テーマほしのおと


前書きという名のあとがき


結構失礼なこと書いてるかもしれないからさ


閲覧注意ね


こういう人もいるんだっていうことで


個人の感想みたいなものです


あとね


自分で書きながら気をつけてはいるんだけど


読み返すと押し付け(決めつけ?)がましいように見えなくもなくて


なんかもう少しいい言い回しができなかったのだろうかと反省してる自分がいる


ほんと文字に起こすことが下手くそなんだよね


不快にさせちゃったら本当にごめん


そういう意図はないんだけど


でもなんかそんな風に見えなくもないなって思ってしまう自分もいて


めっちゃへこんでる


大きな心で見れる人だったらいいけど


読んで気分が悪くなる人もいるかもしれないから


読む際は本当に気をつけてもらいたいです


だって気分悪くなった後その気分を解消させることができないから


なのでね


気をつけてください


ちなみにこれは全体公開にしてるけど


誰かに向けてというより


自分自身の感想をアウトプットしてるだけです


だから誰かに向けているわけではないです


誰かに向けて書いているように見えても


それは気のせいです


私自身が自分自身に語りかけるように書いちゃってるだけで


紛らわしいかもしれないけど


誰かに向けて書いているわけではございません















ずっと考えてるんだけど


なんでこんなにスピリチュアルが嫌いなんだ?


個人的にどうしてそう思うかをつらつら書いて行くとしたら


人を騙すツールとして使っているところ


神様が言うことが絶対だと思ってるところ


未来はこうなるって決めつけるところ


存在が信用できないところ


存在に対して安心感を持てない


日本の神様も同じ


日本の神様以外もそう


地球由来の神様も宇宙由来の神様も正直信用できない


それは何を考えているのかわからないから


ざっと挙げるとこんな感じかな


一番上から順番に紐解いていくと


人を騙すためのツールとして使われている


これはもう口が悪いけどクソ中の中のクソですね


人を騙してその人の財産を全て奪う


最悪


こうやって自分の私服を肥やして


誰かを苦しめている


精神世界を使いながら人の優しさに漬け込み生活を破綻させて行く


悪いと思っていない


だって自分さえよければそれでいいんだもん


相手がどうだろうと関係ない


詐欺だと見抜けなかった自分が悪い


騙される方も騙される方だ


そうやって自分に正当性を持たせて


win-winの関係みたいな感じで話してることが多い印象


どこがwin-winなんだよって感じだよね


明らかに被害にあってる側が不利で搾取されてるのに


性根が腐ってると思うしやっぱクソだと思う


素直にストレートに思うならそうだね


ただそこに至るまでに何があったのか


どうしてそういうことをしてしまったのか


決して許されることではないけど


でも理由を知ったらどんな風に思うだろうか


なぜそのようにしたのかと


被害にあった方からすると


そんなこと関係ないって


こっちは被害にあっているんだから


なんで擁護しようとするんだとお怒りとお叱りの声も聞こえて来そうだけど


別に擁護してるわけじゃないんだ


ただ様々な背景を見ないとわからないからね


なぜそのように至ったのかっていうそこ


でもこれは被害にあった人も含めて


何で引っかかってしまったのだろうかと


それは気になるとこ


自分自身の体験で語るとすれば


ちょっと違うかもしれないけどいじめられていた時に近いものを感じる


いじめる側といじめられる側


起きていることだけを見た時とそうではない目に見えない部分での状態ってどうなんだろうなって


つまりこれらをエネルギーの流れで見たらどうなるんだろうね?って


その場やその人達の間には何が起きてたのだろう?


