桂さんの話だけではないけど


りゅうみこの話を見てると


(これは前から折につけて触れていたけど)


この世界を見ているかのようで


すごく考えさせる


目に見える世界、目に見えない世界


今この本当は一つの世界なのに


見えていることと見えていないことで


まるで二つの世界がそこに存在しているように思われている


この世界について本当に色々考えさせられる


目に見えない世界で話されていることと目に見える世界で話されていること


目に見えない世界で起きてることと目に見える世界で起きていること


双方でざっくりと見ると二つに分かれているような状態


(細かく見れば無数に枝分かれしてるけどね)


そしてそのどちらかになろうとしている(見える世界と見えない世界言われていることは共通している)←見えない世界と見える世界にどちらかという意味ではない


(共通している話のうち)どちらかを選ぶこと


選ばないとならない状況


私にはまるでそのように思える


見える世界だけでなく目に見えない世界も


私にはこう見えているというか


どうしてもそう見えてしまう


そこに良い悪いはない


そう思う自分についても良い悪いはない


ただなんかそれ(この二つに分かれた状態)が


うまく言葉にできないけど


私にはどうしても分からなくて。。。




なんだって良いはずなのに


そもそも何故どっちかって状態になるのか


それがこの世界が二元性の世界だから?と


そう言う意図はなかった


でもきっとそのせいにしてたんだと思う


けどこれは本来悪いものでもなければ良いものでもない


ただの状態の違いで


本当にただそれだけのこと、それだけのものなのに


何故かそこでどちらかに分かれて言い合いをしたり、時にはそれが諍いの原因にもなってしまって争いに発展してしまったり


それについてどうしてなんだろう?ってずっと考えて来た(そう思う自分にもね)


どうしたらこの天秤の傾きって言うのかな?


どちらか一方に振れる感じ


片方だけの世界


それが終わるのか


終わらせること自体がおかしなことで


そのままで良いのかも知れない


だって本当はと言うより本来は


良いも悪いも何もないのだから


そう(良い悪いと)思ってしまうことがだめって話でもなくて


それはその人自身の考え方や捉え方の話ってだけの違いで


そこに良し悪しや優劣なんてないから


ただその違いを


この世界(見えない世界も見える世界も双方)はなぜだかどちらかに寄って


どうにも偏りを生み出してしまうようだ


このままでも良い


これが良いんだってそう思える


そんな世界になるには


どう自分が在れば良いのだろう


(これはあくまでも私がそう思うだけで誰かにそうしてほしいって訳では無い)


もしかしたら


全然違うジャンルだけど


このゲームの中に


なにかヒントがあるかも知れないなって


そんなことをかねてより思って来たけど


本当に何かきっかけをもらえるかも知れないな


沢山悩んで来たこととか


色々思って泣いたことも含め


自分のことをアホ(バカ)だなとか


何してんだろうなとか


様々思って来たけど


まだそう思えるだけの自信なんてないけど


無駄ではなかった(?)のかも知れない。。。


そんなことにも気付ける話だったな


異世界の桂さんの話、第35話がね


話を聞きながら色んなことを思い巡らせてしまったよ


2020年から今日(こんにち)まで思って来たことについてね


私には相談出来る人がいないから


この解釈で良いのかな?とか


確認をすることが出来なくて


ひたすら自分で自分の考えや捉え方、考え方を見直す日々←それは今も


こう思うけど


本当にそうなのだろうか


他の見方をしたらどうなるか


自分にない考えを考えること


それはとても難しくて


肯定する人の気持ち、否定する人の気持ち


そのどちらも考え


そのどちらでもない人の気持ちも考え


そのうえで自分はどう思うのかも考え


更に自分の考えをあらゆる視点から


自分が思い付く(出来る、やれる)範囲に限られるけど


多種多様な視点から見たら自分の考えはどう見えるのか


そうやって自分で自分を批判しつつ分析して来た


答えなんてない


正解もない


でも人は勘違いをしてしまったり


時には無意識的に曲解してしまうこともある生き物だから


私は早とちりや勘違いが多く


(そう言う意味では)間違っていることもあるだろうし


だから自分がやって来たことに自信なんて持てない


やって来たと言っても勝手にやってるだけで


誰かにやれと言われたわけではない


ただ何か腑に落ちなくて


引っ掛かる事が多くて


それで片っ端から見てきた


目に見えない世界の話も


この現実に起きている事も


でもこんなに広い世界だから


片っ端と言ったって全部を見れているとは限らない


ただ細部が全体を見せることもあるんだなって知って


フラクタル構造って言うんだって


意外と身近で起きていることがこの世界の一部を映していて


この世界の一部は実はこの世界そのものを見せている


そう言うこともあるんだなって


詳しいことは知らないし


そう言うの(フラクタル構造)があるんだって話を耳にしただけなので


真偽の程は分からない


どう証明されているかも謎


でももしかしたら?ってこともあるんだなと


そしてあらゆる事について


肯定して行くと


この世界で起きてることが全部繋がって


点と点が線になってしまってね


ああ、そうなんだって衝撃を受けたものだよ


知りたくなかったなとか


嫌だなとかね


そうじゃないものが良かったって


そう思う私がいて


これは私がそう思ってるだけだから


他の人は分からない


ただ私という人を通してこの世界を見ると


私にとってその事実は嫌だった


だだそれだけ


だけどそこでいつも自分に言うの


間接的に見て来たものだって←だからって誰かのせいにしてるわけではない


だから私自身が他者が見て来たもの、体験して来たものを見てどう思うかではなく


他者を通さず私と言う人間のみでこの世界を見たらどうなる?ってね


間接的ではなく直接


そして


私がそうでないものが良いと思うのであれば


私はそうでない場所へ行きたいと強く思ったんだよね


今までは自分だけがそこへ行くのはどうだろう?と思ってたし


間接的にだけど見えて来た、この世界の様相について何かしないとって思ってた


でもそれこそが


もしかしたら


それぞれと違いをどちらかに一方に傾け


誰かの理想に近づけたり


自分のこうであってほしいと言う気持ちに他者を巻き込む形になるのかも知れないなって


それぞれにそれぞれが各々理想があって


似通うことはあると思う


でも全く同じになるとは限らないし


誰かにとって良いことが誰かにとっては良くないってこともある


そうなるとどちらかにしようとすると


必ず反発は生じる


本来どちらだって構わないのにね


ちなみにこれらは人間目線で話してないです


どことも言えないところから書いてる


だから人の世だと難しいかも知れない


なので人でありながら


人間(地球)目線でも、宇宙視点でもない


どこでもない場所から


この世界を見たら


何か(これは個々人での話になるけど)見えて来たり


分かるもの、分かることがあるかも知れないなって


それこそ魂とか霊的な存在としての視点で


だから人として生きながらも見てる場所は人間と言う生き物の枠からはみ出たところ


なのでこれは個々人の内側の話だから


人の世界や人の世の理に当てはめると難しいかも知れない


何も変えずにそのままでありながら


でも平和や調和や愛を感じられる


そんな世界の話


誰かにこうしてほしいとか


何かをどうにかしたいとか


そう言うものから解放された世界だから


そしてそれは


人の意識の話なので


誰かが何かをするとか


教えるとか


そう言うことじゃない


自分で自分と向き合って


自分で自分を知ること


今の状態を


私はどうしたいのかとか


なんかそう言う哲学的な話になってしまうからさ


個々人の話になるんだ


こればかりは


本人次第なので


誰もどうすることもできないんだよね


この作品に限ったわけではないけども


なんだかりゅうみこってすごいや


たかがゲーム、されどゲーム


芸術っていろんな気付きをくれるね