言えないことなんていっぱいあるよね
言ってもわかってもらえない
何言ってるのかわからないって返ってくるのがオチ
あとは意図したこととは違うように伝わる
だから言わない
説明するのが大変だから
大変なものっていっぱいあるよね
目に見えない世界のことで言うならさ
源とか
これ
なんか人の数だけありそうな気分だよ?
だって亡くなった後の世界なんてさ
その人の想念が作り出しているじゃん
そもそも天国とか地獄とかないから
生前の行いがどうのとかそういうの関係ないし
誰も裁かれたりしないから
何者かが勝手にそういう風に言い出した?
そしてそういうものだと思い込ませた結果?起きている出来事?とも言える
決めつけてるわけじゃないけど
でも実際、事実として想念がその人が見ている世界、つまり体験を作り出してるからなぁ
死後の世界に地獄なんて本来存在しません
本人がそういう世界だと思っていたらそうなるし
何より波長が関係してくるだろうから
その波長で同じもの同士が集まる
ただそれだけのこと
それが人によっちゃ地獄に見える人もいるでしょう
けど地獄に思える場所もその波長に合ってる人からしたら全然地獄じゃない
でもそうじゃない場所から見ている人にとっては地獄そのものに見えるのかも?
そもそも元々の世界がどうなっているのか
それってどうやってわかると思う?
私は何もわからない
だから何も伝えられない
でもこの何も分からないと言う状態そのものが答えだと思ってて
形があるものとして見えてしまった時
それが本当にそのまんまの姿なのか
それとも想像によって形作られてしまった創造後の世界なのか
どっちなのかって誰にもわからないじゃん
同じ場所にいて同じものを見ているけどこの世界は想像の世界だから
その人自身が何を受け取ってどのように捉え、どのように感じ、想像し創造するのか
それによって見えているものって全く違ってくる
同じ名前の目に見えない存在を見ているのに違うものを見ているのはそのせいではなかろうかと
受け取っている本人にとっておそらくより良い形で表現されているんだと思う
だから見ているものが本当に実在しているのかとか
それが実態なのかと言われると
正直わかんないのよね
目に見える世界みたいに
表面的には同じに見えるもの
捉え方とか考え方とかそういう内面的な部分では違いが生じるけど
目の前にしているもの
例えば人参とか
人参にもいっぱい種類はあるけど
それを見て何って問われた時に人参って答える人の方が多いと思うし
人参を描いてくださいと言われて普段見ているものと全く違う人参を描く人ってそういないと思うの
人参と聞いて飛行機みたいなものを描いたり
全く違う果物や野菜なんて描かないじゃん
大体の人は人参ってオレンジ色でうさぎが食べる感じので、緑色の葉っぱが生えている逆三角形の野菜を頭に思い浮かべるんじゃないのかな
中にはものすごく細くて長いのとか
色がオレンジじゃなくて赤色に近いものとか
種類豊富にあるけど
基本的に人参ってこういう絵文字みたいなのを想像すると思うの🥕
そうやって共通認識としてこれは人参だってわかる
そういう風な世界であったらいいけど
見えない世界はそうじゃないよね
特にスピリチュアルはイメージの中の目に見えない世界だから
見えるものも様々
でもそうじゃない目に見えない世界
想像と創造を越えた?
何もかもがもうすでに在る世界
何もないけど在る
そういうような世界で
その世界はどんな風に見えるのかと言うと
何もないっていうのが答えになりそうな感じもするんだよね
何も見えない何もわからない
何か見えたらそれはもしかしたらもう想像の世界かもしれないから
でもそうじゃないこともあるかもしれなくて
そうなった時にそうじゃないってどうやってわかるのかな?
そういうものを超越して見える世界ってどんな感じなんだろう?
きちんとわかるものなのかな?
知覚したり視覚化できるようなものなの?
だって色すらわからないもんね
どうなんだろうな
この世界(形ある現実の世界)はあまりにも
見えることに重点を置きすぎている
目に見えない世界でも見えることに重きを置いてるよね
でもその見ているものが
本当にそうなのかどうかなんて
誰にもわからない
だってそれは既に想像して見ているかもしれないから
初めて見るものであっても
その人にとっての最適解で
その人に合わせた状態で見せてきてるかもしれない
そうなった時にその形として見えているものは
果たしてそれそのものの本来の形なのか
それとも?
様々な形に見せること
それ全てがその存在そのもの姿なのかもしれなくても
けどそれすらもそれが本当にそうなのかなんて
誰にもわからない
それこそ本人にしかわからない
1つの姿だけじゃなくて
多種多様な姿を持っているのかもしれない
見る人によって違う場合
その条件が何なのかは分からないけれど
本人がその人に合わせてるのか
それともその人の中で何かがそのように見せているのか
あるいは両方なのか
全くもってわからないけれど
でも共通認識としてこれがそうだと認識しているもの
それってそう思わせてるからそうなだけなんだよ
じゃあそうじゃなかったらどうなるのか
認識はまちまちでバラバラになるでしょうね
どの説明もみんな
見えているし、それがそうだと分かっているからそのように言える
でも生まれた時からずっと目を閉じていて
一度も何も見たことがない
その人に光とか闇とかそういう話をしたとて
大まかな意味合いは理解できるけど
どれが光でどれが闇なのかなんてわからないよね
そもそも色の概念すらないから
これは赤色ですって言われたって何が赤色なのかがわからない
何も見えない世界が真っ暗だっていう人もいるけど
真っ暗っていう状態を知っているから真っ暗って思える
何色が見えているのかなんて誰にもわからない
色を知らない人が色を聞かれたとて
何色かなんてわかるわけがない
仮に赤って答えたからと言って
それが本当に赤なのかどうかなんてのも わからない
共通認識として持っている赤色をさしているのかもしれないし
もしかしたら私たちにとっては緑色
でもその人の中では緑のことを赤だと認識してるかもしれない
こういうこともありえる
白を桃色として見てたり
黒を青だと思ってたり
私たちは教えてもらってそれがそうだと知っているからそれがその色だとわかってるけど
そうじゃなかったらそれは何色にでもなる
むしろ何色だっていいわけ
だから全部この世界は目に見えることで
これはそうだって判断してる
すでにある概念の中で生きている
そして目に見えない世界も実はそう
見えることを基準にして話されてる
目を開けて様々なことが見えている人が目に見えない世界について話してる
ずっと目を閉じて生きて何にも見えず
なんにもわかんなかったら
じゃあこの世界はどんな風に映るのか
気になるね
何が見えているのかなんて誰にもわからないのさ
あなたが宇宙だって言っているそれが本当に宇宙なのかどうかなんてのも誰にも分からないのよ
ただそのように言われている
そう伝えられている
だからそういう認識を持ってる
ただそれだけのこと
あらゆるものに名前がついてたりするけど
それも重要じゃない
神様に名前があること
名前があるって事はある意味縛るって事だからね
本当は名なんてないし
それもいらない
私はそれは双方にある意味
制限を設けているような気がしてる
それを制限っていう言葉で言い表していいのか
何とも言えないところではあるけど