(^^;) 

 

汽車が走らなくなったのは

いつ頃からでしょう

 

その頃から

汽車に乗らなくなったような気もします。

いや、汽車に乗らなくなったから

汽車が走らなくなったのか・・・・

 

電車ではなんか風情がないのう・・

 

ああ・・

だから「鉄道の旅」

「鉄旅」なのか・・

 

(遠くで汽笛を聞きながら・・愛宕山より日豊本線を望む)

 

汽車の窓から手を握り

送ってくれた人よりも♫

ホームの陰で泣いていた

可愛いあの娘が・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ん・・?

なぁ〜んだ

あれ、おふくろやん・・(・_・)

 

ソレ!

ズンズンズンズンズンドコ〜♪

 

あれからもう五十数年・・

半世紀以上も昔・・・

 

と、目を細めて遠くを見る。(¯ー¯)

 

歳の頃は

花もしおれる16の時でした。

 

我が輩が

中学校を卒業して

花のお江戸へ出ていく時は

汽車でございました。

 

陰で泣いてくれる娘は・・・

いなかったなぁ・・・ (´`)

 

そのかわり

おふくろが駅弁買って持たせてくれました。

 

「元気で暮らすんだよ!」

「社長さんの言う事よく聞いて・・」

「あんたは気が短いからケンカしないようにね」

「なんでも我慢だよ、我慢、我慢・・」

 

出発のベルが鳴る・・

汽車が動き出す・・

窓越しに叫ぶおふくろ・・

 

当時のお決まりのシーン・・

くぅーっ!泣かせるね。(>〜<) 

 

シュッシュッポッポ♪シュッシュッポッポ〜♪

 

 

駅舎が見えなくなると

何事もなかったように

さっそく駅弁を広げる我が輩であった・・。

(なんやねん!)\(- - )

 

当時・・・

延岡駅で売られていた駅弁は

普通弁当と名物の「鮎ずし」(200円)

 

※製造・販売していたのは

公認の駅弁屋「杉の家」

1957年に「梅の家」と引き継がれ

1997年に撤退した。

 

現在では

全国的にいわゆる「駅弁屋」は衰退。

ほとんどの駅がキヨスクか

併設のコンビニで売られているが

 

こうなると

もはや「駅弁」とは呼べないなぁ・・

「コンビニ弁」・・?

 

そもそも

掛け紙がないし・・。

 

掛け紙のない弁当を

駅弁とは呼べませぬ・・だ。(¯ー¯)

 

シュッシュッポッポ♪シュッシュッポッポ〜♪

 

(1970年代の延岡駅)

 

(現在の延岡駅)

 

えー・・・と

何の話でしたかね

 

あ、そうそう・・・

 

せーんろはつづくーよ

どこまでも〜♫

 

駅弁は食ったし

片道きっぷを握りしめ

いざ!花のお江戸へ

 

その名も

急行「高千穂」!

 

「急行」と言っても停車駅が多くて

西鹿児島ー東京間を

ニャン!と

30時間もかかっていたのでございます。(`O´)

 

30時間といえば

1日経ってもまだ着かない

さらに6時間です。(´`;)  

 

そんなことはおかまいなし

バカだったから・・?

いえいえ

若かったから・・・です。(¯ー¯) 

 

右手に太平洋を見ながら

日豊本線と国道10号線が並んで走る・・

やがてトンネルをいくつかくぐると

もう故郷とはお別れ・・

 

ガッタン♪ゴットン♪

シュッシュッポッポ♪シュッシュッポッポ〜♪

 

では、ここで一曲。

 

Going Home to Mary Lou - Neil Sedaka

恋の一番列車(1960)ニール・セダカ

 

まあとにかく

凄かったです。

 

人が・・・

 

お金のない我が輩は

今は無き3等車にしか乗れません。

自由席ですからそりゃもう超満員で

通路にも人、人、人・・

びっしりと・・

 

それでも

旅は道連れ世は情け・・

 

たとえ他人同士でも

みんな同じ境遇の身の上ですから

片寄せ合い、ゆずり合って過ごしてました。

これこそが昭和・・いい時代だな。

 

しかし・・・

我が輩ごときは

まだ中学出たばかりの田舎の小僧・・。

 

そんな大人たちの輪の中に入っていけず

昇降口のちょっとしたスペースに

立っていたんだとさ。

もちろん、そこも人がびっしり・・・(´`)

 

そんなわけで

駅弁も買えずお茶も買えず

飲まず食わず寝らずの立ちっぱなし

難行苦行でござる・・・('◇';)

 

シュッシュッポッポ♪シュッシュッポッポ〜♪

 

(松竹映画「張込み」(1958)より)

 

そんな満員列車も

博多を過ぎ本州に入り

主要都市を過ぎるたびに

客がだんだんと降りていきます。

 

そして

大阪駅でどっと客がいなくなりました。

出発してから約16時間

ここでようやく座席にすわれます。(ホッ)

 

出る時に駅弁食ったっきりで

腹も減ってるけど

とにかく眠い・・・。

 

座席を確保した安心感と疲れで

そのまま寝てしまいました。

 

どれくらい寝たでしょうか

夜露に濡れた窓ガラスの

冷たさで目が覚めると

もう夜が明けて・・

 

シュワー!!ガチャン!!

