星とつながり大地と生きる半農半星生活をしている
今井恵理
です☆


前にFBに投稿したこともあるんだけど、私の名前、よく間違えられます(笑)

恵理が、里恵とか絵里子とか。

字もいろいろで。

基本的に、そういうのに頓着しないタイプなので、どうでもいいんですが。

鑑定後、ものすごい感謝のメールであっても、たまにあるし。

ひとつのメールでも、合ってるところと、間違っているところがあったりして、結構、みんな気にしないもんなのか?と思う。

内容的には、どうでもいいと思って書いてないっていうのは、わかるから、ま、いっかと。

私の名前より、その人のこれからの人生で、どう鑑定が役立つかが重要だしね。

なんなら、私の名前は、忘れてくれてもいい。


ただ、たまに「あかりさん」って間違えられる時があって、その時は実は、嬉しかったりする。

恵理じゃなくて、あかりでやればよかったなーとか思う。


西洋占星術の屋号が「星灯り」で、農園のほうが「あかり農園」なんで、そう思う人もいるんでしょうね。

前置き長いですが、今日は、なんでこんなに「灯り」「あかり」言ってんのか、について書いてみます。

興味ない方は、スルーしてくだされ。


「星灯り」は、人の人生を、星の光が照らしてくれるところからきてます。

太陽や月は、華々しく日々の中で目につきますが、その他の天体も、暗い夜道を照らしてくれます。

古代から、星は人々の暮らしに深い関わりを持っていましたし、季節の動きを、方位を、そして国の動向を示すものとして、人の営みには欠かせませんでした。

それは、実は今も、です。

むしろ、近年は個人の命運を読み解く形で活用できる分、多くの人にとって、使えるツールになっています。

現代社会は、便利ですから、星を頼らなくても生活はできますが、それでも人生の流れの中で道に迷った時には、自分が何者なのか、そしてどこへ行こうとしているのかなど、さまざまなことを指し示してくれます。

そんな星からのメッセージを伝え、足元を照らし、輝く夜明け、昼間、美しい夕暮れ、そしてものみな眠る夜を楽しんでいけるようになったらいいな、という意味がこもっています。

まあ、この辺は、占星術をやっている人なら、よく考えることで、特別ひねってません。

シャレたネーミングセンスとか、持ち合わせてないので。

「あかり農園」は、天台宗開祖の伝教大師・最澄の言葉からいただいています。

『径寸(金銀)十枚、是れ国宝に非ず
 一隅を照らす
 此れ 則ち国宝なりと』


「あかり」なんて出てきませんが、一隅を照らす灯火として、あかりという名前にしました。

別に天台宗の門徒なわけではないのですがね。

私の中で、一隅を照らすっていうのは、高校生くらいからのテーマみたいなものです。

あの頃は、マザーテレサの信仰と活動に光を見い出していて、本気でカトリックの洗礼を受けて、修道女になろうと思って、いろいろ調べてた。

が、マザーが来日した時の、日本の心の貧しさを憂え、愛はまず身のまわりから広げようという趣旨の言葉に、なるほどな、と思い、福祉の道へ。

もっとも苦しんでいる人に手を差し伸べるっていうのは、とても大切だけれど、そのために目の前の人を切り捨てるのは違うから。

なにをもって、もっともか、っていう問いもあるし。

目に映ったのなら、そこに自分の心を注げばいい。

まあ、今思えば、心身障害児者の療護施設や地域作業所の仕事や環境教育のOJTを通して何ができたかって言えば、自分が学ぶことばっかりで、手を差し伸べるより、そこに身を置いたことで、私が救われていたんですがね。

今、こうして星を読んで、お客さんに満足していただけるのも、あの頃の経験があったから。

あれがなかったら、ホント自分は、どうなっていたんだろうと思う。

なーんて、話が横道に反れましたが、自分が身を置く場を明るく照らせるようになりたいっていうところから、あかり農園になりました☆

あと、生まれてこれなかった娘の名前ですね。

たまに、野菜やドライフルーツのご注文で、娘さんの名前があかりちゃんなんですっていう方がいらっしゃって、そういう時は、めちゃくちゃ幸せな気持ちになります。

たーんとお上がり~♪って、あれもこれも入れたくなります(爆)

息子の友だちとかだと、つい会える時には、どこにいるか探しちゃいますね。

命をもって生きるということはできなくても、一緒に人生を歩んでいけたらな、と思っています。

星とつながり、大地と生きる。

まだまだバランスがとれてないっていうか、模索中ですが、自分が身を置く場から、明るいものを世に発信していけたらと思います。


鑑定の詳細はコチラ