スピリチュアルについて思うこと
私意外ととっても簡単なことなんじゃないかと思ってて
神様とか目に見えない存在が見えることとか
そういう目に見えない存在の話を聞けるとか
目に見えない存在たちと話せることがスピリチュアルではなくて
こういう目に見えない世界について知っていようとそうじゃなかろうと
目に見えないものがあると思っていようとないと思っていようと
スピリチュアル的な生き方はできる
寧ろスピリチュアルが好きな人ほどそこからかけ離れて行ってたりするから
知るとか知らないとか
あるとかないとか
そういうのってそこまで重要じゃない
ものすごくシンプルで
とっても簡単
だけどなぜか難しくなっちゃっている
究極
スピリチュアル的な生き方をするとしたら
自分の本心や本音で生きること
自分の心の声を聞いて本当にやりたいと思うことをすること
人としてどうあるべきか
道理、倫理、道徳、理性
つまり人道に悖ることをしない
でもそれは誰かに強制されるわけではないし義務でも何でもない
それを守るというより
自分以外の他者と共に暮らすのであれば自然とそういうものって育まれるもの
誰しも自然と思いやりの心って持ってるので
初めから意地悪な人なんていないじゃん
赤ちゃんの頃からどす黒いオーラを放ってるような人なんていないじゃん
鋭い目つきで睨んでくるとか
暴言の代わりに泣き声が結構凶暴とか
そんな赤ちゃんいないじゃん
逆に見たことある人がいたら教えてほしい
とどのつまり
スピリチュアルって
次元上昇がどうとか
かつて持っていた調和の心を思い出そうとか
平和な世界を作るんだとか
素晴らしいことを言ってたりするけど
それに必要なのは
別にスピリチュアルな能力でも何でもない
本当に自分が自分らしく生きること
人としてどういうことをしたら良くないのか
ちょっとくらいのやんちゃなんていいさ
ただ相手の尊厳を傷つける
心に傷を負わせる
それはやったらダメだ
自分が大切な人を守りたいと思うのと同時に相手も同じこと思っているということ
仲間を守ることは大切だしとっても大事なこと
でもだからと言って他人に対して威圧的なのは違うし
他者を脅かすのも違う
考えればわかることなんだよ
自然とどういうことをしたら相手が困るのか
何をされると嫌なのか
そういうものって自分でもなんとなくわかるじゃん
そういうことしたらいけないんだとか
教わることもあるけど
お友達が良くないことをしていて一緒にやらないと言われても
自分がそれをやりたくないとかさ
そういうことやったら良くないよって
それを言ったら急に仲良くなくなっちゃったとかさ
そういう経験もあったりするけど
とはいえ清廉潔白な人なんてなかなかいない
間違わない人なんて一切ないから
完璧な人なんているようでいないから
失敗することだってあるし
時に道を外すことだってある
やっちゃいけないことをやっちゃったりとか
確かにそういう側面もあるのが人間だけど
だけどいつでもやり直せるし
そういう間違いをするのは人間らしくもあるけど
でも人間ってよくないことをする生き物ってわけじゃないからさ
良いも悪いもどっちもあるのが人ではあるけど
でもその本質って善悪でできてるっていうより愛そのものじゃん
だからきっと気づけると思うし
本当は分かっているのではなかろうかと
だから自分の本心、本音、本当に自分が望んでいること、本当に自分が望んでいるもの
それらを人としてどうあるのが正しいのか
この正しいは正義と悪とかとは違う意味の
どういう行いが正しくて、間違いなのか
この判断基準は人の道に悖るか悖らないか
自分自身の心が知ってる(良心)
本当にそれだと思う
でさ
思っちゃったんだけどさ
愛という根源
その周波数とか波動とか何なのかわかんないけどさ
振動数を下げていくと1つだったものがどうにも分離するらしい
だから?多種多様な存在がいるんだろうね??
でふと思ったのは
そもそも根源の愛の中にそういうものが入ってるのかどうかはちょっと不明なんだけどさ
こういうものっていうのは善と悪とか
正義と悪とか
光と闇とか
真逆の性質を持つもの
それそのものを含んでいるからこういう風になってるのか
それはよくわからない
そもそも愛そのものの中にそれらがあったとして
パーセンテージ的にどういう風になってるのかとかさ
そういうのは知らん
ただめっちゃ気になるには気になるよね
そもそも善と悪というこの考え方もさ
本質的な目で見ると本当に存在しているのかすらも謎
というのも単なる概念のような気もするので
この正義と悪とか、光と闇とかそういったもの
これって個人的には全部幻だと思ってるのね
この地球とかこの宇宙とか
そういうものの中にはあるのかもしれないけれど
本質的な、根源にはそもそもないんじゃないかなって
なぜそう思うのかっていうと
それはそうだと定義するものがあるのか謎だから
だってそれがそうだと一体誰が決めたの??
