前書きと言う名の後書き
日本語がおかしいかもしれない
予定は未定だけど
後々追加や加筆があるかも(?)
スピリチュアルについて
知るつもりなんてなかった人(筆者)が知ってしまった
もちろん全部ではなくざっくりとだけども
今でも知らないことの方が多いし
何でも知ってるわけではない
これは知識というよりそう言う分野について色々と知ってしまったって感じ?
他者の話を耳にする度
めんどくさ(;´Д`)
頭が痛くなる(;´д`)
決め付けられてるみたいでつまんない
同じ答え(話)ばかりで気持ち悪い
話してることとやってることがどうにも合ってなくて何がしたいのか不明でわけが、分からない💧
スピリチュアルの中で言われている理想を突き付けられているような気分に陥り
今のまま(今まで)の自分を否定されてるようで元気がなくなる😟
このままだと自分を見失いそうだ😔
どうしよう。。。😰ってなった時に思ったこと
全部自分が決めて
自分で変えてしまえば良いや
だって自分の人生なんだもん
私が好きにして良いよね?
というか誰かの許可なんてもらわなくても良いんだし
私の好きにする
なので
使命、天命、役目、役割についてとこれらに付随してくる魂のシナリオ、(神様との)約束などについても
スピリチュアル界隈で言われてることは基本的には無視
というのも私の中では不要な(参考にならない)内容が多いから
どうにも何かの役目に就かせようとしているのか如く?そう言う意識へ持っていこうとしている所があって苦しくなって来るんだもん
そうやってそれがデフォルトで、そうである事が当然で、それこそが生きる目的と言わんばかりで
そのままの私だって良いのにそこに疑問を持つような、つい考えたくなるようにされてる感じ?
私は何のために生きているのだろう?
私の魂のシナリオとは?などとね
魂のシナリオはもしかしたらあるのかもしれないけど
でもそれは誰かがそう言ってたのを聞かない限り、あるいは自分で自分に何か思う所がないなどなんらかのきっかけがない限り普通はそう思わないし、このことについて考えないと思う
で、後者(自分で自分に何か思うことがあってそう思う)なら全然なんの問題もなく自分の中を探究したら良いの
だって自覚があるんだもの
だけどそうではない場合(例えばわたくし筆者)はそういう話を聞くと困るわけ
しかもそう言う話をしている人って
これは私(発信者)が特別なわけではなく全ての人が何か役目があってここにいると、魂が決めてここにいると断言するじゃん
もしかしたらそうなのかもしれないけど
それでも勝手にそうだと決め付けないでよって思ったりもする
それがどうかはたとえそうであったとしても
それでも私が決めることであって他人に決められるものではない
それに何が困るって
だってこう言うことを言われたら探し始めてしまうでしょう?
大体は外側から影響を受けて探し始めるから
外側から自分の使命などに関する何からのもの(情報を集めるなど)を収集し出す
誰か(他人)が自分の使命などのヒントに該当するようなものを持っていないかな?ってね
そうやって自分迷子にさせるんだわ
だけどそう言う発信をしている人はそんなつもりは一切なくて本当にそう思っていて話してるから厄介
そして自分迷子にさせているのは結局のところ自分自身だから余計に厄介
確かに結果的には自分のせい
それでも思う
発信者は無自覚に惑わせている部分はあると思うってね
これは誰かのせいにしたり責めているわけではない
だけど実際そう言う所があると私は思うのでこのような表現になっただけ
それは外部から影響を受ける人が多いから致し方ないのだと思う
でもいくら外側を見ようとも、他者から教わろうと探してもそんなものは外にはない
使命などを外から得られるもので見つけようとしても無駄
何もかも無駄にはならないかもしれないけど
それでもその大半は無駄になる
何故なら発信者が話していることは全部その人の主観、その人の体験、その人の経験であってそれ以外の人には関係ないことだから
そう言う経験や体験をした人もいるのかくらいにしかならない
スピリチュアル的な話をシェアするのは構わないのだけど
そもそもスピリチュアル自体は個々人で体験し自分の内側を見つめて行くものだから
同じようにはなれないし出来ない
まるで自分と同じようになれとは一言も言ってはいないけど
それでもそれに近いような発言って多々見られると思うんだよね
不思議な力は誰でも持っているんですよとか
誰でも使命を持っているんだとか
