一つ前のブログの続き
そう思うと
『調和』も誰の何の為の『調和』なんだろう?って
その内容が気になるんだよね
響きと見た目は『調和』だけど
もしかしたら
その者にとっての『調和』と私が思う『調和』に差異があるかも知れないじゃない
だって見ているものも、感じ方も、捉え方も、考え方も全く違う者同士なのだから
仮に放っているエネルギーで分かると言われたとしても
それでもどうなんだろうなって思ってる
エネルギーが分かるわけではないってのもあるけど
この世界(分かりやすく人が住む世界と言うことにしとく)または人の世にて広く広まっているスピリチュアルではエネルギーだけ見れば良いと言う事でもない気がしている
もちろんエネルギーは全ての根幹だしそう言う意味では根源とも言えて本質とも言えるのだけど
どうやらこの世界は目に見えない存在同士がぶつかり合った世界線もあるから
それ頼りにするのもどうなんだろうなって思ってしまう
だけどもしもエネルギーそのものだけで本当に相手の本質が分かると言うのであれば
ぶつかり合った世界線そのものが偽りで作り話と言う説と
相手の状態が分かった上でぶつかり合ったと言う説が出て来る
前者は争いを人の世に持ち込みたかったのかも知れない?
見えない存在ですら戦うのだから人なんて尚更戦うよねではないけどさ←知らんけど
後者はその程度の高次元意識存在がいる世界だってこと
人間と考えている事について大差があまりなくお話にならないやつかも知れない
もしもこうだったとしたら。。。
精神性のレベルが高次元の存在共に低い世界と言うことになる。。。のかもね?←知らんけど
第三の説として
敢えてそうしているとも考えられるけど
それを人類に見せてどうするんだ?と思ったけど
もしかしたら反面教師にして真似しないようにしろとか?
善と悪とか光と闇とかそういうものの見方をするとどうなって行くかを実践してるとか??
そう言う系?←自分で書いてて思うそれってどういう系?
何せよ、詳しくは知らない
ただこの世界は色んなことがある(考えられる)し
正解なんてどこにもないけど
他者の話を耳にして共感したり、感銘を受けたり、影響されるのがこの世界
だけど実際どう言う意図で話しているのかなんて分からない
同じ言葉の響きや音だったとしても
そこに含まれる意味が自分が思っていることと一致してるかなんてはっきり言って分からない
だからこそ
鵜呑みにせず
自分でよく考える
そしてどう思う(想う)のか
何を感じたか
誰かの世界ではなくて
自分の世界を生きないと
脅かしてるわけではないけど
自分でも気付かないうちに何処かへ連れて行かれるかも知れないよ?
何かを決める時、なんの為に自分自身がそれを選択したのか
そこさえしっかりしていれば
きっと違和感に気付けるはず
引き返す勇気、立ち止まる勇気、見直す勇気は既に自分の中にある
みんな持っている