

多分
スピリチュアルも変わって来てるんだろうな
例えるものは何でも構わないけど
たまたま頭に浮かんだのが色鉛筆だからそれにしよう
鉛筆そのものがスピリチュアル
でも何色の鉛筆で描くかは人それぞれ
各鉛筆の色がスピリチュアルで話していることの中身の違い
たくさんのカラフルな鉛筆(スピリチュアルについての話)があって
その中からどれを信じるか、何が心地良いかと言うことになっているのかもしれない???
ちなみに私はどの話もそうなんだって思ってる
良いなと思うものもそうじゃないのも含めて
全部ひっくるめてそうなんだって思ってる
そしてそれぞれの真意が知りたくて仕方ない
なぜそうするのか
そうするのはどうしてなのか
なんで?と言う疑問は尽きない
でも所詮それは他人の事、他人のもの
だから分からない
表面的なところだけでは納得が出来ない
もっと深い部分での意図
そこを見ないと
なぜ❝そうなるのか❞が掴めない
一言でここはそう言う場だからで簡単に、けれども雑に、でも確かにそうとも言える答え(予想)を出すことはできる
でもあくまでも想像できる範囲で
しかもこれはスピリチュアルの知識が皆無な私が
スピリチュアルについて見知ったことの中から人々は何を信じているのか、その傾向を汲み取って恐らくそうなのだろうと判断してるだけ
簡単に言うと教科書を読んで歴史を知るとかテレビを見てそうなんだって思ってるのと同じで
そこで知ったことをベースに恐らくこういうことなのではなかろうかと当たりをつけているだけなので
❝実際はどうなのか❞ここについては全くもって分からない
でもスピリチュアルもそれと大差ないと思ってる
誰か(発信者)の話を聞いている側
テレビなら視聴者、ラジオならリスナー、新聞なら読者
テレビ、ラジオ、新聞から何を得て何を信じるのか
結局スピリチュアルも現実で行われていることと変わらない
中身はニュースではないから異なるけどやり方や情報の取捨選択は日常の生活となんにも違いがない
とにかく事の真意が読み取り難い
目に見えない領域の話だから尚更
けれども話す内容の傾向から、またその話をするその人自身から
目に見えない世界がどのような状態なのか
どう言う世界観で推移してるのか
その片鱗は見えるかも
確定させてはいないけどね
でももしもそうだったとしたら
私にとってはとても残念な世界
だから余計にその真意が知りたくなる
なんでこうなっているのか
気に入らない表現になるかもしれないけど
どうしてそうなってしまっている?
責めてるわけではなく
また否定しているわけでもない
ただあり方が気になる
だから本当にそれがやりたいことなのか?と問いたくなる
答えの出ない問い
ましてやそれらは全部自分の外側にあるもの
確かに私の受け取り方によって感じ方やものの見え方は変わる
そう言う意味では自分の感覚が影響を与えているけれど
でも間接的に得たものであることには変わらない
スピリチュアルの話はどれも旅行会社が用意する旅行プランを見てどこに行こうかなぁ、どれにしようかなぁとか
スーパーで売ってる野菜などを吟味してるような感覚に近いものを感じるの
誰かが書いた本を読んで感想を持つ
まさにそれと同じことが発生してる
だから自分で自分が思うもの
他の誰でもない
私だけの
私を通した
目に見えない世界はどうなのか
真意が分からないなら
残念な世界だなって思ってしまう私自身で
本当にこの世界って残念なのか
スピリチュアルが嫌い
高次元の存在なども嫌い
なんかすごく複雑で
大事な部分が見えてこなくて
疲れるだけのスピリチュアル
人がどうしても高次元存在の人形のような扱いを受けてるような
どうしてもそういう感じに捉えてしまう自分自身がいて
目に見えない存在も人間と変わらないし
なんなら今のこの人間の社会は高次元存在そのもののあり方とも言える気がしてならなくて
そう思う自分自身がいて
それが本当にそうだったとしたら
なんかもうここそのものが嫌い
嫌でしょうがなくなる
見えない世界そのもの自体が口が悪いけどクソくらえって気分になってきて😂
どこが神聖なんだよこの野郎みたいな?😅
だからこそ
めっちゃ半信半疑なんだけど
私を通したらどうなるのか
嫌で仕方がなくなる
スピリチュアルそれそのもの
ここについての感じ方
それについて本当にそうなのか
確かめたくなる
他者が話すことの真意も含め
ただ私自身がさ
こういうこと書きながら
半信半疑なんだよね
この世界のことそのものについては別に疑ってるわけじゃなくて
どっちかって言うと自分自身に対しての疑いが強くて
本当かよ?
