自分の話なんか、おもしろくもないだろうと思って書いてみたら、いつもよりたくさん反応が返ってくるので、それなりに書く意味があるってことなんだろうか?

ってことで、星の追い風もあることだし、もういっちょ書いてみます。


昨日は母との関わりなんかを書きました。



じゃ、父はどうかというと、母以上に何でも好きにどうぞどうぞ~♪タイプ。

自分をしっかり持ちながらも、相手を決して意のままにしたりはしないし、自分の領域を冒さない限り、非常に寛大に相手を認めることができる人。

単に放任主義とも言う。

愛情はあっても、それをどう表すかわからないし、ま、とりあえず好きにしな!というタイプでした。(これは、家系における星の遺伝ぽい。)

風のサイン(星座)が強く、湿っぽいこととかシリアスなこととかが居心地悪くてたまらなかったのでしょう。

真剣に話をしても、すべて茶化した反応が返ってくるので、私だけでなく弟も、お父さんは真剣に向き合ってくれない感を与えていました。

日本の父、こういう人多いけど。

変なダジャレで空気を凍らすやつですね。

純粋な善意が、善意として機能しないという哀しいお父さん。


私は、太陽が獅子座で月は蠍座。

父は、太陽が水瓶座で月は獅子座。

母は、太陽が双子座で月も双子座。

弟は、父と同じ。



この中で育つと、私の蠍座の月を満たすことが、非常に困難なのです。

風にあおられて燃え上がる火の中に、水が一滴入るとどうなるか?

勢力的には、水が蒸発するしかない。

水が水としては、存在できないのです。


父のユーモアが、真剣に向き合ってくれない=愛されている実感がないように感じられて、娘自滅するの図。

人は、主観でものを見るので、真実なんてあってないようなものだったりします。

いい人なのも、父なりに何か考えているんだろうくらいのことは幼い私もわかるので、やっぱりここでも、満たされない感を持っている自分に、罪悪感を持つパターンが生れました。


だからといって、家族と仲が悪かったわけじゃないです。

母子家庭で育ち、父親のいる家庭が幸せの象徴だった母のもと、何があろうと家族だけは仲良くやろうね!的ムードの中で育ち、お互いの在り方を認める距離感を保とうとするので、そう大きな問題にはなりませんでしたから。

父の晩年の介護をする母の姿とか、人間としてすごかったです。

お世話になった看護婦さんやケアマネさん、デイサービスの人とかまで、プライベートで来てくれたのは、最後までありのままの父を尊重し続けた母に魅せられてのものでした。



そんなグレートマザーを前に、満たされないとか言っている私は超ヘタレと思っていましたが、繰り返すけれど、単に私の蠍座の月が、浮いてただけ。

でも、その満たされない状態が、私にとっては、ナチュラル。

好きか嫌いか、居心地がいいか悪いかじゃなく、それが当たり前の環境だから。




よく、娘の結婚には父親との関わりが大切みたいな話、ありますが、あれはある程度そうかなと思います。

私が選んだ結婚相手は、太陽が水瓶座で月は獅子座。(←父弟と同じ。父とは誕生日まで同じ。)

実家で本当の意味で心休まる環境が手に入らないのは、生まれちゃったんだから仕方ないですが、だったら結婚相手くらい癒される相手を選びそうなもんですが、そうはいかなかったんですねー。

なんたって、満たさない相手がいるのが、ナチュラルだから!

まあ、私の場合、火星の水瓶座で、水瓶座気質の強い男の人が好みっていうのもあるんですが。

実際、歴代好きになったのは、水瓶座がダントツ1位。

変わり者のアウトローが好きですラブラブ

心は安定とか情の交わし合いを望みながら、なんとも不毛なことよ……。


ただ、夫の場合、生まれてからずっと一緒の家族と違って、育った環境も違うので、ガッツリ月がぶつかりやすいですが。



えー、じゃあ、子どもの頃の環境に左右されてばかりじゃ、望む幸せ手に入らないの?っていうと、それは違います。

違和感を持つことで、自分の何が引っ掛かっているのかわかるし、そこから自分を変えていくことはできるので。

それが、本当の自分の幸せを見つける最短の道だったりします。

あれが感情を満たしてくれる家族関係だったら、私の場合は、たぶん家から出なかったんじゃないですかね。

水星・土星が90度でコミュニケーションは、大きな課題なのですが、居心地良かったら、きっと痛い思いをしたくないので、社会に出て行かなかったろうと思うのです。

満たされないがゆえに、どこかに私の居場所があるんじゃないかと探しにいくわけです。

それが、私の場合は、福祉の仕事だったのですが。




持って生まれた星は、確かにもう動かしようがないんだけど、関係性は変えていくことはできます。

少なくとも、変えていこうと思えるならばですが。

そう思えるかどうかが、縁の深さなのかもしれません。

そして、そこから新しい自分に生きながら生まれ変わることができます。


下のは、そんなことを考えながら、以前書いた絵です。