なんで?


二者択一と二極化は全く違うものよね?


どっちかの選択が


なぜ二極になるんだ?


どうして?


なんでそうなるの?


二者択一→2つのうちのどちらかを選び取ること


二極化→ある集団や社会から中間層が少なくなり両極端な2つのグループに分かれて行くこと


スピリチュアルの二極化とはこの二極化とまた別の意味なのか?


調べてみたところ


主に個人の意識や生き方が古い時代の価値観に基づくものと新しい時代の価値観に基づくものとに大きく分かれていく現象を指す


古い時代(地の時代)の価値観→物質的な豊かさ、安定、常識や他人の評価を重視する生き方


新しい時代(風の時代)の価値観→精神的な豊かさ、個人の才能や直感、自分自身の心の声に従うことを重視する生き方


この二極化はどちらか一方が正しいわけではなく、それぞれの人が自らの選択に基づいて異なる現実や世界を体験していくプロセスと考えられている


この概念は人々の意識やエネルギー(波動)の状態がそれぞれ合った方向へ分かれていくと言うスピリチュアル的な世界観に基づいている


なるほどねぇ


ただ真ん中がいなくなることは間違いないよね


だってどっちかだもんね


どっちかになることは間違いないけどさ


でも二者択一ということと二極化って違うよね


ここ一緒にしちゃだめだよね


って私は思ってる


というかそもそもさ(ここから下は私の単なる感想です)


こうやってどっちかであること


私はここに何か問題点のようなものを感じる


だってこれそもそもさ


どっちかってなっちゃったら


結局のとこ白黒思考みたいなものじゃん


と言うことは根底にあるのは二元論ってこと


この状態でいくら二元論ではない話をしたって


ベースが二元性の世界なんだもの


変わらなくない?


だから思うわけ


なんで二者択一しかないんだろう?と


どうしてそれしか答えがないのか


なんでその選択肢しかないのか


そこが私には分からないの


なんでそれだけしかないように思ってるんだろう?って思って


寧ろもっといろんな選択肢があったって良くない?


何次元だって良くない?


好きなようにできるはずなのに


スピリチュアルでよく話されていることを例にすれば


三次元と五次元とかさ


どうしてそこばかりになるんだろう?


さっきの調べて出てきたものにも書いてあったように地の時代と風の時代とかね


何時代でもいいけどさ


そもそもそのラベリングも何?と思ってるしね


いろんなものに名前をつけて


それをそのように振る舞わせる


ずっとそうやってこれはそれで、こっちはこれで、あっちはこういうのでと分別して振り分けるの


そしてその中から気に入ったものを見つけて自分はそこに行くんだと


なんでそんな狭いことやってるんだろう?と思っちゃうんだよね


神様って呼ばれている存在たちもなんでそんな手狭なことを人に伝えているのかが分かんない


スピリチュアルってもっと広がりがあるんじゃないの?


なんでそんなに狭いの?


すっごく窮屈


与えられるものがあってその与えられているものの中で何かをする


でも本当は自分で好きなようにできるのに


なんで用意されているものを選択する


自分で自分に用意する事ってできるの


けどそれがなぜかできるけどできないみたいな?


自分が好きなようにやれるはずなのに


好きなようにやっていて何かの手の上


なんか閉じ込められてる気分になっちゃって


息苦しいなっていう印象


だから全然楽しくないし


なんかすごく嫌なんだよね


なんか勝手に決められてる感があって


それを魂のシナリオっていう言葉でさらに縛ってるような気がする


自分で自分に用意したものだけじゃないような


『魂のシナリオ』そういう言葉で人の行動を制限しているような気分になる


それって本当に自分が自分に対して自分が贈ったものなのか


それともその言葉に乗じて何か別の意図を乗せて人をコントロールするためのものとして使われているのか


すっごく窮屈だし


選択肢があるようでない感じがして


本当はそんなことないのかも知れないけど


実はそんなことがあるのかも知れない?と


なんか変な見方しちゃうよね


どうしてもそういう見方になっちゃうよね


だって意識を操作されてるような気分になるんだもん


本当にそうなのかな?と思うようなことがいっぱいあるんだもん