スピリチュアルもスピリチュアルで好きなんだ
好きなんだけれども
どうしても私が気になっていること
私が好きだと思う世界観
世界観、、、(?)←この表現が適切なのか悩んでる
悩んだ末
とりあえず世界観ってことにしとくことにした
その世界観には
スピリチュアルだとちょっと難しいかもしれないなってことが判明して
これはスピリチュアルについて知ってしばらくしてからことなく自分の中に生じたものなんだけど
私自身が好きだなって思う世界のあり方をスピリチュアルの中にはどうやらなさそうだなって思った
だけどスピリチュアルの世界観も好きなの
言葉にするのが難しいけど不思議
特殊な能力とかそういう話を聞くと面白いなって思うし
目に見えない存在とか本当に不思議な世界だなって
その何らかの見ることができない生き物たちがいるこの世界はこの世界で好きなの
すごく気に入っている
それでもやっぱりこの中にはないんだ
いつかそうなる日が来るかもしれないけど
でももしかすると
それが全体的に起きたとしたら
この場所の意味がなくなるなっていうのもあって
だからずっとこのまま(の設定)なんだろうなっていうのもある
なのでほどよく調和しているっていうこの状態がこの世界設定の中では最良なんだと思うの
そこがこの中のある意味最高点なような感じが今のところしていて
でも今の段階でのことだし
しかも個人的に勝手に思ってることだから
どうなっていくのかなんてわからない
ただ現時点だとそれがベストなんだと思う
この状態に持っていくことが最も良いことなのだろうな
最適かつ最善でこれ以上にはないんじゃないかな
そこから先はこの世界設定である必要について
ある意味では考えてしまう
そうするとその根幹が揺るぎ兼ねないと言うか
そうしたければそうすればいいけど
それだったら何のために?と
この世界設定も役割が終わったらどうなるんだろうね
私自身がスピリチュアルのスの字も知らなくて
だけどどういうわけだかスピリチュアルについて知ってしまった時
最初は面白い世界だなって思ったの
ものすごく興味深くて
不思議がいっぱいで
なんて楽しいのだろうと思ったの
でもただ楽しいだけの世界じゃなくて
なんかいろんなものが混ざってて
しかも自分自身が思っていたものと違ったことが2つほどあって
1つは楽しいだけの世界じゃないっていうこと
暗い影を落としている部分も結構多くを占めてて
きらびやかな雰囲気とかそういうものは確かにあったけど
そういうところについては個人的にはあんまり興味がなくてさ
もっと深い部分について知りたくて
この世界が一体何なのかっていうことを独自で調べる?
調べるって事であってるのかちょっと謎なんだけど
そういうことについて詳しい人たちの話を片っ端から聞いてみる
良い意見もそうじゃない意見も含めて
たくさんのことを全部ではないと思うけど一通り聞いてみた
そういう時期もあったのね
だって何を話しているのかわかんないから
その意味を理解するのにはそれが必要だった
だけどもそれを知ったことによって
なんかスピリチュアルも複雑なんだなーとか難解だなぁとか
楽しい気持ちよりもガッカリの方が多くて
期待をしていたというより
こんなものなのかって思った
見えない存在のことについても人間っていう生き物が人間に対してやっていることについても
そっか、こういう感じかって思って
ものすごくショックを受けた時期があった
人間については過去に家族を含めて色々あったので人嫌いな部分は前から持ってるんだけど
それがぶり返したかのように人間って嫌だなって思う部分もあったり
それに加えて存在っていう目に見えない 生き物についても人間と同様に嫌だなって思うようになってった
だけどそれは自分自身が直接体験したことではなく他人が体験していることを聞いての反応なので
それが全てではないことは分かってるんだけどね
それでも衝撃だったんだよなぁ。。。(遠い目)
で、これが1つと
もう1つは目に見えない世界というのは生きている人間には基本的に関係がないものだと思ってたらそうではなさそう
でも肉体を脱いだ後に関係している場所だからみたいな感じで言われていることが多いよね
