村上春樹さんはそのエッセイの中で、

 

 

 

「うなぎ」の大切さをよく語っています。

 

 

 

物語に「うなぎ」が出てくることで、

 

 

 

「書き手」と「読者」の2人で、

 

 

 

出てきた「うなぎ」を一緒に眺めて、

 

 

 

楽しむことができるというのです。

 

 

 

 

 

 

以前、僕は、ただひたすらに、

 

 

 

小説を書いていた時期がありました。

 

 

 

そこでは大小様々な物語を書いたわけですが、

 

 

 

とくに「長いもの」を書くときには、

 

 

 

たしかに「うなぎ」の存在は、

 

 

 

重要になる気がするのです。

 

 

 

 

 

 

「物語を書く」という作業は、

 

 

 

「うなぎ」を「呼び寄せる」作業です。

 

 

 

書き手は「うなぎ」が来てくれるように、

 

 

 

舞台を整え、お膳立てをして、

 

 

 

静かに息を潜め、

 

 

 

近くで待ち伏せておく必要があります。

 

 

 

それを、じっと待つためには、

 

 

 

時間と、根気と、集中力が必要になるため、

 

 

 

書き手は必然的に、

 

 

 

「自分を整える」ことになります。

 

 

 

この場合の「整える」とは、つまり、

 

 

 

体力をつけて、スキルを磨き、

 

 

 

自らの手で経済基盤を整えて、

 

 

 

精神を安定させることを意味するわけですが、

 

 

 

その作業はつまり、「未来の自分」の状態を、

 

 

 

意識的に「先取り」することを意味すると思うのです。

 

 

 

 

 

 

話は変わって「星の世界」のこと。

 

 

 

星はただそこに在るだけで、

 

 

 

何も語ってくれないため、

 

 

 

星は「語り手」を必要とするわけですが、

 

 

 

僕は、星を読みながら、

 

 

 

(あるいは物語を書きながら、)

 

 

 

「うなぎ」的な存在が現れるのを、

 

 

 

じっと待っている「きらい」があります。

 

 

 

誰かのホロスコープを見て、

 

 

 

最初は、できるだけ判断を留保して、

 

 

 

ただ、ただ、それを眺めたのちに、

 

 

 

その人「固有の物語」が立ち上がってきて、

 

 

 

そこに「うなぎ」的な「何か」が、

 

 

 

ぬるりと現れるのを、

 

 

 

じっと待っているのです。

 

 

 

(そして僕は思うのです。)

 

 

 

僕は、それを言葉にできるのだろうか?

 

 

 

語るためのスキルがあるのだろうか?

 

 

 

そもそも、それを語るだけの資格が、

 

 

 

果たして僕には、あるのだろうか?と。

 

 

 

 

 

 

僕らが何かを語るとき。

 

 

 

「うなぎ」はいつだって、その様子を伺って、

 

 

 

そこに行くべきかを、検討しています。

 

 

 

さて、僕たちは、

 

 

 

ここから何を使って、

 

 

 

「うなぎ」を呼び寄せるのか?

 

 

 

まずは、語るべきものを必死で探し、

 

 

 

それを見つけたら、

 

 

 

誠意を尽くして、それを語ってみましょう。

 

 

 

いつかそこに、

 

 

 

「うなぎ」なるものを呼び寄せるために。

 

 

 

それでは今回はこの辺で。

 

 

 

きっと素敵な毎日です。

 

 

 

Kenny(髙木建之介)

 

 

 

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