そんなことを考えてしまう


だけどこれ(人を騙して財産を巻き上げることや生活を脅かすこと等)は容認できないことだし


しっかり償ってもらわなくてはならない


だって悪いことだもの


絶対にやったらダメなこと


法律がどうとかそういうことじゃなくて


世間一般的な常識がどうとかそういうことでもなく


人としてダメだろう


道理に反してるし


だけど道理があるからとかないからとかそういうことでもない


道理に反しなければそれでいいとかさ


その中だったら何やってもいいんだよってことでもないから


じゃあ道理の中身って何でしょうね?っていう話にもなってくるじゃん


その中身がとんでもないものに書き換えられたとして


それがもしも可となった時


その範囲内だったら何やってもOKなんてことにもなり兼ねないなとも思えて


決まり事とかそういうものも結局のところは人の意識によるところがあるし


ルールがあるからとか


そうではない部分での判断だよね


それこそ本当にその人自身の人となりの話になる


この人自身が持っている本質的なところ


こればかりはどうしようもできないけど


でも元々私たちってスピリチュアリティの高い存在だし


自分の中にあるそういう部分に対して気づこうと思えば気付けると思うんだけどな


上から目線に見えたら申し訳ないけどそのような意図はないです


兎にも角にも一つ目は人を騙す目的で使われていることが多いから


精神世界の話だからなおさらタチが悪いと思う


こういったところから嫌いになってる


だって良くないことだと思うから


こんなことをする人の気が知れない


やむを得ない事情があったにしろ


自分事として考えた時、誰かを困窮に陥らせてまで自分の豊かさを追求したいと思わないから


ただ思わない人がいる反面反対のものが存在しているっていう事になる


この世界って陰陽なんだもんね?


とするなら


そう思う人もいるっていう事になる


ややこしいけどそういうことになる


残念(?)だけどそれが二元性の世界だもんね


次は神様が言う事が絶対だと思っているところ


神様絶対主義っていうわけじゃないと思うけど


でもなんかそういうのに近いよね


でもこれ私の中では意味が二通りあって


一つは宗教の中に見られるもの


神様が言うことが絶対っていう


個人的な意見を述べるのであれば


宗教における神様の姿というか形?


それがなんかよくわからないんだよね


何を信じようと構わないと私は思うんだ


それぞれにそれぞれの大事にしているものがある


だけどどれか1つに絞りなさいっていう話になってるじゃん


自分たちが信じている神様が全てであって絶対でそれ以外は認めないという


そういうところから宗教戦争って起きてたりするでしょ


その感覚が分からないのさ


どれも好きでよくない?


むしろ神様なら何でそんな風に自分だけを信じるなんて言うんだろう


なんでそんな不自由さを強いるんだ人間に


何ていう疑問が起きてしまって


よく分かりません


どの神様だっていいじゃない


それぞれにそれぞれの良さがあるんだし


どの神様だって素晴らしいそれではダメなの?


絶対に一番を決めなきゃいけないなんてことないでしょ


全部が一番じゃだめなの?


それにそうやって人同士が争っている様を見て良しとしている神様って神様じゃないと私は思ってる


学びとかそういう話じゃないし


それを何度も繰り返させる


そういうのって本当に神様なんだろうか?と個人的には思う


あくまでも個人的なものだし


特定の宗教の神様を否定しているわけではないし


宗教自体がダメだとかそういう話でもない


そのまま自分が大事に思っている宗教を大切にしたらいい


これもそう言う意図はまるでないけど上から目線に見えたら申し訳ない


で、もう一つの方はスピリチュアルにおける神様


その神様からメッセージをもらう人がいてその人はそのメッセージをそのまんま伝える


なんかよく考えもせずにいろんなことを伝えている


それが真実だろうとそうじゃなかろうと


言われるままに動き、言われるままに話す


神様が言っていることを疑ってる人はまずいない


みんなと言っても全てではないけどもほぼほとんどの人が神様に全幅の信頼を置いている


だから疑いもせずに耳を向けてる


そしてその通りだと言わんばかりに賛同する


こういう傾向が強いなって思っていて


神様だからと言って話してる内容が正解だとは限らない


神様だからと言って間違わないとも限らない


そもそも神様って何のこと?


どんな存在なのでしょう?


神様その物って人間が何かの存在に対してそのように思っているだけ


神様の定義なんてないからね


単純に人間の意識の中の共通認識として


幽霊とか悪魔とか妖怪とか天使や眷属等以外の見えない存在


中には眷属も神様と言ってる人もいるけど


ざっくり言うとそういう存在を神様みたいな定義で見ているような?