役割があってここに生きているんだとか
そうやってそれがあるように話す
だから自分の使命はなんだろう?ってそれを求め出す
それらがない人なんていないのかもしれないけど
求めることがきっとズレの始まりなんだと思うんだ
だってそれらは自分のものなのだから
求めずとも既に持っている、自分の中にあるはずなのにね
それに惑うのは他者の体験を聞く度にその人の体験していること、それに近いものが使命などであると錯覚すること
例えば土地を浄化する役目を担っていますとか
神様のお使いをしていますとかね
だけどそう言うことをせずとも
普通に人として生きているそれだけで十分である場合だってあるのに
そう言う発信をする人自身が特殊なことをしていることが多く
目に見えない存在が見えますだとか
人の波動や周波数が読み取れますとか
お祓いができますとか
そう言うのが多すぎて
それが基本形になってる感があってさ
まるでそうでないと使命じゃない、役割ではないと勝手に思い込んでしまってる所がどうにもあるなって
自分自身が誰かのセッションを受けて普通に人として生きることがあなたの役目ですよって言われたらきっとショックを受ける人多いんじゃないのかな?と
自分では○○だと思ってたけど○○じゃなかったとか
でもそれも他人にこうだと言われたからと言ってそれがそうだとは限らない
逆にあなたは○○であると言われたとしても本人が違うと思えば違うのかもしれないし
結局本当かどうかなんて誰にも分からない
真に分かるのは本人だけ
それなのにも関わらず
どうにもずーっと長いこと
言われるままにそれを信じて疑わず
そうなんだと素直に受け取ってそうして来た感があってなんだこれって思ってる私がいるんだけど😥
さっき
不思議な力は誰でも持っているんですよとか
誰でも使命を持っているんだとか
役割があってここに生きているんだとか
そうやってそれがあるように話す
だから自分の使命はなんだろう?ってそれを求め出す
それらがない人なんていないのかもしれないけど
求めることがきっとズレの始まりなんだと思うんだ
だってそれらは自分のものなのだから
求めずとも既に持っている、自分の中にあるはずなのにね
と書いたけど
それもそうなるよなぁってことが多いのも頷ける
だって
自分の中にあるものを探すのに誰かの話を参考にしようとするから
既に書いたことと重複する部分もあるけど
スピリチュアルって結局いつも他人頼りなんだよね
誰かに頼ることは悪くないし駄目ではない
でも自分の中を見つめる、自分と向き合う、自分に集中するなどと言われているけども
気付けば他者の中に見つけようとして
ずっと探す
誰かの言葉であなたはこれこれこうですって言われないと安心出来ないんだ
誰かに認められてそれで初めてそうなのかもしれないと自覚を持って、自分で自分を疑っていた所から言われたことを少しずつ意識して行く
言われたことが合っていればシンクロが起きていずれ確信になるのだろうけど
最終的な判断が自分で下せない
自分のことなのに
そう言う状態になってる人が多いのではなかろうかって何となく思うのだけど?
ちなみに私(筆者)はそうですね
自分で私ってこうなのかな?なんて中々思えない
気の所為だったら?
勘違いだったら?
恥ずかしいな、痛い人じゃん、そもそも私がそんなこと出来るとは思えないしな、分不相応な気がするなどと思ってしまうことがほとんど
だけど思い上がるのは違うけど
ひょっとして?って思う分には良いと思うんだよね
ずっと考えていても分からないものは分からないし
もしかしたら?ってこともなきにしもあらずじゃん?
それが突飛だとか大それたことでも
なんでも良いと思うんだ
※ただ人様に迷惑をかけるものは別だけどね
だって自分の人生だし自分のことなんだもの
好きなようにして良くない?
そもそもスピリチュアルで話されているようなこうである、こうするのが良いと言う感じで伝えられる、ある意味決め付けのようなものの方が無理があるし
例えば魂のシナリオに沿って生きることが全ての魂の喜びであるとかね
私は天の邪鬼だからなのか
どうにも
ホントにそうなの?
誰がそう言ったの?
何故全ての魂がそう思っているって分かるの?と疑問に思うんだよね
それをしないとまたやり直しになったり、やり残してしまうからそれはしたくないでしょう?とか言ってやり直すことややり残すことが何故良くないことのように語られるのかも分からない
魂の言う通りにしないとやり直しになるってなんで分かるんだよと
逆になんで私のことなのに分かるんだ?
