ビタミンとモンキーズと・・・ | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは

こんばんわ

おはようございます。(_ _)

 

どちら様も

ご機嫌いかが百万石・・。

 

なんの変哲もない火曜日

時はたんたんと杉良太郎・・・

 

そうそう・・・

サンド伊達にフォルムが似ている

後輩のシモヤマ君が

奥様にへそくりがばれたそうな・・(´0`)

ゴーン・・・♪

 

隠した場所が額縁の裏・・・て

こりゃまた古典的な・・

 

へそくりする余裕があるだけでも

ええと思わな・・・

我が輩ごときには

そんな金なんかござらんです。

 

てか

一人なので

へそくりする意味がないんじゃが・・

うむ・・・。('∇') 

 

さて・・・

今日の「どらメシ」は

(イオンで買ったチーズちくわ天と天重弁当)

 

そんなこんなで・・・

 

今日は

「ビタミンの日」

だそうな・・・。

 

ビタミン・・・。

 

ムーミン

ケシミン

新ビオフェルミン・・ときて

今はもう無き

明治のカルミン・・・

 

と、いろいろございますが

 

なんといっても

我が郷土、宮崎が生んだ「ビタミンの父」

高木兼寛(たかきかねひろ)公にあらせられるぞ!

 

高木公といえば

日本で最初の医学博士にして

日本海軍の軍医総監でござる。

 

脚気予防のために麦飯を推奨

「麦飯男爵」などと呼ばれましたが

国会で「貧乏人は麦飯を食え!」と、叫んだ

どっかの総理大臣とは大違いなのでございます。

 

イギリスの聖トーマス病院医学校

(現キングス・カレッジ・ロンドン)出身の彼は

日本の医学会においては

東大派閥に目の敵にされ

評価を下げましたが

欧米医学会では

ビタミン、栄養学に関して

高く評価されているのです。

 

あ、そうそう・・

 

あの有名な「海軍カレー」の発案者でもあり

東京慈恵会医科大学の創設者でもございます。

 

あ、ども・・・

いつもビタミンHが足りない

「どら」でござる。 (–_–);

 

(怒っているのではござらん、これでもご機嫌の顔です。)

 

先日の10日・・・

モンキーズのマイク・ネスミスが亡くなりました。

享年78歳・・・

 

4人のメンバーのうち

すでにデイヴィ・ジョーンズとピーター・トークは他界。

残ったミッキー・ドレンツと二人で

先月の14日までツアーを行っていたそうで

まさに天寿を全う・・・。

 

「デイドリーム・ビリーバー」(Daydream Believer)

ずっと夢を見続けて 幸せな人生だったかな・・。

 

ここに

故人のご冥福をお祈りします。

 

(左から2番目がマイクネスミス氏/by Rolling Stone誌)

 

60年代にちょこっと流行った

モンキーダンス・・!

 

シカゴのメジャー・ランスの

「モンキー・タイム」から始まり

踊りながら歌うミラクルズの

曲は「ミッキーズ・モンキー」!

 

折しも

「ホンダ」のプアマンズ御用達50ccオートバイ

「モンキー」が若者を中心に人気!

 

なんだ!

時代はモンキーなのか?

と、思ったところへ雨宿り

 

1966年に

ロックバンドというか

アイドルグループというか

4人組のグループ「モンキーズ」が颯爽とデビュー!

デビュー曲の「恋の終列車」が

いきなり全米ナンバーワン・ヒット!

あっ!というまに

人気グループとなったのです。

 

では、ここで一曲。

 

イントロのギターリフがかっこいい

モンキーズのデビュー曲。「恋の終列車」(1966)

The Monkees - Last Train To Clarksville

 

ところでジョージ・・・

 

この曲の日本語タイトルには

「恋の」がついてますね。

 

そうなんですよ

川崎さん(←誰?)

(↑この名前にピン!ときた人は年寄りです)

 

歌は世に連れ

世は猫に連れ・・・

ヒット曲は名前に連れて

名前はヒット曲に連れて・・・

 

嗚呼!オールディーズの日本語曲名は

恋なくしては語れませぬ・・ (˘o˘)b

 

というわけでございましてな

 

「恋の」つく曲名を

思い出すままに徒然なるままに・・

 

恋にもいろいろありまして

緋鯉に真鯉に池の鯉〜♫ 

 

●「恋の・・・」いろいろ

「恋の日記」/ニール・セダカ(1958)

「恋の片道切符」/ニール・セダカ(1959)

「恋の汽車ポッポ」/アルマ・コーガン(1960)

「恋の一番列車」/ニール・セダカ(1962)

「恋のパーム・スプリングス」/トロイ・ドナヒュー(1964)

「恋の特効薬」/サーチャーズ(1964)

「恋のダウンタウン」/ペトゥラ・クラーク(1965)

 

とまあ・・

まだまだありますが

キリがないので

これくらいでかんべんしてやろう・・・(¯ー¯)b

 

ことほどさように・・

 

世はまさにオールディーズ

カバーPOP's全盛期

タイトルに「恋の」さえつけとけば

まあ、だいたいヒットするだろう・・という

売る方も買う方もおおらかだった時代・・

 

まあ

英語の原題が曲によっては長すぎるし

意味のわかるヤツもそうそういるはずもなく

日本語タイトルなら短くてすむ・・

という裏事情もあったりなかったり・・・

 

「恋の」の他にも

「悲しき○○○・・・」

「涙の○○○・・・」

 

これがベストスリーですが

この話は長くなるので

また別の機会に・・・。

 

(レコードジャケットより)

 

えー・・・と

何の話でしたかね

 

あ、そうそう

「モンキーズ」のお話・・。

 

さて・・・

 

1966年8月に

「恋の終列車」で

センセーショナルなデビューを果たした

翌月の9月・・・

米NBCのテレビ番組

「モンキーズ・ショー」が放映開始

 

日本でも早速

1967年10月6日。

TBS系列で放送が始まったからさあ大変!

