観測するまでどうなるか分からない


それは見るまで分からないって意味で


でも現象って見えてなくても起きるものだよなぁ


つまり


観測してなくてもそこに何らかの事象は起きてる


起きてなくても起きていてもどっちも起きてる


それは起きてないと言う現象と起きていると言う現象


そしてそれは何故観測しなくても起きていると言えるのか


観測とは見えているからそう言えることであって


見えるからそう言える


でも目を閉じていても物事は起きている


何が起きているのか観測しないと分からないのは確かだけど


見えなくたって起きていることは確かで


観測を例に出したら目を閉じている時人は何を体験してるの?ってことになる


体験って誰にも起きてるけど


それって目を閉じていたって起きてるものだし


つまり私と言う存在が関与しようとしていなかろうと生じるものとも言えて


観測にこだわると、つまり視覚に頼っていては見えてこないものだってあるように思う


目を閉じていたら色の想像がつかないように


私達が見ているもの


それをそれと認識しているもの


それは本当にそうなのか


私達は真っ暗な状態を見えないと言っているしそうだと思っている


でも色を知らない人や明るさを知らない場合は初めから真っ暗を知らない


真っ暗とはどう言うものなのか


その概念すら分からない


だって見たことないのだから


暗いと言うこの表現もそう言う表現があるのだと認識することはできても


それがどう言う状態を表すものなのかは体験してみないと分からない


私達は見えているから


何も無い世界を想像できる


それは真っ黒なのかもしれないし真っ白なのかもしれない


あるいは透明?


でも初めから色も光も分からない状態で


何も見えない世界に何色が見えているかを問いたって


それが何色かなんて分からない


観測すること


その観測とはおそらく目で見て判断して初めて分かるって意味だよね?


でも多分目で見ることそれは全てではない


見えなくても現象は起きているのだから


何が起きているのか


それをつぶさに確認するのに観測してるだけで


すでに何らかの現象はそこで起きている


起きてきても起きていなくても


それを決定付ける何かを知ろうとしているのかもしれない


どうしたらそうなるのかと


それって難しいよね


統計や確率で弾き出せるのかもしれないけど


その違いが何故生まれて


どうやってそれが決定付けられるのか


その確実性をどう表すのか


これって考えてもぜーんぜん出てこない


ただ思うのは見えるものだけでこの世界はできてない


そして確かに観測して分かることもある


でもそれは見えること、それが出来る人だからこそ出てくる言葉とも言えて


そうじゃないと観測なんて言わないと思うんだ


でもこの世界には先にも触れたようにそれ以外の働きもある


観測してなくても体験することはできる


それはなぜ起きているのか


当たり前のことだけど


とても気になるね