これはスピリチュアルの話
でも私自身はスピリチュアルについて詳しくはないし
何か特殊な能力があるわけでもない
それに私自身が経験したことではないからはっきりしたことはわからない
だけど他人の話を聞いてて自分自身が思ったことを綴ってみる
もうすでにいろんな人が言ってるかもしれないけど
この地球とこの地球に住んでいる人間及びこの地球があるこの宇宙そのものは思いっきり変化する
変わらざるを得ないというか
もうそういう流れになっちゃってるよね
それはそれで置いとくとして
気になるのは人間の方
これはあくまでもスピリチュアルの話
あなたと私がいるこの世界
だから見えない存在と見える人間とかそういう感じの世界に於いての話
で、この世界は今
何とも言えないんだけど
何かから見られているような感覚
本当は何もないんだけど
なんかそういうものを用意されちゃってるのか何なのか
何者かが人間そのものを見ている
もしかしたら自分自身の根源的なものなのかもしれないし
あるいは別の何かかもしれないけど
仮に大きな目ん玉がどっかにあるとして
それが人間一人一人を見ている
そこに立場や地位、出自といったものは何も関係ない
見ているのは人の心、そして魂
そこに対して良いも悪いも何もないけど
どういう状態なのか
その人自身を見られている
それによってその人自身が今後どのような世界に行くのか
なんかそういう分岐じゃないけど
でも分岐に近いような?
あなたはそういう道に行くんですね?と
最終確認をされているような?
なんかそういう感じに個人的には捉えられる
これ何なんだろうね?
勝手に推測するなら
人間から神様と呼ばれる存在がいて
そういう存在たちの集合意識的なもの?
なんかそういうのいっぱいあるよね
なんかあっちこちに集合意識があるような感じがする
集合無意識とか集合意言われたりしてて
同じものなのか違うものなのか
違うとしたら何が違うのかよくわかんないけど
適切な用語かはわかんないけどそういう意識の集まり?塊みたいなもの?
そういうものはうまく説明できないけど
ある一定の同じような意識を基盤にしてそういう性質を持ったものが集まって
そういう性質でもって存在し続けてるような感じ
だからそういう性質を持ってるからそういう考え方しかしないんだよなぁ
これ何なんだろうね?
見たことないけどなんかそういうものなんだっていう感覚が自分の中にあって
出来方なんて知らないけど
なんでかそういうイメージが自分の中になぜかある
それは置いとくとしても
そういう意識の塊みたいなものがもしかしたら目ん玉のように感じられてるのかも?
そういう存在たちは人に神様って呼ばれてるけれども
おそらく人間に対して太古の昔から知恵を授けたり、人間の誕生に関与している 存在かもしれなくて
この表現が適切なのかはわからないけど
やっぱり人間を正しい道に引っ張って行きたい
そういう気持ちの方が強いんだと思う
だからこそ
人を、人の在り方を見る
人には心があるから心をまず見る
でも心もだけども
本当に本質的な部分は魂と呼ばれているものなんだろうね
神様と呼ばれる存在も私が大きな目ん玉って表現した得体の知れない何かも
個人を人間(生き物)として見ていない部分がある
そういう存在たちが見ているのは人間という生き物ではなくその人自身が持っている魂の輝き
その本質の部分を見ているから
身分とか立場とか全く関係ない
ご先祖が何々だったとかさ
社長ですとか
国を動かしているとか
王様ですとか
他にも色々あるけど
全く関係なくて
大事なのは心
そして魂
人間として大切な心をまず見る
そしてその人の本質である魂を見る
この2点をすごく見られている←ざっくりとした感じでは
そういう感じがある
スピリチュアルで話されている宇宙っていうものが何なのかがちょっとよくわかんないんだけども
その宇宙そのものとも言えなくもなくて
集合意識の話とかもしたけど
宇宙そのものかもしれない?