だけどこれと言ってこういう状態が神様とか


こういう条件を満たしていたら神様とかそういうものは一切なくて


なんとなくエネルギーが高そうな、高振動で周波数が高い、あるいは大きいエネルギーを持つ存在が神と認知されてるような?感じがしてる


そういう者たちが話すことに対して全然疑いを持たない


自分の中で確かめようとしたり検証しない


そう決め付けて話してるわけではないけどその傾向が強い


考えることをせず


言われたことをそのままやる、伝えられたことを言われたとおりそのまま言う


そういうのが多いなって思って


だから神様が言うことだったら絶対に聞くことが多い


なぜ?と聞き返してみたり、嫌なことには嫌だと言ってる人っていても少ないんじゃないのかな


とにかくなんでか分からないけど


存在が言っていることをまるっと信じ込む


それが嫌いだなって思うとこ


だって失礼かも知れないけど気持ち悪いんだもん


神様はそういう風に言ってるけれども


私はこう思うって異なる考えを持っていたってよくない?


むしろそれの方が普通だと思うんだけど?


でもそうじゃないことが多いんだよね


全ての人がそうだとは思わないけど


でもほとんどの人が神様と同じ意見、同じ考えを持ち、神様が言う事に賛同してる


それが不思議であり不自然


どうしてそうなるんだろうなって思って


それが気持ち悪くて怖い


あ、無理だわ、、、😰ってなっちゃう


元々私はこういう風に思ってたけど神様の話を聞いて考え方が変わったとかそういうのだったらわかるんだけど


初めから一緒みたいなのが怖い


盲目的に言うことを信じているように見えてしまって恐怖


その人の意思はどこにあるのか?と心配になる私がいる


失礼かもしれないけど正気なんだろうかって


それになんで神様だからと言って安心できるんだろう?


どうして平気だ、大丈夫って思えるのかなって


私には疑問なの


だって人類史の中の伝承を見てくとさ


結構えげつないことされてるよ?


特に神話を見てると


それが全てだとは思わないけど


それにしたってね


もう少し警戒心を持ってもいいんじゃないのかなと思っちゃう


だってこの二元性の世界の住人には変わらないんだから


いろんなものが混ざってるわけで


玉石混淆な状態


ただの石も宝石も混ざってる


それがダメだってわけじゃないんだけど


でも気をつけないと危険とも言える


だけど人ってむやみやたらに見えない存在との繋がりを求めるし


なんなら神様助けてって神様にすがるとこあるじゃん


何かしてもらったらそこに依存する傾向が強いし?


私にもそう言う傾向あるからめっちゃわかる


つい頼りたくなるよね


それに人ってやっぱり自分のことを嫌いと思いながらも実は自分のことを大事に思ってる


だから自分にとって耳障りの良い言葉を採用しがちだし


そう言う言葉を言われると純粋な人ほど真に受けてしまうような?


中には見えない存在と繋がっている自分に気付かぬうちに陶酔してしまっている人も見受けられるし


他の人よりも優位な状態に立っているような気分に陥ってその能力を見せたいだけの人もいたりするから


自分のことじゃなくてもこの人すごいんだよって言わんばかりに


それが自分自身だったらその後ろには劣等感とかそういう類いの感情が隠れてたりする場合もあるけど


本人がそれに気付いているのか、そうでないのかは不明


薄々気付いていてやってる人も中にはいると思う


何にせよ宜しい状態とは言えないよね


それに優越感に浸ってるとか陶酔してるとか抜きにしても


誰かが話す神様だとか高次元の存在と呼ばれる存在の言葉を聞いて


それをそのまんま鵜呑みにする


これってさ


本当に自分で望んで思考停止状態にされに行ってんのかね?