って思ってる
カードリーディングしててもこれ本当にそうなのかな?
都合よく解釈してリーディングしてないかな?
本当にこのカードってそういうこと言ってる?
でも確かにそういう風に読めなくもないんだけどどうなんだろう?とね
自分で自分のことを信じることが難しい
カードさんたちそのものを信じてないわけじゃなくて
自分自身の感覚そのものを疑ってる
そういう意味での半信半疑
神社で不思議な写真が撮れたとしても
え、これ本当にそうなのかな?
光の加減でそうなってるわけではなく?と
その神社そのものに神気がないというわけじゃない
そういう意味じゃなくて
神様がいないとかそういう話じゃなくて
不思議な写真=神がいるとか、すごいエネルギーとかそういう話じゃない
そもそも本当にそれがそういうものが可視化されているかどうかはきちんと検証 しなきゃいけないこと
そういうものが撮れるからそういう写真を撮った人は本物なんだって思われても困るしね
そういう不思議なものが撮れる、そういうものが撮影できる
それだけで人ってすぐテンション上がるじゃん
そこに群がるというか
それがいけないってわけじゃなくて
それはスピリチュアルの本質か?と言う問い
大事なのってそういうものなの?
見えないものが見えること
可視化されること
それのどこにスピリチュアリティを感じるのかが分からない
ただ目に見えないものが見えてるだけ
ただそれだけ
だから何なの?
それが見えているからなんだと言うの?
それの何が着目ポイント?
どこに大事なものがある?
ただ見えてないものが見えているだけっていう事実
これは確かにすごいとは思うけども
そこに何を感じてるのか
そこのどこら辺に大切なものがあるのか
それがよくわからない
見えるようにしてくれたこと?
その配慮に感謝?
目に見えない世界が自分たちの世界に近づいてきている?
人側に寄せてきてくれてる
つまり歩み寄ってるような?
それがありがたい?とか??
その兆しとか印(しるし)として
本来は見えない姿なのに見せてくれて感謝?
そういうこと?
でもそれはある意味では
限りなく人間の世界に近くなっていたとして
目に見えないものが見やすくなる
それはその存在たちのあり方がどのように変わっているのかにもよって変わってくるよね
あとその存在が一体何の目的でそうしてるのかにもよるし
あり方がどのように変わっているのかにもよって変わってくる
つまり本当に高次元の存在?って疑問
人間は元々高次元の存在だけど周波数を落としてやって来てると言われている
私たちの肉眼で見れないのはその周波数の違いがあって見れない
あとは住む場所や存在している層が違うとかね
そういう話も耳にする
ただ元々スピリチュアルの知識なんてないし
今だって知らないことばっか
何なら知らないことの方が多いから
なんでそう言われているのかとか
それが本当にそうなのかなんてことは私には分からないから
実際のところどうなのかは不明だけど
限りなく人の世に近いということはある意味では人の世界に合わせてきてるって事でもあって
そういうものが見たいという点では見れるようになったのであればありがたくもあるのかもしれないけど
それって高次元の存在って言えるのか
