前回の続き


ちなみに私は見えない存在は見えないし、聞こえたりしないと言ってる


だけど見えない存在(何者かは不明)と話たことがある


じゃあ聞こえているのでは?と思うけど


聞こえてるのとはなんか違うんだよね


そして継続的に話してるわけではないし


簡単に出来るものではないので


自分の中でも話せているのかどうかが分かってないので話せていると思えない


スピリチュアルについて疑問視してる部分があるから話していると言っても良いか何とも言えない


それに自分の中に矛盾を抱えているのもあって尚更話していると認めにくいと言うか、話せていると思いたくないというのも違うけど


存在なんていないと思ってる部分もあるし


そうなると存在とはなんぞや?ってなるじゃん?


そう思うと(私も他人も)一体何と話している?


それは本当に存在なのか?と思う私もいて


また他者が話す存在の話はしっくりこない部分が多くて


どちらかと言うと賛同出来兼ねる


だって存在自身が光とか闇とかそういう話をしてるし


人間でも考えつくようなこと


善と悪とかそういう話


それ系を見えない存在が話しちゃったらさ


ね?


え?ってなるじゃん


もうよくわかんない


人に指導するぐらいだから人よりも精神的に成熟してるのかな?って思うわけじゃん


ところがどっこい


蓋を開けてみたら私たち人間と変わらない思考回路をしてるというか


気に入らないものを徹底的に排除しようとかさ


闇を滅してしまおうとかさ


そういうことを言いながら調和とか言い出すんだよね


どう考えたって別々の存在が話してるとは分かってるんだけど


でも大きくざっくり見たらさ


存在は存在じゃん


前もどこかで書いたと思うけど


存在の方が人間を一緒くたにしてみるのと一緒だよ


私も存在って言ったらもう大きく見るしかできなくて


それぞれに見たら全然違う存在なんだろうけど


でも全体的に見たら存在は存在だからさ


一括りにするのもどうかなと思うけど


区別できないからね


とにかくそれもあって余計。。。


誰かのせいにしてるわけではないんだけど


それでも他人から影響って受けるよね


そういう意味での話


なのでもしかしたら話せてないことにしておいた方が良さそうって思っている私も何処かにいるのかもしれない?なとも思う


だけど自分の中を掘り下げて行くと


なんかこれって人と比べちゃうところとかもあるのかな?って


やっぱりそういう気持ちって出てきちゃうし


正直自分自身には本当に何もないのさ


ヒーリングができますとかさ


神様と話ができるんだとか


そういう突出した能力なんてないしさ


なんでもない自分が


何かしらの能力がある人、そういう人たちとは全然違ってある意味何もないわけじゃん


確かにそれぞれに何かしらの、自分なりの個性とか、能力ってあると思うけど


でもできないものもあるじゃない


それは事実としてあるじゃん


みんな特別なんだよとか、誰だって何かしらの潜在能力的なものもあるんだよとかそういう話もあるけど


とりあえず一旦置いといて


事実として


私は特段何かがあるわけでもなく


本当に普通の人なの


別に誰かのことを特別視してるわけではないし


自分のことを悲観したり卑下するわけではないけど


確かに何もない自分はいるのよ


やっぱり今までの社会のあり方というものは誰かに憧れるような、私もこうなりたいって誰かを見て思うようなそういう意識のあり方が主だったと思うの


今は変わってきてるとは思うけど


その人はその人、私は私っていう感じではなくて


誰かに憧れてその人の真似をするとか


同じようになりたいっていうそれが強かったと思うの


そういう風潮の中で育ってくれば


やっぱり誰かと自分を比べて劣等感を抱いたりとか


自分にないものを探したりとか


自分だってそれではない何かを持ってるかもしれないのにいつも相手の中にある何かに対して憧れを抱いて


自分の中にあるものを見ずに他の人のものを見てその人の持ってるものを欲しがる


そういう社会というか、この世界ってそんな感じだったものだから


自分の中にないものを見た時に


なんかやっぱりどこかしらにね


あー、自分にはないものだ、なんか悲しいのか、寂しいのか、虚しいのか


それができない自分のことを責めるではないけど


そうあれない自分をなんか情けないというか


何とも言えないんだけど


どうしようもなくやっぱりできないんだ みたいな感覚に陥る


自分にちょっと期待してるのかもしれないし


だけど期待するのも何か違うって思ってる自分もいて


だって本当は分かってるからそんなものなくたっていいんだって


でもその反面やっぱりそれを欲しがってしまう自分もいたりして?


