多分考え方が変わってるのかもしれないなあ
仕事ができる人に仕事を回すことについて
否と言っちゃうんだよね
っていうかさ
何で仕事ができる人に全部仕事をやらせようとするのか
で仕事ができる人の方が自分でペース配分を考えなきゃいけなかったりとかさ
この配分っていうのはさ
断る勇気とか
仕事量を調節してもらうように自分から話すとか
自分の方で対策をとらなきゃいけない
自分のところにいっぱい仕事が来ないように
自分が疲弊しないように
疲れすぎて倒れないように潰されないように
自分で対策を講じなきゃならないっていうのが意味がよくわかんなくて
そういうのも確かに大事なんだけどさ
そこじゃなくねって思ってて
私根本的なところを見るから
対症療法みたいなやり方が好きじゃなくて
一人の人に任せようとするその組織体制が納得いかないというか
仕事はできる人に振ればいいっていう話じゃなくて
それぞれがそれぞれでみんなでやるものじゃん
この人は仕事が早いからと言ってあれこれ仕事を任すのはどうなの?
仕事ができる人だからと言って何でもかんでもその人のところに仕事を振るっていうのも意味がよくわからないのよ
確かに仕事が早く終わる人は手持ち無沙汰になっちゃうかもしれないから
そういう意味で仕事をするのはわかるんだけれども
だからと言って人より倍の仕事をやらせるとかさ
そういうことじゃないよね
うん
もちろん本人の能力にあった仕事は必要ではあるけど
だからと言って何でもかんでもできる人のところに仕事を割り振ってしまうのはどうなの?
頼りがいがあるのは素敵なことではあるんだけどさ
だけどその人に全部お任せしちゃうっていうのはどうなんでしょうね
周りの人たちだってそれぞれお仕事を頑張っているとは思うけれども
それでも仕事ってみんなでやるものだからさ
誰か一人仕事ができる人がいればいいやって話じゃなくて
周りの人たちだってちゃんと自分で努力しなきゃだめでしょ
誰かにおんぶに抱っこじゃだめじゃん
そういうところにおいて私は納得いかないんですよね
できる人の方が自分で対策をとらなきゃいけないみたいなこの感じ
普通に意味がよくわからないし
は?ってなる
よろしくない感じがすごくして
きちんとみんなが向上していかないと意味がないよね
組織ってそういうものじゃない?
エースみたいな人がいてその人が抜けちゃうと困るとかさ
そういうことじゃなくて
もちろん適材適所ってものはあるんだけどさ
そういうのとは別に誰かに任せちゃうっていうのが腑に落ちないんだよね
変なのって思うの
そういう体制変だと思う
これって別に会社とかそういうところだけじゃなくて
目に見えない世界について話す界隈でも同じようなことが起きてんの
もう本当にそういうのがずっと続いてると思う
一般的な社会もそうだし
見えない領域を扱う分野
スピリチュアルとかそういうものにおいても同じようなことが起きてるからね
うん
だから人間の世界って本当にさ
見える世界と見えない世界って分かれてるように思えるけど
そんなことはなく普通に影響しあってるし同じ
ただ見えているか見えていないかとかさ
どこに視点を当ててるかの違いな気がして
同じところに同じように存在してる
見え方、感じ方あとその領域のあり方が違うだけで
だけど同じところにあるよね
同時に存在してるって意味
だから人間の動きを見てると見えない世界がどういう風になっているのか
それが勝手に見えてきちゃう
別に目に見えないものが見えなくても
目に見えない存在の声が聞こえなくても
その見えない領域について語る人たちとかの話から間接的にどういう状況になっているのかがわかる
これは本当に誰でもできると思う
別に人間に備わってる特殊な能力とかそういうものじゃなくて
誰しもできること
ただ観察する
経過を見て
情報を収集する
様々なことを照らし合わせる
結果どうなっているのか
そうやって検証していくと勝手に見えてくる
別にスピリチュアルの知識も何もなくても起きていることだけはわかる
詳しいことはわからなくても大体の方向性のようなもの
こういう目的を持ってこのように動かしてますじゃないけど
なんかそういうものが見えるね
紙に書き出せばシラバスとか
方針とか計画書とかそういう感じのものになるんじゃないかな
そうするとより一層可視化するよね
でも情報だけ集めててもなんとなく見えてくるものはあるよね
あーこの人たちこういうことがしたいんだなーとか
こっちはこういう考え方を持っているのかもしれないなとか
シミュレートしてった先にどうなってくのかみたいな感じのまで考えると
また別の見方もできて
ちなみに私はもうそのどれもがあんまり 合わないというか