人の世界の周波数に合わせてきてるって事にもなるじゃん
もはやそれは高次元の存在ではないかもしれないよね
人の世界が次元が下がった場所にあるっていう表現になってしまいそうになるからあんまり好きではないけど
そもそも次元に高いとか低いとかもないしね
個人的には高次元とか低次元とかその表現自体が適切かっていうとちょっと何とも言えない
とにかく分かりやすく言うと
その存在自身がどこまで高次元の存在なのか
どういう状態なのか
それがよくわからないよね
人間って波動キャッチしてたりとかする そうだけどさ
エネルギーが読める人とかいるけど
エネルギーが読めて周波数がわかって相手の波動がどういう状態なのか判別できる
だからと言ってその存在そのものが本当に素晴らしい存在なのかっていうとちょっと何とも言えない
周波数、波動、エネルギーといったものがその存在そのもの全てを表現しているかっていうと何とも言えない
根拠はこの世界そのものがそれを示してる
ご自分たちで話している内容それそのものを見返せば見えてくるもの
言葉を交わさずとも相手のことがわかる
そのように言われているけれども
でも本当にそれってそうなのかな?と思うようなことがこの世界では起きているよね
この世界っていうのは現世の話じゃないよ
目に見えない世界の話
だけども世界って目に見えない世界も目に見える世界もどっちも含んでるから
結局どっちも指すことにはなるけどね
存在たちの状態(あり方)がどうなってるのかそこはめちゃくちゃ気になるよね
まあそういう状態と関連することにはなるけれどそれとは別に目的
存在がどんな意図を持って接してきているのか
疑えとかそういう話じゃなくて
でも見えないんだから慎重になるのは当然
見えないものが見えたとしてもウキウキしない
それ何かの存在と話せたとしてもテンションは上がらないかな
わーすごいとはならない
そうした方がよろしいかと思われる
そういう高揚感とか
嬉しい気持ち
この気持ちそのものが悪いってわけじゃなくて
こういう感じで見えない存在と接すると
コントロールされる
ちょろ甘って思われるよ
目に見えない存在もいろいろいるから
人間にとって都合の良いもの
人が望む形で現れてくれる
本人が欲しい言葉とか
本人が望むものを目の前に見せる
でもそれが本当にその人にとって良いものなのかどうか
本人の心の隙をついてくるから
見かけはとても良いものに見えてもその本質にあるものが何なのか
だから見てくれで判断しちゃいけない
すごくキラキラしていて
とても尊そうな、神聖そうに見えるもの
別に神聖なものは神聖にしてなくても神聖ですから
何も着飾らなくても何にも問題ない
それそのものがどんな姿であろうと
それは素朴なものであろうとも内側から出るもの
それは変わらない
見た目じゃない
言葉でもない
だけど一体どうやってそれとそうじゃないものを区別のか
そこって本当に判別が難しい
だから単純にすごいものが撮れた
そう言ってはしゃいでる場合じゃないんだよ
そういうサプライズ 的な
特別感みたいなものを感じさせて
私ってすごいのかもって思ってる状態だと危ない
単純に喜べない自分自身にもウ~ンって思う時もあるけど
でも現状この世界のあり方というのかな、性質?世界観?