 

そして

着いたのは「浜松駅」

 

腹減った・・・

とにかくメシだ!

駅弁だ!!

 

ん?

浜松で駅弁・・

 

と、くれば

映画「喜劇 駅前弁当」を思い出しました。

 

(「喜劇 駅前弁当」東宝DVDより)

 

「喜劇 駅前弁当」は

1961年12月24日公開の東宝映画。

「駅前シリーズ」第3作でございます。

 

キャッチコピーは

 

「色と欲のスシ詰弁当! 

売るのも買うのも好き者ばかり!」(笑)

 

浜松駅前の弁当屋を中心に

駅弁屋の未亡人、淡島千景

その未亡人に気がある織物屋の森繁久彌

ストリップ劇場の小屋主、伴淳三郎

むちゃくちゃでござりまする・・の花菱アチャコ

柳家金語楼、加東大介、えとせとら・・

と、いずれ劣らぬ怪しい・・

いや、芸達者が勢揃い。

 

当時は日本映画の全盛期。

粗製乱造は否めないが

シリーズモノの主流だった

笑いとペーソスにお色気が加わって

明るく、楽しく、ドタバタと・・

そんな作品でござる。('□')b

 

(ジャケットがこれだから・・)(笑)

 

オープニングシーンで

「東京から3時間、大阪から4時間・・」の字幕が

 

60年代初頭・・・

これだけの乗車時間があれば

そりゃ、駅弁も売れるはずだ。

 

浜松駅で

森繁久弥と伴淳三郎が弁当売り・・

うなぎ弁当がニャン!と150円!!

(現在は1,600円〜1,700円)

 

さらに驚くのが

駅弁だけでなく

ヤマハのハーモニカまで売っている。

 

さすが浜松・・。

ヤマハと提携があったのか

全編を通じてヤマハの楽器・オートバイが登場!

 

(「喜劇 駅前弁当」東宝DVDより)

 

映画はまさにタイムマシン

 

古き良き昭和・・

元気一杯だった

高度成長期の日本が・・

「明日は今日より良くなる・・」

と、信じてがんばった人々が

そのまま映し出されているのが

泣ける・・・

 

■主なロケ地

浜松駅

浜松駅前

浜松城

舘山寺温泉しぶき橋

舘山寺遊園地(現 浜名湖パルパル)

瀬戸橋(浜名湖と猪鼻湖の間)

猪鼻湖神社

中田島砂丘

浜松オートレース場

弁天島

 

しかし・・・

 

時代は変わった。

現代では

汽車の中から駅弁は買えない。

そもそも、新幹線なんて窓が開かない・・(–_–)

 

(「喜劇 駅前弁当」東宝DVDより)

 

えー・・・と

何の話でしたかね

 

あ、そうそう・・・

 

で、

早速「うなぎめし」を買いました。

(確か400円くらいだった・・)

それを三人前・・・

 

それからは食いまくります。

これまでのうっぷんを晴らすかのように

 

バカだったんですね・・

いいえ

若かったんです。

大飯食いだったんです。(¯□¯)

 

当時はあれですよ。

 

列車が駅に止まると

おじさんが(たまにおばさんもいた)

大きな箱を抱えてホームを走り回り

駅弁を窓越しに売ってましたが

 

限られた停車時間内で

あちこちの窓から

お客さんがお金を差し出して呼んでたり・・

 

獲り損なって弁当を落としたり

おつりを払う前に汽車が出てしまったりと

まあ、いろいろございました・・・

 

今はもう

こんな光景も見かけなくなったようです。

 

 

みかけなくなったといえば・・

 

あの頃のお茶は土瓶でござった。

容器が・・・

 

瀬戸物の急須のカタチをしていて

フタが湯飲みになってて

風情がありました・・・(¯◇¯)

 

今は駅でお茶を飲むなら

自販機のペットボトルやし・・

 

これも

時代の流れ・・・

と、言ってしましえば

ハイそれまでよ・・(–_–)

 

なんだか

つまらん世の中になってしもうた・・。

 

 

あれから50数年・・・

 

我が人生

各駅停車のひとり旅。

 

この人生の線路は

いったいどこまで続くんでしょか

終着駅はどこに・・・?

 

では、どちら様も

今日が佳い日でありますように・・。

■おまけ

 

ディンドン ディドン

クリック・クラック チュガチュガ

ディンドン・ディドン・ドゥー♫

 

子供の頃・・・

意味も分からず歌ってましたが

どうやら

大人でも分かってなかったらしいです。

 

愛しい恋人の待つ故郷テネシーへと

一番列車で帰って行く・・

 

列車よ走れ!

レールの上をどんどん走れ!

可愛い僕の恋人が待ってる故郷へ・・

 

と、歌う

 

「恋の一番列車」(Going Home to Mary Lou)は

ニール・セダカとハワード・グリーンフィールドにより

1959年にリリースされましたが

本国アメリカではヒットせず

ところが

日本では1962年に

清原タケシが日本語カバーしてヒット。

当時、結構多かった

典型的な日本ローカルヒットでした。

 

「恋の一番列車」

歌;清原タケシ(後の花やしきのプロデューサー)

 

by どら