どうしたら自分で考えるようになるんだろうかと


本当に謎


考えることを強要したり押し付けたいわけでも


そうだ(鵜呑みにして思考停止になってる)と決め付けたいわけではないけども


でも人を見ているとそう言う傾向が強いなって


伝えている人も自分で考えなさいってあんまり強く言ってる人はいないし


※きちんと伝えている人も中にはいます


何なら自分が話していることが正しいじゃないけど


そういうところに対して(それを話している本人が)疑いを持たずに話している人も多いなっていう印象


寧ろついてこいと言ってるようにも思えるような話し方をしている人も中にはいて


でもある時


いきなり突き放すように自分で考えなと言うものだから


今までその人の話を聞いて


そのとおりにして来た人は大混乱


そしてその人からそれは自業自得だと言わんばかりに自己責任だと言われたら


信じて来た人からすると当惑するよなぁ


そうやって振り回している人もいるように思うんだ


依存させるように働きかけて途中で突き放す


寄りかからせるだけ寄りかからせて


ある時その寄りかかってたものがいきなり消失みたいなね


信じ切っていた人にも問題はあるけど


そういうやり方をしてる人も人で問題がある


もちろん全ての人や存在がそうだとは言わないけど


私には人の心を弄んでるように見えて不快なんだよな


なので総合的に見ても見えない存在との関わり方とかそういうものについて個人的には見直しが必要だと思ってる


なんか見えない存在の言いなりになっているように見えて


そうじゃないって言ってるけど


結果的にはそうなっちゃってるように見えるのは私だけ?


もしかしたら見えない存在たちの意図はそうじゃなかったとしても


人間の行動と意志力とかそういう部分に於いて


相手に任せてしまうところがあるから


結果的に自分で決めてるようで相手に答えを用意させてそこから選んでるように思えるんだ


それって本当に自分の答えなのかな?と


宇宙に委ねようとかなんかそういうものもあるし


この人や存在が言っていることに従って行けば大丈夫


この人や存在についていけば問題ない


そうやって誰かに任せて


自分で自分の人生に責任を持たない


その結果うまくいかなかったら誰かのせいにしたりするんだよね


あるいは自分自身のことをめちゃくちゃ 責めまくるとか


どういう風になるのかその人自身によるから何とも言えないけど


でもなんか神様が言うことが絶対だっていうこの感じが私には奇妙というか


すでにさっき本音がちらっと出ちゃったけど


気色悪いのよ


気持ち悪くてしょうがないの


悪口じゃなくて本当にそう感じる


傀儡(かいらい)みたいでね


高次元の存在のお人形と化してるような感じでちゃんと自分自身をその人が生きているのかがわからなくなる


そういうところでなんか嫌だなって思う


それはその人自身が自分のことを生きているように思えないから


自分の考えとかを見えない存在にぶつけたっていいと思うんだ


逆らっちゃダメとかそういう話じゃなくて


だって対等なんだもの


本当は


けど見えない存在を自分の上の方に置いて


目上とか目下とかそういう話でもなく


なんか自分よりも位が高いとか


自分よりも尊い存在とか


なんかそういうよくわからないヒエラルキー的なもの?を感じて


なんでそういうものは本来はないのにあるような感じになっちゃってるんだろうなって


そういう点で嫌いだなって思う


信じてしまうこととか、同意見になることについて


強いて理由を考えるとするなら


同じ波長を持つ存在と繋がるから


似たような考えを持つのかな?


あるいは共感しやすいのかな?みたいな感じ?


詳しくは分からないけれど


これ結構、偏ってるものの見方かもしれない


人間としての私は失礼かもしれないけどこういう風に捉えてる


未来は決まっているように話すこと


これはね


アセンションの話でよく出てくる


どっちがいい?と問う時に


なんでか一方は愛に溢れていて


なんでかもう片方は愛がない


極端に言うと


生存か滅ぶか


さてどちらを選びましょうかみたいな感じで話してくること


そんでもってどちらでも好きな方を選んでいいんだよ


選ぶのは自分自身だからねと言う


うん、、、


は?


最初から二択しか存在してないことがもう私の中では意味が分からない


もっとたくさんの選択肢があったっていいはずじゃない?


なんでこの2つって決まってるんだろうなってとこがまず疑問なんだよね


それ以外の道だってあるはずだって私は思っているから


結局のところはどっちかになってしまうのかもしれないけれども


そのどっちかの中でもいろんな選択肢(未来)があったっていいはずじゃん


だけどもまるで2つしかないように話すこと


結果的にはどちらかになってしまうんだろうけど


なんかね、気になっちゃう


単に私の屁理屈かもしれないけど


その上でもう1個思うのは


なんで滅んでしまうってわかるんだろう?