詳しいことはちょっと私にもわからないし
自分自身が言っていることが正しいとも思ってなくて
だってよくわかってないから
本当にテキトーなことを言っているだけ
テキトーなんだけどそういう感覚がある
自分の中だけのものだから
これが共通なのかはわからない
わからないんだけれども
ある意味、人間は今試されていると思う
まあ、しょうがないよね
っていうのも
あなたと私の世界だから
自分だけでどうにかできているわけじゃないじゃん
バランスが悪い
自然と人間の距離感とか
自然と人間の均衡が全く取れてない
今人間過多になってるところがあって
自然についてしっかり考えてない
そういうところと
人間の中でも心ある者と心ない者、そしてその中間
こんな感じになってて
その両極端にいる人と
その間でありよりのあり、なしよりのありとかそういう感じでグラデーションになっている
それはそれでよろしいのだけど
なぜなら人間ってそういうものだからね
でも心のない者に該当している人
多分ずっとそういう世界に居続けるんでしょうね
そこからしか見れない世界は多分狭いと思う
多分最初の方は良いかも知れないけど長くは続かない
この世界の根幹にあるエネルギーが足りないから
今までは成立していたその流れが
はっきりと明確に住む世界が分かれてしまうから
今までもらえてたエネルギーがもらえなくなる
となると回らなくなる
見直しタイムが始まるんだと思う
そういう経験を経ての気づきみたいなものなんだろうなと思うんだけど
エネルギーを渡してって言われても
だってそこにはいられないからね
だって波長が合わないもの
いやもちろん行こうと思えば行けるんだけど
自分自身のことを大事にしてもらえないことがわかっているのに
ここに行きたいって思うかって言ったら
さすがにないよね
毒家族とかにありがちな展開
親が子供に対して情に訴えかけるような
それを世界規模でやっているような感じ
人の優しさをそのまま搾取していくような
そういう世界にも行きたくないっていう気持ちの方が強い
しかもそれは本人の無意識の領域で感じ取っている
そういう流れだからもうどうしようもできない
多分これを計画とか言ってるのかもしれない?
私の好きじゃない計画ね
ただそういうプランみたいなものが恐らくあって
そういう感じで行きますと
遠足のしおりみたいなものだよね
今の今までは競争社会と支配者構造と言う体験をしていた
でもこれからは精神的な部分を軸とした世界の構築を体験する
なんかそういう感じ
同じところをずっと社会科見学しないじゃん
遠足だって違うところに行くじゃん
ずっと一日中同じ場所にはいないし
そういう感じで違う場所に行くことがもう決まっている
もう今までの場所の方が好きって人もいるのよ
それもそれでいいよって言ってくれてるの
宇宙っていうものは別に否定とかしないから
だからそれもそれでいいよと
ただ人間を正しい道に連れて行きたい
そう思っている存在たちは従来の世の中のあり方、人の心のあり方とか、世界の状態みたいなものを鑑みた時にその状態だと長くは続いて行かない
そしてその状態をキープしたままの世界に正しい道に行こうとしている者たちを もう連れて行きたくないって思っているところがあって
ここに干渉する必要はないと
だけどやりたければやればいい
但し自分自身も結構な負担になるよ?
きつい思いをするよ?
残念だけど今のこの世界(目に見える世界と目に見えない世界)の状態だと優しさだけでは難しいかもしれないよ?っていう感じ
私個人的にはね
優しさだけでは無理だよっていう世界ではなくて優しさだけでも全然OKがいいんだけど
どうやらまだそこまで行ってないみたい
これからになるんじゃないのかな
スピリチュアルについて知らないけれど話を聞いてるとさ
どうにも重たい感じはこの地球と人類だけの問題じゃない感じがすごいあって
この地球があるこの宇宙そのものもだし
この宇宙にいる存在も人と同じように
いろんなものを抱えている感じがあって
スピリチュアルってすごいシンプルな感じがしてたのに
1枚岩では行かないって言うか
なんか人間関係みたいに複雑
これは一体何なの?と思ってしまう私がいて
なんでこんなに複雑で一筋縄ではいかないような状態になっているのか
この状況って何が原因でこうなってるのか
私にはさっぱりわからん
ただ全部が全部そういうわけではないんだけど
目に見えない存在も簡単に信用してはならない
そういう状態なのが残念だし悲しくなるね
それと本当に本質っていうものを理解しようとするとか、見ようとすることをしないそういうスピリチュアルが多いような気もしてる
本質について話す人がまず少ない
つまるところ真理について
それから波動、周波数、エネルギーは確かにこの世界の基本、基礎、土台になっているとは思う
でもこれに引っ張られて、これだけを見て(感じ取って)これを本質だっていうのはちょっと無理があるかなっていう感じがしてる
これだけだとその人の本質は見えてこない
これを本質って言ってるような人が多くて
これは本当にその人自身の根源的なものなのかな?