そういう自分の中の何とも言えない感情のせめぎ合いみたいなもの?が起きてさ


いつも自分の中で何かと何かが拮抗してる感じ?


自分の理想と現実とかね


自分の期待と事実とか


こういう感じで自分の中に2つ以上の気持ちがあってそれがぶつかり合ってる


それだけだったら良かったのに


私自身が


ただ時々何かと交信してんのか?


自分でもよくわからないけど何かと話せる時もある


だけどその人たち(元々そういう不思議な能力を持っている人)と同じように考えて良いとは個人的には言い難くて


これは例えるなら料理のプロとお料理始めたばかりの人みたいなものに近い?


確かに両方とも料理はできる


でも料理人として研鑽を積んでいる人と家で簡単な料理を始めた人が同じレベル かっていうと全然違うじゃん


確かに共通として料理は作ってるけど


でもその中身は全然違う


料理の質も違うし同じ材料を使ったとしても同じものができるとは限らない


だって技術と経験年数など積み重ねてきたものがまるで全然違うから


確かに私も料理ができるけど


だけども同じところ(レベルっていうのか何と言うか)にいるわけではないじゃん


話ができるとか、似たようなことをしていると言えばそうかもしれないけれども


それでも話せると言っていいのかと言うと


うーん何とも言えない


悩みどころだよね


英語圏の人に日本語話せますか?と聞いて


話せますよって答えて


こんにちはしか言えなかった


でもたったその一言だけれども確かに話せることには変わらない


日本人だったら英語をペラペラで喋れることを話せるって解釈するけど


でもハローだけでも確かに話せていることには話せている


けどそれは話せているうちには入らない


話せていないと判断する


ある程度の水準を求めていて


これを超えているか超えていないかで


できている、できていないを判断してるところがあるような感じがする


これはもしかしたら日本人の気質みたいなものが関係してるのかもしれないけどね


そういう意味でも話せるって言っていいのか分からないのかも?


あとこれは余談なんだけど


何もできてなくったって、自分が例えば私はヒーラーですって言えばその能力について自覚の有無は関係なしに


あなたもヒーラーなんですよとか


何か勝手に言えてしまうこと


誰がどうと言うわけでもなく、自分がそう思えばそうなるっていう


それもね、私には


えっ?


って思ってしまう部分


確かに誰からか認めてもらわなきゃダメなんてことはないんだけど


ただそれでもやっぱりどうなんだろうな って思う自分もいる


だって自称ヒーラーってことでしょ?


能力についてもよくわからない(本人も他人も)


自分自身がそう思ってるからそうなんだってなんかちょっと危なっかしいというか、大丈夫だとは思えないの


本当に効果があるかどうかなんてわからないようなことに対して


私もそうなんだよ、ヒーラーなんだよってちょっと無責任?


適切な言葉が出てこないけど


なんかテキトーすぎない?


何もなくたってそう言えるって事はある意味嘘も言えるってことじゃん


嘘っていう言い方が気にかかるのであれば


そう思い込んでるっていう事もなきにしもあらずで


そんな曖昧で、はっきりとしないようなことを平気でやれちゃう


それがなんか引っかかるんだよね


平気でやれちゃうっていう言い方はちょっと言い方が悪すぎたかもしれないんだけど


でもやっぱり言葉を選ばなければそういうことにならない?


それってちょっと私の中ではさ


危険というか、何でもありすぎて、信頼性に欠けるなと


テキトーすぎててマズイなって思っちゃう


例えるなら天然石のグレードみたいなもの?とも言える??