だってどうなるのかなんてわかんないじゃん


なんで滅んで行ってしまうと、まことしやかに囁かれている方には愛がないって言い切れるのかがわからないの


そもそも愛があると言われているもう一つの選択肢の世界だってどうなっていくのか誰にもわからないじゃん


それなのに片方は滅びの道でもう片方は生存の道ってなってるのがわからない


この世界線は進化とか再生の道って感じがしてる


※前回の続きというよりも新たに再スタートするっていう感じがすごいするので再生の道と言う雰囲気を個人的には感じるので再生の道って書かせてもらいました


個人的にはなんでそうやって比較するのかもわからないし


未来はどのようにだって変えられるはずなのにこうだって話して


まるでそうなることが決まってるような口ぶりで話されると不快感を伴うよね


だってそれはそうでしょ


だって決まってないのになんで確定してるように話すのか


それが良いことにしろそうじゃないことにしろ


決まってるっておかしくない?


もしも決まってるとしたらその道に進ませたいと思ってるからそういう風に話す


そっちに持って行きたくてしょうがない


だからそういう風に意識をコントロールしてる


そのように見えちゃってなんか気持ちが悪いっていうかさ


これがもし仮に本当だとしたら


え、そういうことをするんだ?と


めちゃくちゃ引いてる私がいるの


仮にそうじゃなかったとして


考えた時に


何かのシナリオがあって


そのシナリオ通りに動いているっていうのが気持ちが悪いの


だって変えようがないってことを示してるってことじゃん?それは


そんなことあっていいの?と私は思ってしまうの


魂の脚本とはまた違うじゃん


こんな風に全体を含めてその中で生きてるって


なんかゾッとするなって思って


決まったものの上をずっと歩いている


自分で決めているようで実はもう決まったストーリーがあってその中で


選択してるだけだから


自分で決めているで決めていない


決めているような気になっているだけとも言えて


それだったらこの世界って何なんだろう?


そうやって初めから結末が決まっているのなら


なんで生きているんだろうと思ったりするんだよね


何のために自分が生きているんだろう?