そう言う点に於いては私ちょっと疑問なんだよね
さもそれっぽいこと言ってるけど
正直わかんない
それに私特殊な能力があるわけじゃないし
ただなんとなくそういう感じがしてる
なんとなくだから実際のところは不明
早く人も存在もどっちも幸せな世界になってもらいたいものだ
残念ながら今現在はそういう感じじゃないからね
存在も困っている感じがするし
人様の話を聞くとそういう感じがする
だから私の中ではおやおや?、あれれ?
なんでこんなことになっているの?とそういう感じになる
人間の社会だけが大変なことになってるのかと思ってたら
どうやら見えない世界でも面倒なことになってる感じがあって驚いたし
目に見えない世界って基本的には亡くなったあとの世界という印象で伝わってる
でもそうじゃない
生きてる人でも霊とか見える人はいるから関係ないっていうわけではないとは思ってたけれども
思いっきり生きてる人間の世界にも影響があって全然無関係じゃなかった
そういうところにもびっくりした
何にせよ、目に見えない世界って愛で溢れているって言ってたけど
個人的にはなんか人間とあんまり変わんなくて
なんか思ってたのと違う
見えない存在たち同士で争いとかしてるの😨
ヤバ😰
ということもあって
衝撃的だったのと落胆と失望
何か期待していたわけじゃないんだけど
でも人間のことを見えない存在ってさ
愚か者とか言うじゃん
もちろん一部の存在だとは思うんだけどね
神話に出てくるように
人間が愚かだったからっていう理由で
人間って淘汰された話とか残ってるじゃん
あれが本当なのかどうなのかわからないけれど
ただなんか大きな水による被害が世界中に残っているそうで
もしかしたら実は本当にあったことなのかもしれないね?っていう話もあったり
何にせよなんか人間が悪いみたいな話が多いよね
だから神の怒りによって神罰が下る みたいな話とかあるじゃん
でも蓋を開けてみれば
スピリチュアルについて話している人たちは何の気なしに話しているけれど
でも大分末恐ろしい話をしていることが結構あって
神も大概だなっていう感じが私はあるの
神と人にそう呼ばれ言われ続けているけど
別に大したことないじゃんっていう感じが私にはしていて
ただ見えていないだけであって人間と大差ない
そういう存在もいる
見えない存在自体を一緒くたにして見るのはどうかと思うけど
ただ神と呼ばれる側も人間を十把一絡げにして見る節があるから
それはお互い様ということで
で、さらに神様と呼ばれる存在は好き嫌いがあるとか
人間にも好き嫌いがあってひいきするとかね
なんかそういう感じ もあるじゃん?
特に日本の神様
なんでかわかんないけれども情があるんだよね
感情とかさ
そういう学びもあるのかもしれないけど
なんかちょっと特殊というか
人間らしさみたいなものがある
人間らしいからこそ人に寄り添ったものの見方ができるとか良い点もあるんだけど
感情があるということはどっちにも転ぶ
良い感情だったらいいけど
負の感情を持ってる場合は非常に重たいエネルギーを放つでしょうね
憎しみとか悲しみとか怒りとか
なんとなく妬みとか嫉みとかそういうものはないと思うけど
羨ましいっていう気持ちを神様自体は持ってないような感覚があって
どちらかっていうと間接的に人間に対して思うことから発生している感じがあって
だから基本的には怒りとか憎しみとか悲しみとかそういう感じ系が多いのかなと
でもそうじゃない人間がいることもわかっているから複雑っていう
どこにも持って行きようのない気持ちを持ってる感がすごいあって
神社とかって
場の雰囲気、空気、エネルギーが清浄になるよう保たれている
一定の時間が経てば整うようにはなってると思うの
でもそう言った空間に人間が持ってる欲望渦巻く気持ちとかを置いて行く
あとは神域と言われるきちんとした手順を踏まないと入ってはならない領域に興味本位で踏み込んでしまうとか
あらら、、、困るなって思ってるけれど
その場でどうにかできないじゃん
体もないし
しかも人間の方も悪気がないから余計に困っちゃう
でそういう場所のエネルギーを乱したまま帰っちゃうから
その上SNSとかでパワースポットに行ってきたとかと報告する
そしてそれを見てまた人がやってくる
それを繰り返してごらんよ
そこのエネルギーが乱れたまま戻らなくなる
基本的に神社ってさ
これも詳しくはわからないけれど
結構大事なエネルギーの上に建立されていることが多いんでしょう?
