村上春樹さんはそのエッセイの中で、
「うなぎ」の大切さをよく語っています。
物語に「うなぎ」が出てくることで、
「書き手」と「読者」の2人で、
出てきた「うなぎ」を一緒に眺めて、
楽しむことができるというのです。
☆
以前、僕は、ただひたすらに、
小説を書いていた時期がありました。
そこでは大小様々な物語を書いたわけですが、
とくに「長いもの」を書くときには、
たしかに「うなぎ」の存在は、
重要になる気がするのです。
「物語を書く」という作業は、
「うなぎ」を「呼び寄せる」作業です。
書き手は「うなぎ」が来てくれるように、
舞台を整え、お膳立てをして、
静かに息を潜め、
近くで待ち伏せておく必要があります。
それを、じっと待つためには、
時間と、根気と、集中力が必要になるため、
書き手は必然的に、
「自分を整える」ことになります。
この場合の「整える」とは、つまり、
体力をつけて、スキルを磨き、
自らの手で経済基盤を整えて、
精神を安定させることを意味するわけですが、
その作業はつまり、「未来の自分」の状態を、
意識的に「先取り」することを意味すると思うのです。
話は変わって「星の世界」のこと。
星はただそこに在るだけで、
何も語ってくれないため、
星は「語り手」を必要とするわけですが、
僕は、星を読みながら、
(あるいは物語を書きながら、)
「うなぎ」的な存在が現れるのを、
じっと待っている「きらい」があります。
誰かのホロスコープを見て、
最初は、できるだけ判断を留保して、
ただ、ただ、それを眺めたのちに、
その人「固有の物語」が立ち上がってきて、
そこに「うなぎ」的な「何か」が、
ぬるりと現れるのを、
じっと待っているのです。
(そして僕は思うのです。)
僕は、それを言葉にできるのだろうか?
語るためのスキルがあるのだろうか?
そもそも、それを語るだけの資格が、
果たして僕には、あるのだろうか?と。
☆
僕らが何かを語るとき。
「うなぎ」はいつだって、その様子を伺って、
そこに行くべきかを、検討しています。
さて、僕たちは、
ここから何を使って、
「うなぎ」を呼び寄せるのか?
まずは、語るべきものを必死で探し、
それを見つけたら、
誠意を尽くして、それを語ってみましょう。
いつかそこに、
「うなぎ」なるものを呼び寄せるために。
それでは今回はこの辺で。
きっと素敵な毎日です。
Kenny(髙木建之介)
◆日々の星と、心のこと。
↓
◆最近の記事一覧
↓