夏の怖い話とかさ
怖い話なんて年中あると思うんだけど
夏の期間にだけちょっとでも冷やしたくて精神的に寒気を感じさせるような話をして涼を取るっていう昔の人の?斬新な発想により今現在にも続いている怪談話とか肝試しとかそういう感じの夏の風物詩(?)があるじゃん
そういう時に生きてる人間でも目に見えない世界というより領域っていうのかな
そういうところに存在している存在が見える人とかは確かにいるけど
でも基本的には目に見えるものが当たり前で
見えないものを見る方がまず難しくて
そう言う普段生活していると使わないような能力を使える人はごくわずか
だから基本的には目に見えない世界の事っていうのは生きてる人間にはほとんど関係なくて
確かに目に見えない世界はあるし目に見えない世界からの影響もきっとあるんだろうと思ってた
それがどんな風に働きかけているかとかは分からないし
目に見えない存在がいないとは思っていなかったけど
それでもやっぱり現世って言われてるぐらいだし
そういうものとはわけ隔てられた
生者とは別の世界の話なんだろうなって
ただどうにもそういうことではなさそうで
生きているとかそうじゃないとかそういう話ではないっぽい
確かに目に見えない存在はいるしそういう意味では見えてないだけで常に一緒にいるような状態なのかもしれないけど
そういうことともなんかちょっと違う
これもまたうまく言葉にできないけど
見えない世界と見える世界は隣接してるっていうか
そもそも同じ世界で
本当にただ見えているか見えていないかの違い
なんかそういう感じでさ
別に亡くなったから見えない世界に行くとかじゃなくて
肉体を持っていようとそうじゃなかろうとあるものはある
本当に見えるか見えないかというそれだけなんだよね
しかもどうやら天国とか地獄とかなさそうだし
それってなんかね
人間の想像の産物
人の想念が作っている世界
だから自分が思っているものがそのまま反映されている、または投影されているだけでそういうものは一切存在しない
なんか話によれば神々しい存在がお迎えに来るとかって言う不思議な話も聞くには聞くけど
本当にお迎えにそういう存在がやって来るのか知らないけど
色んなことを知ってしまった今だからこそ思うのはむしろ逆に神々しすぎて怪しく見えてしまう
だってスピリチュアルのほとんどが光というものを強調してるものが多くて
その眩しい光に目がくらんでそうな気がするんだけど?
どうなんです?
自分が信じている存在が本当に人間で言うところの心がある存在なのか
表面的に形作られた言葉だけで話していないか
愛って言えばそのままの愛で受け取っちゃう
本当にそこに愛はあるのか
某CMじゃないけど
本当にそこに愛はあるのか
これがちょっと謎
スピリチュアルってエネルギーとか波動とか周波数とかそれが大事って話すでしょう?
でも私これが落とし穴だと思ってるんだよね
エネルギーはもうこの世界そのものだからどうにもできないっちゃどうにもできないけど
だってエネルギーありきの世界だからね
エネルギーはエネルギーとして一旦分かりやすいように?置いとく(?)
スピリチュアルでは一番重要?と言われているのは
周波数と波動(もちろんエネルギーも大事)←スピリチュアルについて分からないが故に、エネルギーと分けて考えちゃっていいのかちょっと若干悩んでます
この話を結構される方がたくさんいる
これそのものがまるで本質だっていうように
でもその周波数とか波動といったものはある意味『カタチ』のようなもので
確かに大事ではあるんだけど
そこばかりにとらわれてたら見えないものもあると思うの
どうにもスピリチュアルって非言語と言うことにこだわりのようなものを感じるの
こだわりって表現していいのかちょっとこれもね
正直なところ最適な言葉なのか何とも言えない。。。
この非言語の会話に絶大な信頼を寄せてるような感じがする
これで相手のことを何でも理解できると思っているところがある気がして
それがどうにも私には引っかかってしまう
それが本当にできているのであれば
こういう世界になってないでしょう?