なんか表現しようとするとそういう感じの言葉になるんだけど
その性質みたいなものを見ると
ちょっと手放しで喜ぶのは危険な香りがする
悲しいし残念だけど友達になる存在を選ぶ必要がある
別にこれは差別をしてるわけじゃなくて
でもどういう存在と心を通わせたいか
それは本当によく考えないとなんない
そのように個人的には思う
だから不思議なものが撮れたからと言ってすごくもなんともない
不思議なものそれそのものについてよく考える必要がある
これって何?とね
それが本当に不思議なものだったとしてもここに対する安易な行動と嬉しさとか喜びとか、仲良くなっていくこととはまた別
相手が何者かをまずちゃんと知った方がいいし
その場合は対等な関係を結ばないとダメだと思う
でもすぐ心を許す
目に見えない存在に自分を委ねちゃうこと
それは本当によくないこと
高次元の存在とか神様とか
そういう存在たちに向かって意見すること
それをよろしくない事って思ってる人が多い気がする
でも互いの考えを言い合うことって本当に大事で
むしろなぜ一方的に話を聞かなきゃいけないのか私には理解できない
そもそも神様とかそういう存在って命令してこないから
やれとか言わないし
こうしなきゃだめとも言わない
というかよく考えたらわかることじゃん
仮に自分が神様という立場に立ってたとして
スピリチュアルの本質を知っていれば
自ずとそういうことはしないよね
むしろそういうことをしてきたとしたら
自分がもしそういうことを相手にしてたとしたらそれって自分自身がどういう状態に陥ってるか
そうしてる時相手にどんなことを思っているか
その時の自分の心根の状態
そこに視点を持っていけば
必然的に相手に対して命令をしようとか
自分の意見だけを聞いてもらおうとか
ましてや相手が自分自身何か言ってきた時にそれを良くない事って思うかどうか
自分自身に置き換えてみたらよくわかること
別に何とも思わない
むしろ言い合えた方が助かるし
お互い切磋琢磨し合う関係性だったら
対等な関係を築こうとするのは当然じゃん
自分自身の方が上とかそんなものないし
異なる意見を話す
自分自身はこうしたい
それの何がダメなの?
むしろ逆にそっちを応援するでしょ
だってその人が生きてるんだから
神のために人を動かすのであれば
それって神の操り人形と変わんないから
それって人間の尊厳が失われてるとしか思えない
その人自身の人生がその人自身のものじゃなくなっちゃってて
見えない何者かに動かされてる
これって誰を生きているの?ってことになるから
本来そういうことしないよね
普通に考えたらわかること
で、不思議な写真を撮った場所について
ここはそういうすごい場所なんだと
そういう興味本位とか
そのエネルギーに触れたいとか
その気持ちを持っちゃダメってわけじゃないけど
そういう気持ちばかりで来るような場所でもないじゃん
パワースポットとかさ
そう言われてたりすると
そこの空気に触れて
あやかりたい気持ちも出てくる
それ自体が悪いわけじゃないよ
でもそういう欲しいという気持ちばかりで訪れる場所でもないと思うから
だからなおさら
そういう何かが撮れた時ってしっかり検証する必要がある
それ目当てで来られても困るし
そもそもそういう不思議なものを収めたい
それそのものってただの自己満足と承認欲求なのよ
珍しいものが見たい、撮りたい、見せたい
もしかしたら自慢したいとかも入ってくるかもしれないね
自慢するそれそのものが悪いわけじゃないけどさ
これ目当てに殺到するってちょっと意味がよくわからない
スピリチュアルの観点からするとこの本質がずれてるよね
スピリチュアルの本質ってそういうものじゃないから
注目されたいとかそういう話じゃないからさ
注目されたいとか
認められたいとか
人気になりたいとか
それって人間の感覚
人の世界で人間が思ってること
スピリチュアルの本質って人間のその感覚とちょっと少し違うんだよね
その人自身のあり方の話になってきて
他人ありきじゃなくなる
他者から認められること
有名になること
注目されること
そういうこととはまた異なる
本当にその人自身の生き方そのもの
本当にそこに注目されることとか有名になることとか
そういうものがあってもいいけれども
でもそれはあくまでも人間としてのその人自身
スピリチュアルはどちらかというと人間というよりかは心とか魂とか
そういう目に見えない部分でのあり方
心とか魂とかそういうものを人間でありながら体現していくというか
人とは何かとかさ
そういう感じがすごいするんだよね
哲学とかに近いかもね
宗教とかそういうのはまたちょっと別
どっちかって言うと哲学がスピリチュアルにものすごく近い感覚がある
だからあんまりその目に見えてわかるような華美なものじゃない
そういう印象が個人的にはあるかな
不思議な写真というのは意外と再現性が取れるものとかも結構あるから
これは誰でも撮れるようなもの
そういうものは正直
別に不思議な写真でもなんでもなくて
カメラのレンズとか
光の反射とか
光が入ってくる角度の問題なんだなと実感
例えばこういう感じの

これは再現度が高くて
撮ろうと思えば多分いろんなところで撮れると思う
これが真っ暗な場所で
不思議な写真が撮れたらそれはとっても不思議だけどね
※ちなみに誰かのものを否定してるわけじゃないから
私自身が撮ったもので検証した分には別になんてことなかった
誰でも撮影出来るものなんだなっていう感じだった
ただそうじゃないものも中にはある
私自身が撮った写真の中でも
これ何?ってものもあったしね
これなんだかわかる??

