目に見えない世界の事ってさ


思いっきり現実の世界に関係してるじゃん


そういうこともあってね


表に発散できないこともある


私の考えを出すこと


それが好ましいのか


正直なところわからない


目に見えない世界について


たくさんの疑問があるけれど


誰にも相談できないし


どこにも話すことができない


目に見えない世界のことについて


話している人はたくさんいるし


詳しく知ってる人もいるのかもしれないけど


でも知らない人


それに


私が思っていることは


確かに目に見えない世界のことだけど


スピリチュアルというこのジャンルの中で話されていること


そしてその中で話されていることを信じている人たち


その人達にとって


あまり耳心地が良いものではないから


きっと理解されないだろうし


話すことなんてできないよね


話せないよ


こんな風に思っていると


誰にも言えないから


確認することもできなくて


私の疑問について話している人もいない


よって間接的に確かめることすら難しい


私自身が持っているこの疑問


なんでそう思うのか


それについて


どうやったら知れるのだろうな


他の人だったら喜ぶことに対して


全然喜べない


他の人がすごいと思うことについて


全くすごいと思わないというより思えない


他の人たちが共感することに対して


これっぽっちも共感できない


例えば


非言語で会話ができるよ


全く嬉しいと思わない


相手の気持ちがわかるようになるよ


喜ばしいことだと思えない


ライトワーカーだよ


嬉しい!やった!とはならない


全くもって嬉しくない


不思議な能力があるよ


別にすごくも何ともない


地球ではない別の星からやってきたスター シードだから地球に馴染めない


意味がよく分からない


肉体を脱いだら源に戻るよ


絶対に戻りたくない


ワンネスでみんなが繋がっている安心するね


どこが?


源と切り離されてる感じがする


どの辺に?


光と闇を統合しよう


別に元からバラバラにしてないけど?


こんな感じで全然共感できない


寧ろそうありたいと思えないし


どうしても合わない


スピリチュアルと相反してしまう?


相性が悪い感じがしてる


縄文時代の集落を作りたいとかさ


村作りって言うの?


これ好きじゃない


縄文時代の話だけなら好きだけど


話を聞く分では


竪穴式住居を作ったりとか


そうやって定住をし始めた


この縄文時代こそ


所有の概念の始まりだよね


だから私は好きじゃない


弥生人がって言うけど


そうじゃないよね


もうすでに縄文の時から始まり出してた


それが土器の変わり目によって


弥生時代から戦いが盛んに始まったって言うけど


弥生よりもっと前から実は戦いはあったと思う


だって縄文時代も弥生時代も後の人間が分かりやすく区別するために設けた区分ってだけであって


一体いつからいつまでが縄文時代かなんて誰にもわからない


ただ同じような土器の種類によって分けてるだけだもの


携帯電話の変遷みたいなもの


大きな携帯電話がだんだん小さくなっていって


そのうち二つ折りになり


しまいにはスマートフォンっていうものになった


それは平成時代にあったもの


でも後の人からしたら携帯電話の形状があまりにも違うから


別々の時代のように見える


それと同じようなもんだよね


こんな感じで


そういう意図はないんだけれども結果的に


誰かが大事にしている考え方を否定してしまうから


結局言えないっていうことがいっぱいある


言っていいのかわかんなくなるよね


私はもしかしたら旧石器時代から古墳までが全部実は同じ時代っていうこともありえなくもないと思っている


ただもしも区切りをつけるとしたら


大君の誕生かなぁと


そうやって誰かがどこかを治めるという


こういう統治のシステムが用いられた時点で


もうそこには誰かのものという考え方があったということだから


誰のものでもない


全てはみんなのもの


分け隔てなく使える


この地球と言う大地からの恵みだっていうことがどこかにあって


独占しているわけではないと言うこの考えが


結果的には


小さなまとまりを作ったことによって


そこのまとまりのもの


そこを統治している者たちのもの


そうやっていつの間にか自分のもの、誰かのものという考え方が定着して


貸したり借りたり交換したり


対価を求めるようになったり


どんどん利を巡って考えるようになった結果が侵略なんでしょうね


そして自分の好きなようにするために


支配下に置く


そうやってもう随分と前から


これは誰々のものと言う概念が根付き


力のあるものが実権や権威を結果的損害に持つ


そしてそれに従わせる


こういう構造が自然と人間の意識の中に芽生えて行って


今に繋がる



だから縄文時代の平和な雰囲気は好きなんだけど


でも本当にその時代が縄文時代なのかと聞かれると


私には途端に分からなくなる


だって(何も所有してないと言う話と)辻褄が合ってないから


どうなんでしょうね?


どこか別の時代のことを話しているような


あるいは縄文時代にも種類があったのか


詳しいことは分からないけど


ただどうにも引っかかる


全然違う話で終わっちゃうけど


ま、いつもの事ってことで