それはそれだろうなって思ってるけど
各存在たちがそれぞれに自分たちでやりたいと思っていることがあって
その中で何かしようとしているそれの中身
そこに対して自分自身はそうではないことを思ってたりするのね
その内容に賛同してる人たちとか
初めからそれをやりにやってきてる人たちは
それに参加するなり実行に移せばいいんじゃないかなと思う
それは本人がやりたければやればいいと思うんだ
外野がとやかく言う必要はなくて
もうお好きなように過ごせばいいんじゃないかと思うの
その人の人生なんだからどうぞおやりなさいって話じゃん
私は個人的にあーなるほどねと思うんだけど
なんか自分では違うことがやりたくてしょうがないんだよね
名前から何回か書いてるんだけど
何かに喩えるなら続き物の本の新しいページに移動したくない
全く新しい本の最初の1ページに行きたいわけ
ペラってめくった次のページじゃなくて
全く新しい最初の本
その1ページ目にいたい
だから続き物の上にいるんじゃない
なので新しい章が始まるとかそういう話でもない
初めましての本なのよね
だから存在たちが話していること
その中に自分が望むものが入ってないの
一部は重なってるんだけど
なんか自分の中ではそうじゃないなって感じがあって
だからそこには賛同できないっていうか
私はそこには行きません
やりたいならどうぞやってください
そういう感じに今んところはなってる
いいなと思う部分は自分の中でも取り入れるけど
あくまでも生きているのは私であって
私が好きなように決める
カードリーディングしてる時とかにね
時々
かつての何々に出てくる時があって
それって多分
あるのかないのかよく私には分からないけれども
前世とか過去世とかなんかそういう話を カードがしてる時があって
だけどそれってさ
自分だけど自分じゃない人物なんだよ
だからね
一度かつてからの縁みたいな話をされた時に
私多分ね
本当に変な人なんだと思うんだ
変わった考え方を持ってるんでしょうね
前世、過去世ありきなの?って聞いたことがある
今の私と縁があるというのはかつての前世とか過去世の縁があって今がみたいな話だったからさ
じゃあそれがなかったら今の私とは縁がないということなの?と
今じゃなくて私の知らない私
その私さんとの縁ってことであってさ
今を生きてる私は関係ないよねって話になったわけ
今生きている私自身を見てその上でって言うならわかるんだけど
前の自分とか言われてもさ
は?ってなっちゃってさ
なんか申し訳ないけどそういう縁だったらいりませんみたいな
今の自分と縁を結びたいから縁を結びたいのってならわかるんだけどさ
前にも縁があったから今も縁があるって言われても嬉しくないんだよね
きちんと自分を見てもらってない気がして
本当にあなたと縁を結ぶような相手とかどうかも分かってるのが怪しいし
いやその時出てきたのがさ
名前は出さないんだけど
とある神様だったんだよね
いやいやいやいや
って
何を言っているの?って思っちゃってさ
そもそも私あんまりいい人じゃないからね
清廉潔白でも何でもなく
結構性格の悪い部分もあるしさ
よろしくないこともしたことがある
なので縁を結ぶにあたって
本当に私でいいの?😥っていうのもあって
よく考えた方がいいよってことと
過去世とか前世とか抜きにして
今生きている私自身と本当に縁を結びたいのか
それを聞いたことがある
普通はさ
多分だけど
ありがたいことですとか
畏れ多いことですとかさ
断るにしたってさ
もうちょっとなんか言い方があるだろうし
せっかく縁があるんだよって言ってるくれてるのに
それをね
ちょっと待ってと
思い直すようにするというか
ちょっぴり拒絶気味になるとか
なんで今起きている私自身を見てないのだろうかとか
そういう風に言う人はあんまりいないと思うの
もちろん私も畏れ多いとは思ったけどね
けど大体は喜ぶとかさ
嬉しいとかさ
もしくはさっき言ったみたいに恐縮です とかさ
かしこまることが多いのかもしれないんだけど
どうしても私の中ではスッキリしなくて
嫌だって思っちゃったんだよね
だって前世の私は前世の私だし
過去世の私は過去世の人たちのものじゃん
私だったとしても私じゃなくない?
その経験があったとはいえ
今を生きてるのは過去世の私でもないし 前世の私でもないの
スピリチュアルって結構前世とか過去世の自分自身を思い出して生きることが本当に多いじゃん
別にそれを思い出すことが全てじゃないので
思い出さなくてもいいんだけど
でも思い出そうとする人が多いし
なんとなく
だけどそれはそうじゃないとは思うんだけど
過去世とか前世の自分を生きてるような?