自分がそう思えばそうなるのであれば本物じゃなくたってそう振る舞うことができる


それを誰か他人に向けて商売なんてしようものなら、、、、、、、


だってどうとでも言えるから


それでもって見えない世界の話だから余計ややこしい


なんかそういう部分においても考えてしまうんだよね


余談を終えて話を戻すけど


だけどそれとは別に私は普通の人間でいたい自分もいるの


何にも特別な能力なんてなくたっていいって思ってるの


そういうものがない方がむしろいいって思っている自分がいて


何か特出している能力とか持ってるよりはない方がいいなって


だってなかなかにそういう能力を発揮してる人って残念なことに少ないじゃん


特に目に見えない領域に関する能力なんてなおさら


そういう能力を持つとさ


全ての人ってわけではないけど


特にそういう能力って最初から持ってる人の方が多いから


持ってない人の気持ちが分からない


だってその経験がないから


想像はできるけど


病気にかかったことがない人が病気の人の気持ちに寄り添うことが難しいのと一緒で


どんなに思いやりがある人であっても実体験にまさるものはないし


それに何もないからこそ気づけることもあるような気がして


そう思うとどちらかって言うとそういう能力を持っていない普通の人でいたいなって


分からないからこそ気づける事って多分多いと思うんだよね


もちろんそういうものがあった方がいい場合もあるけど


これって別に人間じゃなくてもできる話じゃん


だって元々そういう存在だったんだもんね?


今は人間として生きているけど


これは個人的に思っていることなんだけど


そういう能力って別にそんなに重要じゃなくて


そこにとわれていたくない


それは波動も周波数も同じ


目に見えないものだけどそれにとらわれてそこばかり見てても何にもわかんない


それは個人的には本質ではない


本質はそこにはないと思うので


エネルギーがどうのとか波動がどうのとか周波数がどうのとか


確かに識別するのには大切なことかもしれないけど


これは本質ではないと私は思う


そこに重要性はあまり感じてなくて


この奥の方が個人的には大事だと思ってる


うまく言葉にできないけど


色んなことが自分の中で渦巻いていて本当に話しているのだろうかと自分で自分を疑う


なのでよく分かってないから話せるとは言い難い私がいる


きっとこれを読んでる人もさっきから何言ってんの?って思っているだろうし


とても矛盾してるとは思うんだけどね(^_^;)


ただその時のこと(目に見えない何かと話した時のこと)を思い出して書くとすると


私は見えない何者かから次元上昇(アセンション)、覚醒、統合、インナーチャイルドの癒しなどについて言及されたことは一度もない


誰かに向けてこれをしてくださいとか


例えば導けとかね


そう言うのも特にない


ただ私に対して自己受容の大切さについて話したり


誰かではなく私がどう思うか


私はどうしたいのか


そう言うことが主で


時々センタリングについてやアーシングなんかについて言ってたけど


その他は別になんにも言ってなくて


だからスピリチュアル界隈で


アセンションとか覚醒とかめっちゃ騒がれてるけど


本当に何のことなのかまるで分からない


目覚め(目醒め)ろなんて言われたことなんて一度もなくて


存在から何か言われても存在自身から今から言うことを信じるなと言われることの方が多い


いつも自分で考えろと


そして存在がこう言うからこうするではなくどうするかは自分の心に従えと


毎回こんなだから


他の人と若干異なってる?