 

この番組は、まさに

モンキーズの

モンキーズによる

モンキーズのためのショー番組

歌とショートドラマ(コント?)で綴る音楽バラエティ・・

 

内容はともかく

あの当時

外国のミュージシャンの動く映像が視れるなんて

めったにござらんでな・・・

 

それが自宅のテレビで

毎週、レギュラーで視れるんですよ、奥さん・・

 

かっこいい

「モンキーズのテーマ」に合わせて

口ずさみながら

かじりついて視てました。(^^)b

 

(ザ・モンキーズショー/by Mental Floss)

 

まあ、しかし・・・

 

偉そうな評論家のセンセイ方には

酷評されてましたが・・・

 

主にビートルズやストーンズと比較してのものですが・・

「ろくに楽器は弾けない」(マイク・ネスミスだけは弾けた)

「歌は口パク・・・」

「しょせん、子供向けの架空バンド・・」

みたいな・・。

 

まあまあ

落ち着いて落ち着いて・・・(^_^

 

そもそも

ビートルズやストーンズとは

コンセプトも成り立ちも全然違う

それを同じ土俵で比べることに無理があるわけで・・・

 

(1966年、ビートルズ日本公演の時の記事)

 

1964年・・・

世界へ飛び出したビートルズを中心に

ザ・ローリング・ストーンズ、ジ・アニマルズ

ザ・ホリーズ、ザ・キンクスなどなど

いわゆる

「ブリティシュ・インベンション」の波は

アメリカにも押し寄せた。

 

とりわけ「ビートルズ旋風」は

アメリカショービジネス界の関係者の頭を

悩ませていたのでございます。

 

1965年9月8日。

芸能界入りを目指す若者たちが愛読する

「デイリー・バラエティ」紙に

新規バンドメンバー募集の広告が掲載されました。

 

米国の音楽出版社

「アルドン・ミュージック」の総帥ドン・カーシュナーと

映像制作会社「スクリーン・ジェムス・コロンビア」の

バート・シュナイダー、ボブ・ラフェルソンとの共同企画で

イギリス勢に対抗するためのTV番組制作し

その中でアイドルグループを売り出そう・・

と、なったわけです。

 

(ゆかいな仲間モンキーズ、ミュージック・ライフ2月号増刊)

 

そうなんです・・・。

目的はビートルズ人気に対抗するための

アイドルグループ作り・・。

 

オーディションに集まった応募者は437人。

ですが

音楽の才能や楽器演奏は二の次で

ルックス、キャラクター優先で選考されたました。

 

ちなみに

参加者の中には

のちにボップスシーンで活躍する

スティーヴン・スティルスや

ポール・ウィリアムスなどもいましたが

ことごとく落選しています。

 

そんなこんなで・・

 

スポンサーの

コロンビア・ピクチャーズが推薦するイギリスの俳優

デイヴィ・ジョーンズはすでに内定してるので

残る436人から選ばれるのはあと3人・・

 

その3人は

ミッキー・ドレンツ(ドラムス)

マイク・ネスミス(ギター)

ピーター・トーク(ベース)

これに

ヴォーカルのデイヴィ・ジョーンズを加えた4人が

「モンキーズ」としてスタートすることになりました。

 

(アルバムジャケットより)

 

こうして

1966年8月16日。

ファースト・アルバム

「The Monkees」(邦題:恋の終列車)

リリース・・・。

 

タイトル曲の「恋の終列車」のシングル盤とともに

全米ナンバーワンヒットとなり

9月にはTV番組「モンキーズ・ショー」がスタート。

関係者の目論見通り

4人は一躍アイドル・スターとなりました。

 

めでたし、めでたし・・・。

 

今では当たり前になっている

TV番組(メディア)と

レコードのセールス・プロモーションをリンクさせ

新人タレントを売り出す・・・

という、メディアミックス戦略は

 

この成功例が下敷きとなっている

とも言えます。

 

モンキーズの楽曲の殆どが

専属のソングライターたちが書き

バックの演奏は

腕に覚えのあるスタジオ・ミュージシャンで固める

これも現在のアイドル戦略ではスタンダードです。

 

ちなみに・・

 

「恋の終列車」のあの印象的なイントロと

全編を通じてのギタープレイは

まだ無名だった頃のジュリー・マギー

はい

ノーキー・エドワーズが抜けた後の

ベンチャーズのリードギターです。

 

では、どちら様も

今日が佳い日でありますように。

 

by どら

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)