こういうのもあるから一概に何もかもが再現性が取れるものであるとは言い難い
映り込んだそれが結局何なのかはちょっとわかんないし
なんでそういうものが撮れたり撮れなかったりするのかもわかんないけど
でもだからと言ってすごいってわけじゃないよ
映り込んだ何かが何なのかがよくわかってないし
何か意味があるのだとしても
何を意味してるのかもわからなければ
それってあんまり意味ないよね
生きてる人でもわかるような形にしてもらわない限り
何のこっちゃねんってなるじゃん
ただ目に見えない何かはいるんだろうな っていうのだけは間違いなくわかるけど
だってこれ(ハンコみたいなもの)この世ならざるものでしょ
とにかく
まあ不思議なものとか不思議な世界はあるのだとしても
要検証案件であることには変わらない
※ご存知かもしれないけど❝案件❞ってのはカテゴリー分けをしてるわけで本当に案件であるわけじゃないよ?
簡単に信じるものではない
信じるっていうのは心を許すってことね
目目に見えない存在だからと言って何でもかんでも全幅の信頼を置くってのはちょっと
私はなんとかの神であるとかそういうことを言う存在は基本怪しんで良いと思う
名前さえ言っときゃいいだろうって感じなんだもん
有名な神様の名前を出すとか
力を誇示してくるような神様
私はこんなことができるとかさ
それで私が神であることを証明してみせようとか
そういう能力的なものを見せてくる
それは神様じゃないですね
別にそんなことしなくったって神様は神様だから
さっきも書いたけど
神聖な存在は別に神聖さを出さなくても神聖なんです
むしろ煌びやかに見せて来る
光が光であるように光らしく振る舞うとかさ
光をあえて強くする
それは本物でないことの方が多い
そうじゃないからそう見えるようにしてるだけ
元が本物であれば別にどんな状態であったって本物には変わらないからね
極端かもしれないけど
見た目がくすんでいようと
ボロボロであろうと
本質は変わらない
だからそういう見た目に騙されるな
それは常々感じてること
耳心地の良い言葉に惑わされるな
あなたは特別なんだとかさ
確かに特別だよ
そうでもみんな特別だしね
だけども甘言には耳を貸さない
距離を置いて離れること
関わらないようにすることが一番かもしれない?
ただ個人的には別に何か言ってもいいと思うんだ
なんでそう思うの?と
どうしてそう思うわけ?
何がしたいの?とね
場合によってはそういうこと(甘い言葉)ばっか言ってたらいけないんだよ
耳障りの良い言葉ばかり言って
その気にさせる
それって本人にとっても良くないし
そういうことを言っているその存在自身にも良くないよって
だめだよって言ってもいいと思う
でもこれはやりたかったらやればいい
強制じゃないしやんなきゃいけないってことではない
私は言っちゃうタイプ
え、なんでそうするの?
そういうこと言えば私が喜ぶとでも思った?とか
怖いこと言えば怯えるとでも?