なんかそういうところも考えちゃって


なんか頭がおかしくなりそうになってくる


だけどそんな風に結末が絶対にこうなるっていうシナリオなんて本当にあるのかな?って


そのように思わされているだけで実はちゃんと変えられるんじゃないのかな?と私は思ってて


というか決められているなんて本当に嫌なんだよ


そんな決まってるなんて気持ちが悪くて無理だよ


だからそんなのないって思いたい 私がいるんだよね


もうすでに確定していることだから安心できるじゃんって思う人もいるかもしれないけど


そういうことじゃないんだよね


それとこれはまた別


私は自分で自分の人生を歩みたい


誰かが決められたシナリオの中で自分が生かされてるような状態は嫌なの


そんなの自由じゃないと思う


それだったらそんなところからはみ出したところで


一人で自分の人生を謳歌してたいよ


そんな全魂を含めた大きめのシナリオがあったとして


そんなの関係ないもん


自分がそこに同意してるとか言われたとしても


そんなの途中で気が変わったら抜けられるようにしといてよって思うし


何ならこの世界そのものを誰でも好きなように本来出来るはずなの


私が自分で決められるはずなんだから


そんな誰かが考えたよくわからないシナリオなんて関係ないし


他者のシナリオの中でなんて動きたくないじゃん


オリジナルがいいよね


誰かのお腹の中でオリジナルになっても面白くなくて


自分一人で


その(お腹の)外側で


きちんと自分の道を自分で歩いていたいて思ってる


だからそうやって未来が決まっているような空気を匂わせる話をしている存在とかいると嫌悪


勝手に決めないでもらってもいいかな?にっこりって思うの


こう思うのはやっぱり自分で自分の道を決めたいって思っているからだろうね


なんだかんだでそういう部分が自分の中にあるんだなって思う


あと未来は決まっていないものだと知っているから


だから余計に疑問が出て来たり


何を言っているんだろう?っていう疑惑の目を持ってしまう


この存在はどこに人間を連れて行きたいんだろう?と思っちゃう私がいる


一体人類をどこへ引っ張って行こうとしているんだと


こういうことをやっているからスピリチュアルって嫌いなんだと思う


全員が全員ってわけじゃないけどね


だけど変な方に誘導しているものもあるし


それは否定できない


意識を誘導させてるの本当やだ😨


特に自分で考えているように思わせる


自分で選択しているように見せかけて


実はそうじゃないっていうのが本当に巧妙だなって思う


やり方が汚いと言うか


人間の心理とか使ってるなって思う


ある意味すごいと思うけど引く


人間を熟知してないと出てこない方法


人はどういう言葉に動かされるとか


人間の脳みそとか人体?の構造を含めて


人の感情とかそういう情緒的な部分にも長けてないと難しいよね


手練れだなって思います


総合的に?こういうことがあるから


存在のことを信用できない


存在について安心できない


こういうところに至る


それが地球の神様だろうと宇宙の神様だろうとなんだろうと


私の中ではどうしても怖いっていう感情が出て来てしまう


不思議だよね


感情は自分じゃないって分かってるのに


それを自分だと思って生きてるし


ものすごく人間的に、この人の世界のあり方に沿わせた考えを持ってるなって思う


それがいつまでも抜けきれない


でも自分で本来の自分ってそうではないよなってわかってる部分もあるから余計に混乱するんだよね


話を戻すけど


存在自身が使う言葉が


なんか私の中ではあんまりいい言葉のように思えないこととかもあったりして


審判を下すとか


裁きを与えるとか


なんか聞いてて物騒なものが多いんだよね


これなんなんだろう?と思ってて


なんか偉そうだなと思って見てるんだけど


なんでそんな横柄なの?


私には横柄な態度に見えてるんだけど


これって私だからそう見えてるだけ?


神様って自分たちの方が格やら位が上だと思ってるのか?


そうじゃないにしても


なんかね


人間のことを下に見てるというか


人間って愚かだよねって


そうやって思ってるんじゃないのかなって


確かに愚か者だけども


それは私を含めて否めないけれど


だからと言ってその言い方は何なの?と思っちゃったりするね


神々が人間に対して失礼だなって思うことがあるように


私も神様って人に対して失礼だなって思うんだ、、、よね(・・;)


そういう存在たちから色々と言われても仕方がない部分もあるけれど


それにしたってなに?


神様だからって何なの?


それ本気で言ってます?


神様だからって何言っても構わないと思ってる?とか


何やったっていいと思ってたりしない?って思ってる


向こうも向こうで人間に対して思うところがたくさんあると思うよ


地球環境の破壊もそうだし


人間が人間を虐げている現状


いつまでたっても争いをやめない


戦い続ける


人の命よりも物の方を優位に考える


そういう考えを持っている人も中にはいるから


そこに善悪とか、正しいと間違いなどをくっつけて見るとややこしくなるし


そういうものの見方をしてるといつまでたってもその視点からだと見えてこないものもあるから


そういうものを一旦取っ払って考えてみる


そうやって見た時に確かに思うよ


その状態が本当に好ましいのか


それが人の本当のあり方なのか


本来の自分たちはどうなんだみたいなところをおそらく説いてるんだと思うの


本来の人間の姿みたいなもの


それはそうじゃないだろうっていうことを知っているからこそ出てきてしまうものでもあるのだと思うんだけどね


その状態を思い出せってずっと言ってるんだと思うんだけど


だからといって上から目線すぎやしません?


なんか偉そうだなと思っちゃうんだよね、いつも


なんか自分の使命を思い出せとかさ


そういう使命の話とかも本当やめて欲しくって


それが好きな人ならいいんだけどね


私そういうの好きじゃないからさ


勘弁してくれよと思う


ライトワーカーっていう


このネーミングとかも本当無理


げっそりする


そういうネーミングとかいらない


ネームバリュー?で人間って動きたがるとこがあるからさ


全員ではないけど


肩書きとかそういうものによって


確立された立場???というか


なんて言ったらいいんだろう?これ


安心感があるとか、自分が行っていることの正当性を証明できるというか


何というのかな


私はそういう人間(ライトワーカー)なのと言うことを立証する?ためのものというか


これなんて説明したらいいのか本当に難しい


なんていうのかな


ライトワーカーとかそういう冠をつけて


その代名詞でもって動く


そうであるためにはその名前が必要だ みたいな感じかな


その名前があって初めて本物だじゃないけど


その名前を語るから、その名前を出すから良い?