今起きてるのは今世の私なのに
なんか前とか過去世のその時の自分自身を今世の私がやってるみたいな
前世や過去世の自分自身がやれなかったことを今の自分がやってるみたいなことを言われてたりするけどさ
それもあるかもしれないけど
そしてそれがダメって話じゃないけど
でも今起きてるのは自分自身じゃん
私は前世とか過去世の延長線にいる生き物じゃないの
前世は前世、過去世は過去世
繋がりがあったとしても
そのつながりは影響を受けるとかそういう意味ぐらいで
ずっと繋がってるって感じではない
この繋がりっていうのがちょっと表現しづらくてね
ブチブチって切れてるわけじゃなくて
今の私自身は前世とか過去世のために生きてるわけじゃないってこと
今を生きている自分のために生きてるわけで
過去世とか前世とかの私のために今の私がいるわけじゃない
だってそうなっちゃったら今の私ってさ
前世とか過去世ありきの自分なんだよね
ってことは
前世や過去世の自分がいないと今の私はいないとか
今の私がいる意味がないとかね
今の自分がいるのは前の自分がいてこそみたいな感じになっちゃうのよ
もちろんさ人間の世界で
ご先祖様とかそういう話あるじゃない
そういうご先祖様がいたから自分の両親の両親が生まれて
でさらに両親が生まれたから今の自分がいるっていうそれもわかるんだけどさ
確かにそれはそうなんだけども
それでもやっぱり今を生きてるのは自分なんだよね
過去世の私でもないし前世の私でもないんだよ
だから今を生きている自分自身のことをきちんと見てその上でだったら
もう一度お友達になろうよっていう話になったわけ
だって私にはその神様のことなんて全然覚えてないし
以前お世話になりましたじゃないけどさ
そんなこと言われても知らないじゃん
あなたが覚えていないだけだよって言われても
覚えてないってことは知らないってことなんだからさ
初めましては初めましてなんだよね
しょうがないじゃん
全くもって記憶にないんだから
そんでもって今世生きてきてる中で
何かしらその神様に触れる機会とかあればまだわかるんだけど
今現在まで生きてきてる中で
お知り合いになるような出来事もないし
そんなこと言われても知らんがなって話じゃん
神様に対して知らんがなっていうのもどうなの?って言われそうだけど
でも神様も普通の人間と変わらないからさ
私には神様だろうと何だろうと普通の人間と変わんない
見えているか見えていないかとかさ
そういう感じなのよね
接し方は変わらない
だからと言って雑に扱うってわけではない
それに相手を敬うってごく自然なこと
そういう感じでね
極端に何か崇め奉るようなことはしないし
自分の上や自分の中心に持ってくるとかそういうことはしないかな
そもそも上も下もないし
自分の中心に持ってくるのは自分だからね
だからと言ってこれは自己中心的になれとかそういう意味じゃないんだけど
結局何か決めるのも全部自分だからさ
自分の中に誰かを入れちゃったらその人になっちゃうんだよね
あくまでも自分の中心にいるのは自分
というような感じでね
多分なんかちょっと違うと思う
スピリチュアルについては全然わかんないけど
でも多分
その目に見えない世界について話している人たちとは異なってるとは思う
おそらくね
スピリチュアルがさ
ぶつかり合ってる感じがすごいある
見えないものを大事にしてる割に
見えないもので人を傷つけたりとかさ
見えないもので張り合ってたりとかさ
見えないもので攻撃するっていうか
なんかよくわかんないんだよね
どっちが正解とか間違いとかさ
こうなりたくなければこうしなさいとかさ
うまくいかないようにしたり
それを解除してみたりとかさ
何て言うんだろう
傍から見てると
何やってるんだろうなって思って
別に悪口じゃないんだけど
でも普通に思ったことを言うなら
これは悪口じゃなくて感想ね
アホくさ
意味不明
呆れるし
そういう行いを見るとやっぱりなんて言うんだろうね
愚かしいなって思う
なんでこんなにも目に見えない領域について長けてる人たちが
その見えないものを使って争い事をしてるのか意味がよく分かりません
私も愚かな部分があるので別に誰かを批難してるわけじゃないんだけどさ
それにしてもなんかね
分かってるのになんでそんなことをするの?
だからいつも思うのは本当にそれがやりたいの?とね
そんなことをやるためにあなたはここに生まれてきているの?