そういうものですよって
愛は愛でしかないし
ただもしかしたらその愛の中にそういったものが入ってるのかも?しれないけど
でも中身を覗いたわけじゃないからわかんない
愛の中身って何ですか?とね
問うたことも今んとこないし?
聞いてみてもいいけど答えてもらえるのかな?
もちろんその中身に良いとか悪いとか
そういうものが全部入ってる
そういう見方もできなくもないけど
でも果たしてそれって本当に根源の中に入ってんのかって言うのは謎よね
先にも書いたとおり
もしも根源というその何か(愛)の振動数をどんどん下げていくと
光と闇とか
善と悪とか
正義と悪とかそういうものに変化するのであれば
確かに含んでいるとは言えるけど
でもそもそもの状態が違うからなぁと
ただ本質的なものは愛であることには変わらないけどね
と言うことは同じと思っていいわけ??
ただそれらの振動数をものすごく上げたら
じゃあそもそも元々の愛になるんですか?って言うとちょっとよくわかんないよね
一度異なったものとして存在していたものを元の状態に戻すって
これってある意味一度変化してるから
化学の授業で酸化と還元ってあるじゃん?
何かを酸化させて還元させて元に戻したと
でもそれをやって
本当に元の状態に戻ったか?っていうと
それは本当の本当に元々の状態に戻ってるのかはよくわかんないよね
だって一旦違うものになったんだもの
一旦全く異なることを経由して元に戻ってる
それはもう一旦異なってるのだから同じとは言えなくない?って思うんだけどどうなんだ??
物質がいて物質とは別に服を着替えるとかそういうものじゃないじゃん
服を着るのであれば
物質そのものは変化せずに物資とはまた別のもの(服)で変化させたように見せかけてるだけで実際は変わってない
でも酸化させたり還元した場合は物質そのものが全く別のものに一度変わった
それを元に戻した
けれどそれは本当に実験をする前の状態と100%一緒なのか
それは元に戻したと言えるのか??
何の変化もなくて元に戻ってくれてるのか
そういう面で見るとよくわからんよな
同じであって同じじゃないみたいな気分になるんだけど?
そう思うと魂ってさ
本質がずっと変わらないから
服みたいだよね
という捉え方もできなくもない
目に見えなくても(さっきの酸化と還元の例にもあげたような)物質そのものって感じはしない
もうすでに酸化した時点で化合物って感じはするじゃん
それが還元によって切り離されたとて
変化してることには変わらない
全く同じものに本当に戻ってるのか
よくわかんないよね
化学式では同じでも物質そのものは全く別のものだと思うから
じゃあ本質の愛って何だろうね?
愛そのものは変化してないとしたら
私たちの本質はいつでも一緒だと思うし
でももしも愛そのものが変化して
この世界そのものを作ってるとするならば
同じであって同じじゃないものとして存在するということになるけどね
確かに生まれは愛ですけど
そもそもの性質が全く違う
愛でありながら愛じゃない
でも愛ってことになる
本質は愛だれど
でもその本質の愛とはまた違う意味で異なってる
もっと深い部分では同じなんだろうけど
でも変化してしまってる時点で同じとは言えない
だけども同じといえば同じ
生き物で例えると分かりやすいかな
いろんな人間がいるけど人間には変わらないのと同じ感じ
たくさんの動物がいてそれぞれ違う種族だけどでも動物には変わらない
動物というものは動物でしかないし
地球って星があるけど
でも大まかに分けるとしたら
星
宇宙の中の地球っていう星
私たちは地球って言ってるけれども星は星だよね
それ以上でもそれ以下でもない
もしかしたらあえてそうしていることもなきにしもあらず
全く別のものに変化するからこそ
逆にそれが良いと
その変化したものたちは何かを繰り返す中で
その何かは魂それぞれに異なるから敢えて細かくは書かないけど
その中身はおそらく自分の体験とか経験とかそういったものだと思う
そういったものを繰り返す中で
元々の愛に異なる状態ではあるけど戻っていく
それが逆に良いとされているのかもしれない?←知らんけど
全く違うものを含む
同じものがないから良いと言うこと?