そうやって脅かしてくるのはよろしくないよとか
もし怖がらせて楽しんでるなら最悪だよとかね
その心根がよろしくないしそういうことがやりたくてここにいるわけ?とか
それが本当に自分自身が望んでることなの?とかね
今はそれでいいかもしれないけれどもでもその状態は本当にいい状態なのかとか
寧ろいつまでそれをやってるの?とか
自分で自分のことをよく見直せば?とか
割と結構言っちゃうかもしれない
人で遊ぶなとかは割と言う
人はおもちゃじゃないぞと
人の人生を軽んじた行いをするなって言うな
うん
と言うかずっと言ってきたわ。。。
振り返ればそうだね
なんでそういうことしてるの?と
これは結局冒頭付近の話に戻ることになるんだけどね
真意を知ろうとする
これは変わらない
前から確かに聞いてたわ
そう思うそのきっかけは自分のものじゃないけど
どこともなしにつぶやいてることが多かったな
なんでそうしてるの?
何が目的?
どうしたいわけ?
でもそのどうしたいっていうのは私は知らないよ?
だってそれは私の人生じゃなくてあなたのものだから
自分のことは自分でやりなよ
人を巻き込まないでねとか
他人を巻き込んでいくのはよろしくないとはすごく言ってたし
恐怖でもって何かを成そうとするから
どこに連れて行きたいの?とか
恐怖感からできているものは根本にあるもの、土台が恐怖で作られてるから
その恐怖の上にどれだけ良いものを乗せたとて土台から変えないと意味がないことも
だから恐怖でもって意識を変えようとすること
特に次元上昇系
それはめちゃくちゃ悪手
もう最悪すぎるよ
もう一番やっちゃだめなケース
でもそういうことをしようとする輩(存在)はいるし
そういう存在からの言葉をおろす人もいる
本当に何か忙しい世界だよね
それぞれがそれぞれの道を選択して
自分で歩いているものだから外野がとやかくというものではないんだけど
本当にそれでいいのかな?と思う時はよくある
自分のオリジナルで生きることだってできるんだよ
だけどなんでかわかんないけど
人類は何かのプランを選択させられてる感じがすごいある
もうすでに用意したものの中から選んでる
でも私はそれがもう嫌なんだよね
だから自分で用意する
自前ってやつ?
自分のために自分が用意する
誰かが用意したその中から選ぶってことはもうしたくない
だってずっと人類はそれをやってるんだもん
でもそれってさ
進化、成長と言い難いよね
だってずっと誰かの監督の中にいる感じでさ
その中だけで完結されてる
それの何が面白いのかわかんない
そういうところまで来ちゃってるみたいでね
そうだから神託を聞いたとしても
ふうん
そうなんだ
そこにときめき要素みたいなものはなくて
どっちかって言うとまたかとか
そういう気分になっちゃう
全員に向けてというより局所的?
限定的なものが多くて
なんかそこに該当するとかしないとか
なんかそういうのももうお腹がいっぱいというか
もういいやって感じになる
だから誰かのものじゃなくて
自分自身を通したら
本当はどういうことを言いたいのかとかさ
もちろん自分自身の勘違いとか
誤認や曲解そういうものも含めて
それらの解消とかさ
新たな気づきとか発見とか
認識を改めることも含め
そういうものって他人の中じゃわかんないんだよね
だってその人じゃないから私は分からないもの
そればっかりはその感覚が共有できるとかそういう話じゃないじゃん
感覚が共有できたとしてもそれはちょっとした理解ってだけで
それだけで十分救われたり助かる人もいると思うけど
それでもその人自身にはなれない
同じになることなんて無理だから
真に理解することなんて不可能で難しい
でも疑問に思っていることは確かで
そればかりはもう本当にそれがそうなのかっていうのを自分で調べていくしかないんだよね
この自分自身に対して半信半疑な人が
目に見えない世界というものが本当はどうなのか
そもそもその本当って何が本当なの?って感じもするけど
人によって様々に見方が異なるものじゃなくて
不変的なもの
そこだったらブレずにずっと一緒だから
それを見つつ
スピリチュアルで話されていることって本当に何なんだろう?
何が言いたいのだろう?
言葉の裏にあるその意図、真意
それを自分フィルターをかけずに見たいな、知りたいな、理解できたらいいなって思ってる
どうなるのかはわかんないけどね