くだらなすぎると思っちゃって
けどくだらないっていうそれは私の考えだからさ
本人はそうじゃないのかもしれない
ただどう見ても
自分のためにもならないし相手のためにもならないし
全体的に見ても
良い行いとは思えないことをやってたりするからさ
しかもそういうのを平気でさ
正当化するじゃないけど
神聖な行いであるかのように発信してしまえるそれがすごいなと思う
でも本人は正当化と言う意図はまるでないし
本当に神聖な行いだと思ってたりするじゃん
その思い込みって怖いなって思う
だけど本人がそう思ってるだけで
それが本当にそうなのかどうかっていうのはまた別の話だから
この辺本当に厄介だと思う
この意識レベル帯に居たくなくて
別のところに行きたいなって思ってる自分がいる
でもこの層多分結構広いんだよね
かなりの層を網羅してるんじゃないのかなって思う
グラデーションになってて
なんとなくそのグラデーションそれぞれが別の場所のように言われてるけれども
別々の場所のようで実は同じものって感じがすごいする
その同じところで層があって
その各層ごとで見るから
別の場所のように見えてるけど
実は本当は同じもので
ただ層が異なる
別の場所にあるわけじゃないというか
スピリチュアルって何だろう
そこどまりになっちゃうんだよね
なんだかよくわかんないけど
スピリチュアルってどうしても目に見えない壁がある
まぢでそれはずっと前から言ってるんだけど
本当に見えない壁があって
狭いんだよね
表現しがたいんだけど
行けない場所がある
本当はそんなところないのに制限がかかってる感じがある
途中までしか行けない感じ
自分たちが雲だったとしたら圏界面みたいに
空に天井があってそこから先には進めない
だから横に伸びるしかない
これから暑くなってくるから
雲を観察してると空の天井が見えるはず
スピリチュアルも同じ
見えない壁が本当にあって
なんかその壁の内側だけで
全てを知ったような気になってるような
私も知らないよ
知らないんだけどなんかそんな空気感なんだよね
その先があるはずなのに
なんかその先を知らされてないというか
なんでかわかんないけど
枠の中だけで完結させちゃってる
それが時々なんかもったいないなって思う
それでいいんだ?
それで満足なのか
別にこれは欲求とかそういう話じゃないんだけどさ
可能性というか
元々の状態を知らないままに?
知らないままって言っていいのかもちょっと何とも言えないんだけどね
本来の状態に戻れなくなっちゃってる感じはすごくする
だからスピリチュアルの質が悪くて
内容が良くないというか
大事な部分が抜け切っちゃってるっていうかさ
中身があんまないよね
だから誰かを攻撃するようなスピリチュアルをやってみたり
スピリチュアル同士が反発して
スピリチュアル同士で対立じゃないけどさ
お互いがお互いの足を引っ張るというか
何やってんの?って話じゃん
自分のスピリチュアルが正しいとか
正しいも間違いも何にもないのに
なんかあのスピリチュアルは悪で
このスピリチュアルは良いもので
というような感じになっちゃってるんだよね
こうなっちゃうのはこの世界が二元性の世界だからなのか何なのか
自分で言ってて疑問に思うんだけどさ
何でもかんでも二元性のせいにするっていうのもなんかどうなんだろう?って思うの
でも反対のものがある世界だからなっていうのもあって
やっぱりこういうところもそうなってしまう要因の一つなのかな?とか考えてしまったりするんだよね
それにしたって何なんだろうね?
このいがみ合いみたいなやつ
本質ってそういうところなんだっけ?
私にはよくわからない
ちなみに神聖なものが全部光になるのも 意味がよくわからない
スピリチュアルって光と闇が本当に好きなのかなんなのか
自分たちを光の存在にすることが本当に好きだよね
いや別に光の存在っていうこと自体を否定してるわけじゃないし
光の存在であることにはおそらく間違いはないとは思うんだけども
でもその光と闇とかの光じゃないよね?その光って
なんかさ
光と闇の光になっちゃってるような?
その上意識の中で光が良いものであり闇は悪意を持ったものって言う認識でいる感じじゃない
個人的には光と闇の話であれば
光にも闇にも善意も悪意もある
どっちにもあると思う
光が正しいことをする存在で闇は道にそれた行いをするものって思ってるよね
闇は全部魔だと思ってると思う
光の中にも魔はあるし
むしろ逆に光の方に厄介な部分がある気がする
めんどくせーって思うことがいっぱいある
光に扮した闇とかそういうことじゃないんだよね、これは
そもそも光とか闇とかないからさ
どこから出てきた概念なのか知らんけど
光は善良であるっていう考え方はいい加減にやめたほうがいいんじゃないかなと思ってる
闇は悪意を持ってて穢らわしい存在で邪悪に満ちているみたいなやつ
そんなことはないと思うんだけど
本当に本当の本当に
闇ってそういうものだっけ?
その光と闇に対する印象
それへのラベリングってどこで始まったんだろうね?
なんか色々と疑問を抱くんだよね
スピリチュアルってさ
だからなんかものすごく狭いの
さっきの前世、過去世の話にしろ
スピリチュアルって範囲が限定されてるっていうのかな?