それに本来は元々自然信仰だから神社というものはなくて
磐座が主だった
本当に今とは違って形がない状態
形があるとしても磐とか
山そのものをご神体にするとか
全体的に規模が大きい
神社みたいにこじんまりとはしていない
場所も決まってないし
じゃあ磐座は?とあれは場所が決まっているんじゃないの?って問いもあると思うけど
あれそのものはそんなに大事な感じはしない
象徴的にそこにあるような感じが個人的にはしてて
それそのものには特に何も
その磐に何かをおろすとかさ
そういう意味で神聖視されてたのかもしれないけど
後は場所の問題
さっきも言ったように重要なエネルギーの通り道にあったりする
そういう意味で主要な場所に建てられている
だからそういうことを考えるとパワースポットっていうか
大事な場所だから本当はもっと丁寧に大事に大切に参拝しないとダメな感じはしてて
もちろん観光名所になった方がそこの神社も儲かるには儲かるよ
神社を維持するのも大変だし
神社も法人だからね
でも元々は法人じゃない
本来の意味がだんだんと薄れてきているところもあって
だから余計に自然の中から発生した純粋なエネルギーから生まれた存在からすると
何とも言えない気持ちになるのかもしれないし
自然由来だからそれは人間より自然の方を大事にするよねって思うし
人間より前にいるそういう地球そのものから生まれた?存在からすると人間めって思ったりするかもしれないよね
いろんな理由はあるかもしれないけど
基本的に存在自身からというよりも
低級な存在は別としてね
誰かから何かをされたことによって その積み重ねによって憎しみとか悲しみとか 怒りとかを持つっていうパターンが多いような?
他者の話を聞いてるとそういう傾向が強いなって思う
だから存在も困っている
この現状がさ
何とも言えない気持ちにさせる
だから早く存在も人間もどちらも穏やかに過ごせる日々がやってきてほしいし
共存共栄ができてないところがあるから
地球の中だけで話すのなら
人間と人間との共存共栄
人間と大自然(地球)との共存共栄
そして人間と地球にいる見えない存在との共存共栄とそうではない部分の見えない存在との共存共栄
自分と誰かがいるこの世界では共存共栄 ができないと滅ぶ
そのためにバランスを取らないとなんない
ずっとその繰り返しをしているから
もうそろそろいい加減にやめましょうね
というのもあってか?
住む世界を分けようとしている感がある
同じ世界に生きるんだけどなんかちょっと違うっていう
でも人は変われるから
どの世界に行ったって
変えよう、変わろうとすれば変わるし変えられる
これは別に分離ではなくて
ただ道が分かれてるだけ
引き離されてる感は特にない
同じようで同じじゃないだけ
だから体験することも経験することもやっぱり違って来ると思う
何々するのが嫌だから、どうしてもそっちに行きたいからこうするとかじゃないんだよ
これは自分自身でどうしたいのかっていうところであって
恐怖とか嫌とかそういう気持ちで選ぶものじゃない
そしてそれは自分の強い意思とか意図とかで決める部分ではあるけど
でも結局のところ何が選択の決定打となるのかは自分の心とか魂とかそういう部分
だから自分自身を知るための時間を設けるように言われてるんだと思う
今からでも遅くはない
自分自身が本当はどう生きたいのか
本質の望みに気付けっていう感じだよね
むずいよね
私も自分の本質の望みって何だろうと思ってるし
ただのんびりしたい
何かに追われて生活したくない
それは月々の公共料金のお支払いとかね
誰かに監視されるのも嫌だし
あそこの何々さん何々だってみたいな感じに言われるのとかも嫌
そういう噂話などと無縁の場所で
自由にのびのびと過ごしていたい
何かにとらわれたくない
それはスピリチュアルの思想、こうしなくちゃならないみたいな概念みたいなものも含む
ネガティブを手放せとか、自分の中にある光と闇を統合しろとか
なんかそういうのよくわかんないしさ
そうしなくちゃならないって思うから具合悪くなるのであって
そう思う原因はそれが正しいと思っているから
そういう正しいor間違いみたいな感じなのも嫌だなって
人の目を気にしたくないって思いながら
結局人の目を気にしちゃう自分がいて
そうじゃない自分になりたいなって思っている
そういうことからでもいいのかな?
