魂の脚本とか計画書と言われるそれは
生きてる間でも
見れる(知れる、分かる)と言ったり
見れない(知ることはできない、分からない)と言ったり
色々あるんだねぇ
どっちなのかな?
どっちもなのだろうか
ま、どっちでもいっか
そもそもこの世界のフラットな状態(初期)なんて誰も知らないし?
どんな話がされたって正解はあってないようなもの
寧ろ正解がないのが正解とも言えそうな?
私の中ではスピリチュアルの話って諸説ありの世界だなって思ってる
その理由は様々な話の中で有力なものがベースとなっていてそれを基(もと)に自分の体験と交えて話されてることが多いように見受けられるから
最初に伝わったこと
それが無意識のうちに主軸になっている感があって
ほとんどがその言い伝えに自分の体験を当てはめて話してるような感じなのと
既に言い伝えられているからか?
どことなく言い切ってしまう(断定してしまう)所がいつも何とも言えない気分にさせる←もしもそうだったとしても決まってるって面白くない
何も知り得ず、まっさらな状態だったら何を語るのだろうか
スマホのキャッシュクリアみたいに
知り得たこと(スピリチュアルに関する他者の話(書物も含む)など)を一旦なくして
ただ自分の中にあるものだけでこの世界を見つめる
そうしたら一体何が見えて来るのだろうか
その時自分が体験したこともどのように感じるのだろうか
今のスピリチュアルは過去からの積み重ねの上にあって
それをベースに構築されたもの
そうなるのはごく自然なことだけども
話を聞くのなら何の参考もない所から見た世界の話が聞きたい
単に私のわがままなんだけどさ
ありふれた話ではない話が聞きたいのよ