どう見てもそこどまりにしかならない感じで
その中で完結させたいなら
それが好きな人たちでやればいいと思ってて
だから私は違う本の1ページ目に行こうとしてるの
無理だもん
この世界の出来事も
人々がそれぞれに話すスピリチュアルの話も
何かの物語の中みたいな感じ
もしくは人それぞれのレシピみたいなね
楽譜みたいなものでもいいけど
でもこれってほら
同じストーリーでも全然違ったりするじゃん
同じレシピでも作る人によって味が変わるじゃん
音楽もそうだよね
楽譜通りに演奏しても同じにはならない
人間も存在もそもそものその存在自体がそれぞれに個性があって
同じだけど同じじゃないから
でも元々は一つ
なんか不思議だよね
自分で書いててもよくわかんなくなってきたけどさ
おそらく私は変わった考え方を持ってる人だと思う
自分で言うのもどうなんだろうなと思うけど
でもあんまりこういう話聞かないんだよね
そうそう
それでさ
いけない、いけない
仕事を割り振る話だったよね
これは何でスピリチュアルに関係してるのかってことを書こうと思ってたのに
完全のところを書き忘れちゃってたね
スピリチュアルってさ
スピリチュアルの発信をする人とかさ
あとは前世とか過去世とか関係してしまうけど
前世や過去世でどこかの神様の巫女をやってたとかさ
御神託をおろすような事をしてましたとか
そういう経験を持つ人とか
そう言う神社ではない巫女だったことのある魂を持った人とか
昔々にあった文明の神官とか
シャーマン的なことをやってたとか
その経験の有無があろうとなかろうと
そういう言葉をおろす人とか
スピリチュアル的な発信をして
人々の意識をより良い方へ促すとか
そういうことを行なっている人たち
そういう人たちに任せておけばいいって思ってたり
そういう人たちの話を聞いてその通りにしておけばいいやとか
自分のことなのに自分のこととは思ってない感じがあったりさ
あとは存在の方でも
神様の代わりにいろいろやってくれる人間に頼りがち
どうにかしてくださいみたいな
なんじゃそりゃと思ってて
そういうことができる人たちにやることが集中する
それが私には会社のエースみたいな感じでさ
できる人のところに(やることが)集まってくるっていうか
スピリチュアルの場合は人もだけど
自分で考えるってよりも
誰かの発信とか
神様の言葉とか
そういうものに頼りがち
指針がほしくてしょうがないみたいな?
目標とか目的とかそういうものが明確化されてて
掲げられているものがないと動けない
達成目標とか
目安となるものがあったりすると分かりやすかったり
動きやすかったりさ
自分の中で人生のテーマみたいなものがあってさ
それは自分で設定できるものね
例えば私はこの人生を軽やかに過ごしたいとかね
だから軽やかになるようにしていくためにはどうして行ったらいいだろう
こういう感じで何かしらのテーマを決めてたりすると
それに沿って動くから動きやすいし
やりがいがあると楽しくもなる
どうしたら軽やかでいられるのか
それは自分だけが軽やかでも周りが軽やかじゃないとダメだなとかね
じゃあ周りも軽やかにしていくにはどうしようかとか
何をもって軽やかと思うのかはその人次第だけど
とりあえずこういう感じで何か決まってると動きやすかったり
何をすればいいのかがわかるからいいとは思うんだけど
でもそれはさ
誰かの言葉を待ってるとかじゃなくて
自分で決めちゃってもいいと思うんだよね
スピリチュアルってアセンションの話がめっちゃ出てくるけどさ
流行りなのか何なのか知らないけれども
ものすごく言われてるじゃない
それを成功させたい
そのためにはどうすればいいのかと言う話があちこちでされてて
でこのアセンションは計画であり
以前から決まっていて
とかそういう話を聞く
誰が決めたの?ってツッコミたくなるけど
それは一旦置いとくとして
このアセンションについてもさ
どうして行ったらいいのか?っていうその指針を誰かに求めてる
大きな流れの中でその流れの中身を知りたいとかさ
どうして行ったらその流れに乗れるのか とかさ
でもそれはでそうなってるからそうするんじゃなくて
自分がそうしたいからどうしたらいい?っていうならわかるんだけどさ