同じ状態で同じように戻ってきても味気なく感じるのかもしれないし?
詳しいことは知らんけどさ
同じ色ばかりだと面白みがないとか
同じ味ばかりだと飽きるとか
そういう感じに近いのかな?
そんなこと思ってんのかどうかなんて知らないけどね
だから全く別のものにして存在させている
愛でありながら愛とはまた異なる
でもその本質はそもそも愛だから
愛はどんなに異なろうとも愛にしかならない
だって生まれが愛だからね
どんなに変化しようとも
それでも愛は愛でしかないから
出発点が愛なので
結局愛に戻るという感じ?
でもなんかその愛に戻るっていう感じはさ
それぞれの愛って感じがするね
だから個々人で存在してるのか??
じゃあ大元の根源さんは非常にカラフルな感じに仕上がってんのかな?
いろんなものをいっぱいくっつけて
シンプルだけどたくさん持ってるって感じ?
自分の中にないものがいっぱいある
だってみんなが集めてきてくれるからね
いろんなものをいっぱい集めて
宝箱の中にたくさん入れとく
それぞれがするそれぞれの体験
それをアルバムのようにめくって楽しんでるのかもしれないね?
知らんけど(笑)
ただそれとは別に
もしも魂が洋服みたいなものだとして
本質そのものと一切変わることがないとする
さっきみたいに変化して全く別のものになるって事ではなく
元々持ってる本質そのものが全く変わらない
変化してるのは環境や状況だけで
魂そのものが持っている本質そのもの根源的な部分と全く変わらない
状態に変化はないということ
そうだとすると同じように集めてくるけど
結局みんな同じ音、同じ色であることには変わらないのか
表面的には別々のものに見えるし
同じ色に見えているようで別の服を着ているから違うように見えてる
でも実際はその本質はみんな一緒ってことになるね?
だけども愛というその状態が全く違うものになろうとも
それでも愛であることには変わらないから
そういう意味では状態変化しようとも愛は愛であるので本質が愛であることには変わらないし何も変わってないってことになるのかなと
どちらが良いとか悪いとかそういうのはないし
ふと思っただけだから
実際にそうなのかもわからないが
個人的に面白いなって思ったのは全く別のものに変わっちゃってる方が個性的でいいと思う
本質的なものが全く変わらず
服を着るような感じで個性を持って生きてるって言うのもいいけどね
それだったら本当に本質はずっと一緒だし
何にも変わんないから
私たちは愛そのものなんだって言いやすいっちゃ言いやすいよね(笑)
変化してるってその時点でさ
きっと全く別のものって捉える人もいるじゃん?
同じであって同じじゃないならじゃあ違うじゃないか!と
それはもう本質ではない😣って思う人もいるかもしれないよね
我々はもう変わってしまったんだ🥺みたいなさ
なんか異なるものとなっちゃった瞬間にさ
もう戻れないからそこに対して悲しみとか寂しさとかそういうものを感じる人もいてもおかしくはないからさ
なのでふとこんなことを思ってみたけど
でもそんなことはないよ
変わってるけど変わってないと思う
さっきも書いたとおり出発している場所は愛であることは変わらないし
生まれはみんな愛だから
どんなに変化しようとそれは変わらないし変えられない
向こうの仕組みがどんな風になってるのか知らないけど
でも本質の本質の本質ってありそうじゃん?
もっと奥深い部分がね
もしかしたら本当のもっと核なる部分(そういったものがあるのかは不明だけど)はもしかしたら変化してないかもしれないし?
変化しているようで
実はもっと深い部分ではその影響を受けていないかもしれないじゃん
そういうのをまとってるような感じで
変化してるような感じに見せていて実は何も変わってない
この魂の経験それそのものも本当の奥深くの本質からすると
人間が現実世界のことを幻っていうように
本質からすると魂そのものも幻のように見えてるかもしれないよね?
あるいは自分の本質をまた別の場所にあって
それはもうずっと影響がないようにどこかに厳重に保管されてる
だから実際は何の変化もしてないよって場合もないとは言えない
けどそれが実際にそうなのかは知らない
だってこれ全部勝手な想像だもん
想像できるって事はそういうこともあるのかもしれないけど
でも確かめようがないし
知らないものは知らないからね
テキトーなことを書いちゃった(笑)