そう言い切れるんだ?
気色悪い!って思ってしまうの
面倒くさい人で申し訳ないんだけど
だって本来はなんだって良いのにね?
なんだって構わないと言いながら
なんだって構わないなんてことはないんだよって言われてるようでため息しか出て来ない
実は魂が決めたことどおりにしないと駄目なんだって言ってるようなものなんだもの
それが苦痛で仕方ない
魂の望みどおりに生きることが全てで
それが正しいこと
そうするのが私の本当の望みであるかのように話される
その決め付けが嫌で嫌で仕方ない
加えてスピリチュアルの最も嫌なこと
いつも選択(こたえ)はこれしかないような感じにさせられているような気がしてならないとこ
自分で決められているようで
選択権を奪われているかのような
道が一つしかないような感じで
なんて窮屈なんだろう?
それにまるで未来も決まっているようで
もしもそうだったら
なんの為に生きているのか分からなくなってくる
私はそんなの嫌
アセンションするしないについても
五次元意識と三次元意識の話にしても
どっちか
三次元意識(従来の在り方)のままだと地球は滅ぶ
五次元意識(新しい在り方)だと進化、発展して行く
どっちが良い?とね
見えない存在と共同創造と言いながら
いつも決めてるのは見えない存在
勝手に人間の行く末をこうだと決めて
それぞれの行く先を話しどちらが好ましいかを問う
ずっとそんなやり方をしていて
人はそれに従ってるようなもの
見えない存在から聞く話を真に受け信じ
そのとおりに動く
私にはそう見えている
宇宙のルールが新しくなりましたとか
まさにそう
そんなもの本当にあるの?
人間は太古の昔から高次元存在プロデュースの企画や催し物に知らず知らずのうちに参加させられてるようなものだと思うんだ
自分でどうにか出来る力があるのに
それを半減させられているようで
見えない存在に管理されてるみたいだなって思う
人の意識の問題なのかもしれないけど
それにしたってなんだこれって思ってる
だからスピリチュアルの話を耳にして
縛られているように感じたもの、感じたことは自分の中で腑に落ちない限り全て採用しないことにした
だから私は見えない存在について何者なのか考えるし
この世界についても考える
人と存在の在り方についても
人の可能性についても
有名な人や誰かがそう言ってたからと言ってそれを鵜呑みにはしないし
神様だからって全幅の信頼を置かない
神様だから正しくて間違うことなんてないとどうして言えるのか
私にはまるで分からないから
私がもしも神様と呼ばれる存在などからメッセージをもらったとした時に疑問に思えば聞き返すし質問もする
本当に伝えるべきことなのかとか
それを伝えてなんの意味があるのかとか
私はこうしたい、私はこう思っているなど私が納得出来るまで何度も問い返すだろうな
ちなみに今現在まで広く広まっているスピリチュアルの多くは誘導が多くて嫌
過去のブログで何度も触れていているように
まるで人間社会の会社と変わらない
上層部が決めて現場に通達しそれを行う
現場の話を聞かない企業って多いけど
まさにそんな
何が共同創造だよ
見えない存在だけで色々決めて
決まったことを人間に伝え
それが出来るか、出来ないかで組み分けてるようなもので
主導権が自分にあるようで
見えない存在が用意したものの中で
決めたような気で生きてるようなもんじゃんか
これの何が面白いんだ?
茶番劇じゃん
だから全部私が決める
使命がほしいと思うのなら
本当は自分の中にあるのに
それが見つけられないのなら
自分で自分にこれが使命だと言って
私が私に与える
これがあなた(私)の役割りだとね
そんなものなくたって良いんだけど
どうしても他の人と同じように使命がほしくて、何かの役割りがやりたい、役目を持っていたいと言うのなら
私は私にその役を用意してあげようと思う
そもそもこの世界は自作自演の作り物で
幻の世界なのだから
私が私に役割を用意したとて大差ない
誰かに言われようと、自分で用意しようと
意味付けをするのは何時だって私自身なんだもの
他者から言われた、自分で言った
ここに正誤も良し悪しも何も無い
ただそうしたって事実があるだけ
だから好きにさせてもらう
他者は関係なしにね
それにこれは私による私の為の私の人生だし