ずっと流されてる感じがあるのよ
この人類
誰かがそう言ったから
じゃあそうなんだ
それをやらなきゃいけないね
そうしようみたいな感じなの
だけど私はそうじゃないと思うんだ
この話を聞いて
ああそうなんだ
自分はそれについてどう思うのかな
私はそれをやりたいのか、やりたくないのか
そういうところの問いから始まらないで
とにかくやらなきゃいけないからやらなきゃいけないよね
そう決まってるならそれをやらなくちゃいけないよね?みたいな感じになってたり
みんながやってるなら私もそれをやらなくちゃとか(焦り)
周りがやってるんだったら私もやらなきゃいけない(自分で自分を脅す)
そうしなくちゃいけないっていう思い込みだったり
それは別にやってもやらなくてもどっちでもいいわけで
それをやるかやらないかはその人が決めること
でもスピリチュアルってね
どっちかの選択を出して
こっちだと〇〇
こっちだと●●
こういう感じでね
この先の話をしたりする
なんかそれが揺さぶりにもになってしまって
結局いつも二者択一でさ
どちらか一方がよくてどちらか一方がそうじゃないみたいな感じになっちゃってる雰囲気がね
どうなんだろうって思う
だから余計にそれって本当にやりたいことなのかな?とか
そうなってしまう要因って何なんだろうと思ったり
なので二元制の世界だから?と思ったりするんだよね
だけど本当に❝それだけなのか❞はちょっとよくわかんないけどね
でもこんな風に話されるから
じゃあ急いで何とかしなきゃとかさ
私はそっちに行きたくないからこっちを選択するとか
こっちを選択したけど
本当にこの道に進むためにはどうしたらいいんだとかさ
他が提示した中から選んでいるので
自分で決めているようで自分で決めてないから
自分の答えじゃない
差し迫った状況でそうなっただけっていう
自分の中から出した答えじゃないから
自分でもどうしていいのかわからないっていう状態になっちゃってる
これが一番問題だと思ってる
そうやって何かに振り回されちゃって
どうしたらいいんだろう?ってなってるから
何かしらの特殊な能力のある人のところに行くとかさ
神様から言葉をもらえる人の言葉を待ってるとか
そういうものについ走りがちになる
そういう状況になっちゃってるから自分のことなのに自分のことじゃなくなっちゃってて
誰かが何とかしてくれるとかさ
誰かに頼らないとできないとか
あとはその逆に自分が何とかしなくちゃいけないとかさ
謎の使命感にとらわれたりとかね
そうやるのが自分の天命なんだとかさ
本当にそれがそうなのかよくわからないままに動いたりとか
時に確信も確証もないまま動く必要が出てくる時もあるんだけどさ
後からわかることもあるから
だけどもそれでも
立ち止まって考えたりする事って大事なんだよね
でもなんでなんだかわかんないけどさ
いついつまでに何々をしなきゃいけないとか
謎の期日があったりとか
変なチェックシートみたいなものがあったりとかさ
合格者がいるいないとか
あなたは選ばれし者なんだとかさ
なんかそういう選民的?な感じのとか
スピリチュアルって変なのが多すぎて
そういうものに踊らされてきちんと自分の人生を歩めていない人も中にはいるんじゃないかなと
気をつけないとさ
自分がいいと思ってやったことが実は何者かによって動かされてるだけってこともなきにしもならずだし
だから自分の中心に置くのは自分だけ
他じゃないんだよね
揺らがずに自分は持ってなきゃいけない
スピリチュアルって中には神様に自分を使ってくださいみたいなのがあったりするけどさ
それって時に危険だと思うの
そんな簡単に明け渡しちゃいけないと思うんだよね
自分をどうにかしてくださいなんてさ
好きに使っていいよなんて
それが人類のためっていう言葉を自分自身が使っていようとも
知らない間に変な存在に動かされてたら嫌じゃない?
しかも地球って多元的でさ
様々なものが同時に存在してるし
だからなおさら気をつけないとならないなっていう感じにもなる
特にスピリチュアルって何度も書いてるけど
すごく狭い中で色々やってるから
それに概念お化けがいるんだよね
何を思い込んでるのか
あるいは何を思い込まされてるのか
スピリチュアルってイメージの世界でしょう?