単純にこの宇宙の重さが早く解決して欲しいとかさ
人間の優しさとは何だろうかとか
人ってこんな感じだったっけ?とか
本当に心がない人が増えている?
自分の欲望を抑えきれないとかさ
自分の感情をコントロールできないとか
人から優しくしてもらうこととかそういうのが当然になっちゃってる
お店の店員さんは絶対にお客さんに対して低姿勢でなければならないとかね
自分のことをへりくだらせて客のことを立てる
だってお客様は神様でしょう?と
そう勘違いしている人も中にはいる
お客様は神様じゃなくてただの人間で
神様というのはただのもののたとえ
そもそもお客さんだからと言って店員さんに対してよくない態度をとっていれば
それは神様じゃないしお客さんでもなく
ただの迷惑な人
この世界ってなんか私という人間を通して見ると
それぞれがその人自身として生きているというよりも
役割を演じているような感じに見えてならない
例えばどこかの会社に勤めていてお客さんから問い合わせがありました
この件についてどう思いますか?と
当社としてはこれこれこういう風に思っています
あなたはどう思いますか?と聞かれても
私はその件について答える立場にありませんと
までもその会社の誰々さんとしての回答
だけど個人的には違うことを思っていたりする
人間って頭で考えていることと口に出していることが違っていたり
心で思っていることと頭で考えていることが違ったり
なんかそれが一致せずにちぐはぐになってたりする
全部が一致してたら自分が納得して行っていることだから全然問題ないんだけど
自分自身の本音はこう思っているのに 頭ではこうしなきゃいけないと思っていたり
頭を使ってこのように動くことが効率的にはいいんだろうなって思いながらも
さらに別の場所ではでも場の空気を読むとそれをするのもなぁとなんか変な気遣いが働く
そうした結果口から出る言葉は思ってもないことだし考えてもいないことを話す
あちこちがバラバラで
だからこそ自分自身がなんだかわかんなくなってくるんだろうな
本当の考えて何だっけ?って
自分自身が元々考えていたこと
それについてきちんと見ない
それが続くと自分がわかんなくなっちゃう
自分が何が好きなのかも
自分が何を考えているのかも
自分のことでありながら自分のことじゃないことを考えてたり
わけわかんなくなってきそうだよね
そういう状態の人がもしかしたら多いのかもしれないなぁ
なんてことも思ったりする
実際どうなんだろうね
ちなみに私は何ができるってわけではないけど
ただ思っていることは
地球の平和もだけどこの宇宙の平和も大事なこと
人間の心もだけど存在の心も豊かであってもらいたい
心って人間特有のものなのかもしれないけどさ
でも全部の存在ではないけど
感情を持ってる存在もいるし
感情を持っていなくても存在自体も考えていることがあるから
その意見の違いでぶつかり合ってるところもなんかあって
だからそういうのがちょっとでも良いから落ち着いてほしい
人間に対して存在は本質を見なさいと言うけど
存在も本質を見ようね?
きちんと相手のこと見ましょうね
私がエネルギーや周波数、波動といったものが本質ではないって言ったのはこういう部分に起因する
本当にそれだけで相手が思っていることや相手のことがわかるのであれば
衝突し合うことなんてないでしょう?
存在同士で憎しみあったり
わざわざ光と闇みたいな感じで対立構造になんてしないじゃん
それをやっているのは人間だけになってるはず?だったのに←人間だけだと思ってたよ
なんか存在も人間みたいなことをやっているから
だからさ
周波数や波動、エネルギーそれそのものは人間で言うところの表情みたいなものだったり、識別するためだけのものであって
それそのものはその人自身じゃないなっていう結論に今のところ私は至ってるんだけど
もしそうじゃないのであれば
相手がどういう状態なのかわかっていて
わざとこうしているっていう事になるからね
そうなってくるとまた意味が変わってくる
何してくれてるの?っていう話になるから
人間性ならぬ存在性の問題
よくわかってないけど
そんな(こんな)ことを思ってる