もうすぐ今年の新司法試験もフィナーレ。


合格発表が2日後に迫っている。


ぎゃー。




今日は、この数ヶ月間で会った弁護士の話のうち、最も印象に残った話をしておこう。


弁護士F先生(以下、F先生という。)が私にしてくれた話である。


F先生は、佐藤浩一似のオーバー50歳。


酒飲みでありながら腹は出ておらず、サッカーがめちゃくちゃ上手い。


はっきり言って、スーパー弁護士である。


私とF先生とは何回も会っており、飲みにも連れて行ってもらった。


その飲みの席で、弁護士という職業について話題になった。


先生は、自分が思う弁護士という職業について一通り語った後、


私が弁護士に向いているかについて語り出した。


『ガミネは、人として優しすぎる。


おまえが思っている優しさは、弁護士としての優しさではない。


弁護士になってから苦労するだろう。


それでもこの職業を続けられるならば良い弁護士になりそうな気がする。』


私はこれを聞いて驚愕した。


私の性格を完全に見抜かれていたからだ。


私は、この世の中から争いが無くなれば良いと本気で思っている。


事件や事故のニュースなど全く無く、みんなが仲良く平和な毎日がくれば良いと思っている。


完全に小学生の考えである。


私が弁護士になりたいと思った抽象的な理由は、


この世の中からひとつでも争いを消すため、減らすため。


世の中にはあまりに無駄な無益な争いが多すぎるからだ。


目の前に争いがあると、まるで当事者のように介入して争いを解決したくなる。


争いのほとんどは、結局双方に不利益しか与えないと思っているからだ。


けれども、争いのない世の中なんてあり得ない。


争いが必要不可欠なことさえある。


それがわかった。


そして、世の中の争いをまるで当事者のように介入し解決することは、単なるエゴ。


他人の争いは他人事。これが正しい。


それがわかった。


F先生は言った。


『法律相談に来る人ひとりひとりの身になって考える。まるで当事者のように考えてあげる。


それは、聞こえはいい。


だが、そんな弁護士はダメだ。


他人の争いや悩み、問題は、まさに他人事。同じ立場に立ってはいけない。


弁護士は弁護士として彼らに接しなければならない。


自分から助けに行ってはダメ。


その代わり、助けを求められたら、具体的要望が出たら、


法律をもって全力で彼らの力になれ。』




『優しさ。』


この言葉は、色んな意味を持っている。


何が優しさかなんて時、場所、場合によって違う。


弁護士としての優しさ。


それは何なのか。


F先生との会話によって考えさせられた。


簡単ではない。





『私は必ずうまくいく』