だからなおさらイメージしてるものとか
思い込まされてたりして思い描いているもの
それを具現化しやすい
だからこそ余計に厄介なんだよね
誰が何の目的でそれをやってるのか謎だけど
人間の意識の中にとんでもなくめんどくさいものを残してくれたなと思って
その概念が邪魔
固定観念もあるけど
共通認識で思っているものの中に
もう不要なものもいっぱいあると思うし
本来ないものまであるようにしてるから
そこに気づくことができたらまた視界がクリアになるのではなかろうかと
それに気づくのって自分で自分のことを見たり
誰かに流されない
誰かに何かしようと思うんじゃない
霊能者のことをすごいと思ってたり
神様ってすごいなって思ってる
それすごいと思う気持ちをダメって言ってるわけじゃなくて
みんなすごいってこと
そもそもスピリチュアルってさ
そういう能力のある人だけが扱える領域の話じゃないしね
私みたいに全く知らない人でも
ある程度理解はできるし
同じスピリチュアルの内容を話していても
その質についても理科の実験のように観察すれば気づける
本当になんてことない世界
そして思う
不思議な能力は全く関係ないなって
だってそこが大事なわけじゃないからね
それこそ目に見えない世界の見えている部分だけを見て判断してるようなものだから
能力って目に見えないけれども でもその人が行うこと
その行動や行為そのもので可視化されるじゃん
話す、書くなど外側に向かって表現することで感じ取れるので
そこからどういうことなのかある程度は見えてくるから
誰でも観察してれば理解できるようになる
そしてそこに特殊な能力がいらない
人に備わっている観察力とか推理力とか洞察力とかそういうものだから
こういうのって資質だから素質関係ないじゃん
元々の自分の性質じゃないので
ただ向き不向きなどの傾向はあるかもしれないけどね
それでも後天的に努力すれば身につけられるものだし
やろうと思えば誰でもできること
スピリチュアルでは考えることが良くないって言われたりするけど
でも思考停止になることはよろしくない
きちんと考えなきゃいけない時は考えないとダメだし
そう思うとちょっとスピリチュアルって極端だよね
白黒じゃないよとか
0、100じゃないよって言う割に
結構白黒はっきりさせるし
0か100かって感じがする
だから二極化とすごく言ってくるし
どっちかと言う話が本当に多い
そういうのに飲まれていくと
そうなっちゃうから
だからそうならないように自分でよく考える必要があるし
もうそういうのをやめようって言う割には
結局それを繰り返してる
なので私はそれには賛同できないなと
また同じことを繰り返すだけだから
じゃあ私はよくわかってないけれども
その流れの中にもし自分がいるとしたら
じゃあそこから1抜けたって感じ
自分で独自に自分なりの道を歩んでいくので
別に同じじゃなくていいです☺️って感じかな
なので全く違う本の
どの話にも繋がってない
私だけの本
その何も書かれてない
新しいページの1枚目に居たいなと
そう思ったんだよね
続きものの新章でもなくて
同じ本の次のページでもない
で、結論何が言いたいかというと
できる人にやらせるんじゃなくてみんなでやる
みんなが努力しなきゃいけない
誰か一人に任せきりになるのではなくて
やれる人がやるんじゃなくて
みんながやらなきゃいけないこと
それは誰かに頼るなって話じゃなくて
仕事は分担してやるものだし
1人に任せきりにするものじゃない
それは目に見える世界でも目に見えない世界でも同じ
できる人がやればそれでいいではなくて
個々人でもやること
特に目に見えない世界については
自分の人生なんだから
自分で決めていいし
好きなようにやっていいわけで
自分の人生を他に預けない
宇宙に委ねようとかそういうこと言うとさ
何でもかんでも身を委ねればいい?って思うのかもしれない
でも中にはそもそもどうやって委ねるんだろうって思う人もいると思う
ちなみに私はどうやって委ねるんだろうなって思ってるタイプ
それは一旦置いとくとしてもさ
極端に何でもホイって委ねりゃいいってものじゃない
他人任せと委ねるってまた違うと思う
流れに身を任せるっていう言葉もあるけど
でもそれは流されていいって話じゃない
自分の手綱は自分が持ってる状態だから
また流れについても
自分がその流れに巻き込まれるんじゃなくて
自分はその流れをつかんで自分で動かす
その流れに乗るのは自分の意思であって
流れに自分が巻き込まれる形じゃない
存在も人間も誰かに頼りきりじゃなくて
人間は何か特殊な能力のある人にすがりがちだし
どうにかしてもらおうと思ったり
それを改めて行かなきゃいけないよね
反対に能力のある人の方はどうにかしなきゃいけないって思っちゃったり
私が何とかしなきゃいけないとか
それもよく考えなきゃいけないところ
本当に助けなきゃいけないのか
言い方が悪いけど救う必要があるのか
そこの判断を下す時はよく考えなきゃいけないよね
別に見捨てろとかそういう話じゃなくて
この世界って全部必要なことしか起きないって言われてるでしょ?
もしそれが本当にそうなのであれば
そういうことなんじゃないの?