別に神の計画が〜とか


魂のシナリオが〜とか


そう言う話をしないんだよなぁ


とにかく自分を認めて受け入れること


自分を嫌ってる自分すらも良いんだと


私が私を受け入れるようになる(好きになる)時までそれはそのままで良いと


無理して大丈夫なつもり、受け入れた気になるよりマシだと


なんか心理学のセルフコンパッション?みたいな感じなんだよなぁ


センタリングも気を散らしてるから自分に集中しろって感じだし


アーシングもスピリチュアル的なことと言うより


自然(自然は地球の一部なのでアーシングと言ってるのかも?)を感じながら疲れを癒せって感じだもん


とにかく自分にとって心地よくて安心したり、リフレッシュ出来るようなこととしてそう(アーシングしたらどう?と)言われてるような感じ


だからスピリチュアル界隈で言われてるようなことを目的とした話は全く耳にしたことがない


※私が気になっていて私がそれをやりたいとか必要と思えばアドバイスくれたり(でも本当に必要でないと何も言わない)、質問して答えられるものなら答えてくれるけど


なので私はスピリチュアル界隈で言われてるようなことがてんで分かんないんだわ。。。


どうにも存在の雰囲気も違うし


神社に行った時にそこの御祭神?さんとも話したことあるけど


別に何かしろなんて言われたことがなくて


人や虫、鳩とかいろんな生き物がいて、賑わっている境内を見てどんな風に思う?って


私はその時、生命とか命とかそういうことを感じ取って思ってたんだけど


何だか鳥とか虫とかつがいで飛んでるし


そういうことを思ってたわけ


そしたらこうやって人や生き物が栄えて行ったりするのを見るのが好きなんだよって言ってたんだよね


さきわう様が好きなんだって


その時になんて素敵なことを言っているんだと思ったんだけど


さきわうっていう言葉がわかんなくて


どういう意味なんだろう?ってその時は思ってた


幸御魂的な?とか


全然違うことを思ってた


後々調べたら


AI による概要なんだけど


さきわうは古語で幸運にあうとか豊かに栄えるとか幸福になるとかそういう意味なんだって


人(生き物)の繁栄とかを見るのが好きなんだって


そういうことのために何かすること


何をするのかはちょっとわかんないけど


もし何かをするのであればそれは別に厭わないよっていう感じ


なんか決意みたいなものを感じて


すごいなあと思ったことがある


だけど別に何かね


その神様自身の意見みたいなものは特に何も聞いてなくて


私にどうにかしろっていうこととか


人間たちで何かしなさいみたいなこととか


そういうことは特に何も言ってなかったんだよね


だけどこれすごい前だから


今から多分4年とかそのくらい前の話なので


その当時はこういう感じだったけど今はその時と状況は変わってるだろうからまた違うかもしれない?


ただ私自身がなんかそういう存在たちとの交流をしなくなった


しようと思ってもできないと思う


なんか不信感の方が強いから


過去の自分の書いたブログを見に行くと


疑いが一番自身を閉ざし曇らせるみたいなことを存在さん達に言われてたのを見て


私自身が猜疑心が強くて疑心暗鬼に陥りやすいから


怖いって思わせるようなことを私たちの方はしたくありませんみたいなことを言ってて


存在さんたちがね


せっかく話ができても


本人が拒めば無理ですって


だからそうなってほしくないって言われてたことすら忘れてて


そんなことあったっけ?みたいな


そもそもこうやって言われていることすらを疑ってる人だから


自作自演なのか、自分の妄想が作り出したものなのかとね


自分の心がそういう状況を作ってしまっているのか?と


ずっと自分で自問自答してたの


目の前に見えてたりしたら


あれって思うけど


別に見えてるわけじゃないし


かといって聞こえてるって言っても


頭の中に声が響くと言うか


これと似たような状況って言えば


誰かとの会話を思い出してる時みたいな感じ


それって別に耳に直接聞こえてるわけじゃなくて頭の中で会話が繰り広げられているような感じになるじゃない?


それに近いから


これは妄想?


自分で何か作っちゃった?


それとも本当に起きてることなの?


それがわからなくて


ただ自分の中にはない考えだなっていうことだけは分かったりするの


だから


え、話ができてるのかな?


