観てるものを変える


けど


この世の中にあるものが


どうしても


そう観える時


つまり


(否定してないけども)


そう言う意識である人が多く


だからそう言う話が多いのだと思う


現し世に生きる人と


現し世ではないけど


目に見えない世界で生きる存在と


双方で意識の共振共鳴が起きているのかなんなのか


何を話しているのだろうな







独り言と言うぼやき


道はいくらでもあると言うのに


何故道が二つしかないのか


どうして?


なんで……まで


と言う気分


そう思うのは


私が人だからだろうな。。。


なぜだか


スピリチュアルって


(否定してるわけじゃないのだけど)


おかしかこと(?)に


悲しくなるんだ


例えるなら話を聞いてこう言う気分にさせる


「________っ………………。」って感じとか


「なんで?(困惑)」とか


そう言う気分になるものが世の中に多過ぎるかな。。。


だから見たくないし🙈耳を塞ぎたくもなる🙉


吐きそうにもなるから口も押さえる🙊


全員が、全てがそうではないにしろ


多いな汗うさぎ泣くうさぎって印象


そしてそんな状態のものを信じてるアセアセえー?ぐすん


更に伝える誰かにお願いしてる


自分のことなのにね


伝える側も敢えてそうしている人もいると思われる。。。😔


自己の地位の確立と依存


スピリチュアルは共依存の関係に陥りやすい


それを分かっていてやっている人もいる


縋らせて離れないように


信じるから救って、助けて、なんとかしてそこにつけ込んで


それが残念で仕方ないよ


気持ち悪い🤢


ホントに無理


責めてるわけではない


でもね


依存する側も依存させる側(意図的に依存させる)も依存させられてしまう側(依存してほしくないのに依存されてしまう)も


どこかずれているのだと思う


けど答えはすべて自分の中


他者に見つけてもらうのではない


自分で自分の正しき道へ


自分で気付いて自分で戻し自分で戻る


これは他者にどうこうしてもらうものではないから


自分の体験(思うこと)と他者が自分に受け取らせるもの


そこからそれが自分自身にとって良い出来事であれそうでない出来事であれ


その出来事と自分を観ながら


自身の状態を探って行き


自分を知ること


そしてどんな自分も受け入れる


許してあげること


自己受容


そうやって


少しずつ自己理解を進めながら


自己を見つめ直す


これしかない


そしてこれは終わりがない


自分との向き合いは自分の生が終わるその時まで本人がやめることをしない限りは一生付き合うものと思われる


だけど自分のことを自分で知ることは自分を生きやすくすることにも繋がるから


嫌な出来事ばかりに視点を当ててそこばかりを見て深掘って行くだけだと苦痛でツライことを延々繰り返し


終えたことなのにも関わらず再度その時の感情や記憶が鮮明に思い出されて


ただの思い出の中の一つってだけなのにまるで今現在に起きているかのような錯覚に陥って(疑似体験みたいな?)嫌は思いをするだけで


自分を知ると言うより嫌な記憶に支配されて元気がなくなるのであれば余計困惑することにもなり兼ねない人も中にはいると思うから


どう向き合うかはその人次第なので一概に全ての出来事と向き合う必要があるとは言えないけど


でも自分自身を知ることは決してマイナスなことだけではないし


プラスの側面の方が大きいと思う


どこに視点を当ててどう観て行くか、向き合うものと接するかにもよるから何とも言えないものの


自分の本音、本心、本当に思ってること


それを知ること


それにはやっぱり自分と向き合うこと


自分自身をしっかり見て


その気持ちをきちんと自分が分かってあげること


ここがどうしても生きていると疎かになって


自分のことなのに自分がわからなくなったり


自分のことなのに(自分が二人いるわけではないけど)自分と自分が一致してなかったりして


自分の中で自己一致?って言うのか分からないけど気持ち(本心)と実際の行動がちぐはぐ


※意図的な本音と建前はまた意味合いが変わると思うんだけどね


それを繰り返し行うと


自分が何者なのか分からなくなったり


何をしたいのか、好きなものすら思い浮かばない


自分への興味をある意味では失って


相手からどう見られたいか


どんな自分なら好かれるか


いつも第三者の目や他者を意識して


自分へ意識を向けることを忘れてしまう


求められる誰かを演じる自分が出来上がって


それを自分だと思い込んで


本当の自分自身はぼやけてしまう


でも確かにそうある(誰かに合わせた演じる)その人もその人自身なのだけど


けど本当の自分を置いてけぼりにしてるから


生きる目的やその意味なんかを見失いがちになる


なにか自分と向き合うきっかけが起きる(スピ界隈でよく耳にする強制終了)まで気付かない


それが怖いよね


結局いずれ迎えに行くことになるのであれば


そうなる前に置き去りにした本当の自分を自分でお迎えに行って


自分と一致して生きた方が私は充足感や充実感があって良いと思うんだけどな


でもやれってわけじゃないの


やりたいならやれば良い


こう言うのは誰かに言われてやらさせるものではないから


必要なら自然とやるもの


本人がそう思わない限り


周りが勧めても意味がない


気付くのはいつだって自分だから


その気付きやきっかけは他者でも


それに気付いて行動に移すかどうかは他者が決めるものではない


どんなに素晴らしいことや素晴らしいものであってもね