それは本人が自分で解決しなきゃいけない話
いつまでも誰かが何かをしてたら
いつまでたってもその人が学べない
そういうことも考えられなくもない
まあ人によっちゃそれが冷たく見えたり
見捨ててるように見えるかもしれないけどね
その辺のさじ加減ってちょっと難しいから何とも言えないけど
あとただ搾取するためだけの人には自分の時間や心を砕いて分け与えてあげる必要ないと思うんだ
やってもらって当たり前だと思ってる人に
何をしても自分がどんどん減り続けるだけだから
そういう人はただ貪り食ってるだけなので
害でしかないからさ
距離を取らないと自分がおかしくなっちゃう
そういうこともあるのでね
よく考えないとなんない
存在の方は存在の方でさ
できる人に何でもかんでも頼むのもどうなんだろうと思うわけ
これをやってください
あれをやってください
こうしてくださいみたいなやつ
人間の体って一つしかないしさ
その人の人生を神様のためだけに捧げるってのもよくわからんのよね
それが本人がやりたいことであればそれがその人にとっての経験だから
外野が何か言うなんておかしい話ではあるんだけどさ
それでも思っちゃうことがあるんだよね
本来それってさ
誰か一人に背負わせるものじゃないと思うんだ
本当はみんなでやった方がいいはずで
そうできてないことを反省しなきゃいけないよね
それは存在もだし
私を含めた人類全員がね
スピリチュアルのことを知っていようと知っていなかろうと
そうなっちゃってることは事実だし
現実の世界でも会社で仕事ができる人に仕事が集中しがちになること
それとあまり変わらないような気がするの
ただ内容が異なってるだけで
そしてその指示を出しているのが目に見えない存在ってだけであって
やってることは変わらない
人の世界から目に見えない世界のことがわかる
何気に共通してる事っていっぱいあるからさ
フラクタル構造?なのかなんなのか
この辺もよくわかってないから間違って使ってるかもしれないけど
でも似通ってると思うよ
考え方を改めなきゃいけない時に来てる
というかそれはもう結構前から
そしてこの考え方を変えるのは人間だけじゃなくて
目に見えない存在も
ちなみにスピリチュアルが狭いって言ったのはイメージの世界だから
イメージしなかったら
じゃあどうなるの?ってならない
イメージが見せてるもの
それがなくなった時
じゃあ何が見えてくるの?
この世界って一体何でできてるんだろうなとかさ
なんかイメージを超えた先がありそうな気がするんだ
そのイメージの中だけで完結させようとすると
見えてこないものもありそうな気がして
イメージの限界がある感じもするんだよね
イメージできるものはあるんだけどさ
なんだろうね?この何とも言えない感覚
見えない領域で何かを見てきたとかあるじゃん
でもそれって本当にイメージじゃないものなのか
それともイメージされたものがそうなったのか
それの確かめようってないし
うーん
何とも言えないね
だけどイメージだけの世界だと見えてこないものはあると思う
反対にイメージの世界だからこそ
イメージしない世界ではできなかったことができるなんてこともいっぱいあるだろうしね
それは制限があるからこそ体験できることでもある気がする
あと思うこと
これはそれが悪いとかダメとかそう言うことではないけど
現世でのみの利益
現実を良くするとか
好転させたいって言う願望
良くない状況を変えたいってのはごく普通で
至極当然だと思うの
でも
お金じゃない
大事なのはやっぱり心
モノより命だし
大切なものって
そう言うことじゃない
もちろん生活を潤す豊かさは大事
衣食足りて礼節を知るとも言うし
質素な生活をしろとか
お金持ちになることが悪とか
そう言う話ではないし
稼ぐことがいけないってことでもない
ただ大事ものはやっぱり目に見えないところにあるなって思う
時折スピリチュアルって願望実現の為のみに割り振られて話が進められてるものもあるように思う
引き寄せの法則についても
客寄せパンダとして
人を集めて儲ける為の一つの方法として使われてる手法みたいに成り下がってる部分もあるし
もとの価値や意味が人の欲望によって大分下がってるような?
見た目だけは法則の体を取ってるけど中身がないものが多いなって感じがする
だから闇が深いと思うし
引き寄せの法則をスピリチュアルだというなら
見えない領域に触れてるから該当してるだけで
これそのものをスピリチュアルと言うなら
だいぶ中身がスッカスカだと個人的には思う
これスピリチュアルでもなんでもないもの
変な話目に見えないものなら何でもスピリチュアルって言ってるようなもので
金と言いながら純度が低くて混じり気の多い粗悪なものが混じってるようなもの
ただ目に見えない領域の一部に触れてるからスピリチュアルの仲間として扱われてるってだけな気がして仕方ない
この世界(宇宙)は何をしたって構わないんだけどさ
それが本当にやりたいことなのかはよく考えた方が良いよね
一次的な欲求の為に自分を偽ったり
自分を裏切るようなことをするのはよした方がよさそうだよね
私個人的には自分の中に判断基準を設けるとしたら
今世を終える際に
自分に胸を張って
誇れる人生だったと言えるのか
そこかなぁ
物質的な面で豊かになっても
心が豊かでなければ。。。って私は思うんだよね
あくまでも私はってことだから
別にそうあれとか
そうでなくてはいけないってわけじゃない
ただ私は精神的な面での豊かさって結構大事なことだと思ってるってだけ