見えない世界って


言葉にまとめるの難しいね


なんていうのか


形にするのが非常に難しい


言葉(文字にすること)も形の一つだと私は思ってる


それもそうだけど


一人ひとり見てるものが違うし


それ(見てるものが違うと言うこと)はその人の中にある考えとかその人自身に委ねられると言う意味合い


昨日の話ではないけど


二極化することもダメではない


やりたいならそうすれば良いとしか言えない


これは突き放してるわけではない


そう在ることが望みならそれを見せてくれるのが宇宙なのだと思うから


スピリチュアルについては色々と個々人の感想を見たり聞いたりして思う私個人の感想を書いてるけど


専門家じゃないし知らない


私自身は理科の観察のように


観続けて


そこに対して抱(いだ)く個人的な感想や考えを記録のように書くくらいしかできない


検証なんてやろうとしても本当に検証ができているのかも謎だし


何より再現性が手軽に取れるものでもないし


ただ歴史が如何に人類が何を繰り返して来ており


生きている人々の発言の中にこの世界(見える世界、見えない世界)の意識(エネルギー状態?の性質または傾向?)がどのようなものであるか


それらが見えている気もしていて


時には失望とか絶望感などに苛まれることも以前はあったけど


決して変わるもののないもの


不変で消えることない


真理というのかな?


それに気付いた?時から


スピリチュアルで話される様々なことに疑念は募って行ったし


それらを伝える存在たちに抱く嫌いな気持ちが消えることはなかった


そう言うことも確かにあった


でも


きっと大丈夫なのだと思えるようになった





本当は知ってる


変わらぬ大切な何かを


それがなんであるかを


けれど


同じものを異なる視点で捉え←個の世界だからこう言うことが起きるでもそれは悪いことではない


(不特定多数に)伝えて行く中で


ずれたり


ゆがんだり


それで良いし


それが良い


そしてそれも良い


でも結果


どちらかが優位に働きかけるのか


天秤に乗せてはかるようなことにも


いけないってことじゃない


ただそう在る世界がここにはあって


そのとおりに動いて


それを体験させ見せる


ここはそう言う場所なのだろうな


って少しずつ


知り始めてる私がいる


でもこれ


学びって感じがあまりしてない


その言葉に当てはめて


型に入れたくないなって気分


だから学びというより


気付き


気付いて知って


体感して


きっと理解するのだろうなと


勝手に思ってる


分かったような


それっぽいことを書いてるけど


実際はよく分かってない


何度も言うけど


知らないから