それともなんか誰かの何かを拾っちゃう人っているらしいからこれとか?とか


自分自身がおかしくなっちゃったのかな なんて思ったりもして


なかなかに自分のことを信じられない


そしてこの見えない存在さんのことを信じることも難しい


更にそういうことを何にもわかんないから


いろんな人の話を聞くわけじゃん


そうなると自分が覚えてないだけでどこかで聞いた誰かの話を自分で存在の言葉として捉えているだけ?とか


そんな風に自問自答をずっと繰り返してたの


未だにわかんないもん


で、そうしているうちに


誰かが発信している存在の話がどうにも物騒で、きな臭くて、余計に不信感を持ち


気づけば大嫌いになっちゃって


質問したら答えてくれるって前に言ってくれたから質問するけど答えてもらえない


多分答えてくれているんだけど私が受け取れなくなっちゃったのだと思う、今思えばね


だって怖がってるし、不信感を持ってるからそれは無理だよね


だからカードも読めないんだよ


読めたり読めなかったり


不安定


だから余計にやっぱり気のせいだったのかなって思っちゃう


そんなのの繰り返し


今もね、全然安定しない


だけど私が話した存在さんたちが話している内容が私の中ではすごくためになることばかりだったの


あーそういう見方もあるんだなとか


直接的に人の考え方って変えることはできないんだけど


間接的に意識に働きかける事ってできるんだよとかね


それこそ王道の中の王道で


誰しもできること


誰でもできるから逆にそうやって意識をコントロールされてしまうこともできなくもないから気をつけるようにっていうことも


それって人間には難しいって思われているけれど


そういうことも本当はできるんだよって


なんか人間の可能性についてものすごく感じる話が多くて


この地球についてもそうだし


人の可能性をものすごく話す


だから今のままじゃその可能性を閉ざしたり


その可能性の幅が狭まるから


もっと自分らしく生きろっていう感じなんだよね


存在の話を聞くけど存在の言う通りにしなくていいっていう感じで


あくまでも存在は存在で、あなたはあなたでしょって感じなの


存在が何を伝えてきたとしてもそれはその存在の考え


でも自分自身が何か違うことを思っているのであればそれを優先しなさいという感じ


もちろん存在の話を聞いて自分の中でそれもいいなって思うのであれば取り入れればいいし


好きなようにしていいって


ただ言いなりになるのだけはやめなさいって感じだったね


自分をきちんと生きること


自らの可能性を手放すようなことだけはしないこと


委ねること、委ねてもいいもの、スピリチュアルの中だとそれをちゃんと自分で見極めなきゃダメだって感じだったな


これはなんか私を通してのことだから


私自身の考えももしかしたら反映されてるかもしれない?


それだけではないかもしれないけど


だってみんな似たようなものを自分のそばに寄せてくるからね


なんかちょっと違うんだよね


この存在もさ


誰って聞いた時に


私(筆者)って答えたし


別の誰かじゃなくてあなただよって答えてくるからさ


そういうこともあるのかもしれないけど


唐突に私だって言われたところで


えっ、、、ってなるし


どうしたらいいのかわかんないよね


その他にも何らかの存在さんたちが


色々言ってるんだわ


カードリーディングしてる時に色々言ってるんだわ


でも本当に話しているのかは自分のことなのにわからん


けどそろそろ本当に自分の中にない考えだから


話しているって思ってもいいのかな?


でもそう思いたくない自分もいるんだよね


いやいやいやいやいや、やだやだって


なんかそういうのやりたくないなあみたいな


ホント中途半端なんだよ


中途半端にできちゃってるのは嫌だよね


できちゃってるのかわかんないけど


本当にこれって結局さ


自分自身に自信がないからこうなっちゃうんだと思う


それでなんか自分の中がごちゃごちゃしたり、頭の中がいろんなことでぐちゃぐちゃになったり、整理整頓がつかない


意外と自分が自分にダメ出ししてたり


自分で自分に制限をかけたり条件をつけてたりするのかもしれないね


こうでないとだめだみたいなのがもしかしたらあるのかもしれない


だからあれやこれやって気になることが増えてしまうのかも?


ただもしも私が話せてたとしたら


他の存在とは全く違う感じ(^_^;)


この存在が何なのかって言われても私にもわからん


もしかしたらハイヤーセルフだよっていう人もいるかもしれないけど


知らないよ


ハイヤーセルフが何なのかを知らないから何とも言えない


誰かがそう言ったからと言って本当にそうなのかっていうと何とも言えないじゃん


だって私が違うって言えば多分違うことになるんだよ


私がそうだと思えばそうなるんだもん


何でもありなんだよね


そう思うとある意味なんて雑


そしてテキトーすぎるよなぁって


何でもありなら何でもありなんだよね


どうよ、これ?


つまりは好き放題なんだよね


難しく考えるだけもったいないのかもしれない


そんなに深刻になって


難しい顔して厳しい表情をして


あれこれ考えることしなくてもいいのかも?


もしかしたらもっとそれこそ自由に


私のやりたいようにやる


好きなようにしちゃう


人様に迷惑をかけない感じでね


それでいいのかもしれない