あくまでも周波数、波動は目安でしかない
本当に思っていること
相手の感情を読み取れるのだとしてもなお
それが本心かどうか、それがその人の本質かどうかはそれだけでは分からない
そこばかりに頼って
ある意味それだけを見て
周波数、波動という分かりやすい部分だけを見て
それがその人自身なんだって思ってるところがあるけど
それって本当にその人自身の奥深い部分まで理解できているんだろうか
目に見えるものだけが全てじゃない
だけど見えない周波数と波動というある意味見えるもので
それだけを頼りに見ているような気がして
目に見えるものは別に触れること映像として分かるもの、そういう形を持ったものだけではないと個人的には思った
周波数も波動も目には見えないけど
でも周波数と波動というそういう形を取ってる
その形にばかりとらわれて
その人自身をしっかり見ようと思ってないから
こういうことになるんじゃないの?と
私は思ってるんだけど
どうなんでしょうね?
いろんな人の話を聞いてたくさん考えた結果出てきた考えではあるんだけどさ
だから自分自身の体験ではないけれど
様々な体験とか話を聞かせてくれた人たちがいるから気づけた(出てきた新しいものの見方)ことでもあって
私1人では無理だったから感謝してる
あといろんなことを知ってるって言いながらも知らないことはいっぱいあるし
スピリチュアルについては未だに分かってない
分かってないから逆に出てくる発想なのかもしれないけどね
多分スピリチュアルで常識って思われていることを常識だと思ってないからこうなるのだと思う
全然違うことを考えている私がいるので
スピリチュアルは好きではあるんだけど
きっと相性が悪いんだよね(;・∀・)
私がひねくれ者であったり、拗ねたり、天の邪鬼みたいに反発的とか、思春期の子供みたいに反抗的だったりとか
素直に受け取れない自分が途中から出てきちゃって
自分の中にある何かがスピリチュアルについて聞く話の中で妙に反応する
なんか違和感を感じるなって
恐らくスピリチュアルが好きな人とかスピリチュアルに詳しい人たちの大多数は信じていること
そこに対して本当にそうなのかな?とどうしても思っちゃう
ほとんどの人がそういう風に言ってるけど
でもなんか違う気がするって勝手に自分の中で出てきちゃう
で私だって人間だから様々な感情が出てくるし、色々思いが出てくる
だから自分の中に矛盾を感じたり葛藤があったり、ずっと何かと何かがせめぎ合ってるような
まるで交感神経と副交感神経みたいに拮抗してるの
もうずっとそんな感じで自分の中がある 意味忙しい
これが長く続くとやっぱりそれはそれでね
宜しくないんだ
自分自身がおかしくなっちゃいそうになるし
かと言って無理やり止めてもやっぱりそれもそれでストレスになっちゃう
しかも自分の中だけに留めておくと
それもそれでまた頭がおかしくなりそうになってきて
こうやって定期的に外に放出しているわけです
誰かに向けて書いてるわけではないけど
公開している理由は
私が他者から様々な気づきをもらったから
その恩返しやお礼みたいなもの
私自身のこの個人的な感想や独り言が誰かの気づきになったり役に立つかなんて分からないし
私自身にはそういうものがないと思ってるんだけど
でもどう転ぶかなんてそれこそ分からないから
とりあえず記録として残しつつ
どっかの誰かの気づきになれればいいなって
そんなこと烏滸(おこ)がましいかもしれないけどね
ただ個人的にスピリチュアルについては好きだけど
ここには自分が好きな世界観が見つけられなかった
人として探究するのには十二分過ぎるほど面白いかもしれないけど
人間の世界と目に見えない世界とね
人間と見えない存在の在り方とか
夏休みの自由研究とかにぴったりじゃない?
でも夏休みだけじゃちょっと難しいかもしれないね
期間足りないよね
でも人と見えない存在どちらも気持ちが穏やかに過ごせてたらいいなって思う