出すことによって地位ではないけど


自分がやっていることの価値みたいなものを生み出してるっていうのに近いのかな


その名前がないと意味がないというか


なんか説明がものすごく下手で申し訳ないんだけど


何が言いたいのかと言うと


そんな名前なんて本当はいらないってこと


別にそういう名前があるからライトワーカーってわけじゃないし


そういうものを作り出すとさ


反対のものも出てきちゃうとこあるじゃん?


ライトワーカーがあるのであればダークワーカーってのもあったりするかもしれないじゃん!?


実際あるかどうかは別として


でもあってもおかしくはないよね


それはどういう意味合いで使われるのかはわかんないけど


ただ光と闇はどっちもあるのが普通なんだけど


今の現状だと


ずっと反対のものっていう感じになってるの


対極のもの両極端のもの


二個に別れちゃってるの


本当はどっちもあっていいものだし


そこに良いとか悪いとか本当はないことを知ってるじゃない


統合と言われてたりするけど


そもそも本来は統合とかそういう話じゃなくて


元々単にあるものだから


一つにするとかそういう話じゃないのではなかろうかと個人的には思ってる


だってそれは人の意識の中で生まれてしまった分離っていう感覚なんだと思うの


なので統合ってどう言うことなんだろうなって


でもふと立ち止まって考えてみる


結局一度分離っていうことを意識の中でしちゃってるから


やっぱり一回くっつける(統合する)必要があるのか?🤔


でも本来くっつけるとかくっつけないとかそういう話じゃないからなぁ。。。


そう思う私がいる


ちょっとこの辺よくわかんないよねぇ


ただ在るものだっていう感じしかないから


究極的?なことを言えば


神様も実を言うといないからなぁ


じゃあ日本の神様とか


それ以外の神様とかって何なの?っていう話にもなってくるよね


私もそれはめっちゃ思ってる


その中で多分こういうことなのかな?と思うことはあるけど


それは別のブログで書いたような気がするのと長くなるから今回はやめとく←そうは言ったものの書いたかどうかははっきり覚えてないからいずれどこかで書くかもしれない?


でも本当に究極な視点で話をしたら


この世界には何もなかった


けど在る


そういう話(こと)になるから


だから高次元の存在とか神様とかそういうのってなに?とね


確かになんかいるんだけどさ


見えない存在はいるんだけれども


でもね


本当はいないじゃん


でもいるじゃん


そういうあなたと私という世界だから


このようになっているんだろうなとは思うんだけど


だからと言って神様が素晴らしくて


人間の方が愚か


そういう発想に至ること


それがわかんないのよ


人間が愚かだとしたらそれは神様も愚かだということになる


だって人間を作り出したのって神様なんでしょ?


じゃあ愚かな人間を作り出した神様はもっと愚かってことになるよね?


元々が愚かなんだから愚かなものが生み出されてもおかしくはないとは思います


そういう話にもなりかねない


でも神々の方はそうではないと言うのであればちょっとそれはね


神様にとって都合よく考えすぎではないでしょうかって突っ込みたくなってしまう


人間って愚かだねって話を書いてるけど


何もかも全てが愚かってわけではなく


そういう一面も持っているっていうこと


別に私人間のことを卑下したり悪く言う意図はないの


ただやっぱりそういう一面はあるよなとは思う


それによく聞くじゃん


上にあるものは下にあるって言うのであれば


じゃあ下にあるものも上にあるでしょと思うわけよ


それって普通のことじゃない?


上にあるものは下にある


けど下にあるものが必ずしも上にはないってそんな一部にとって都合がいいことってあるのかね?←言い方悪すぎ?


中にはそういうものもありそうだけど


でも一概に全部がそうだとは言い難いなとも思ってる


だってこういうのって結局認識によって変わるからさ


ね?


とりあえずざっと表面的な部分で


なんでスピリチュアルがこんなに嫌いなんだろう?って


自分自身が今思っていることを外に出してみたけど


でも深掘りしていくと何でそのように感じるのか


自分の心はどんな風に思っているんだろう?


これ表面的なことじゃなくてさ


もっと深い部分では一体どんな風に捉えてるのか


それによって偏りって出てくるから


なんでそのように受け取るんだろうなっていうそこが気になってて


これって結局のところ


自分がどういう風に物事を捉えてるのかっていうことじゃん?


その捉え方っていうのはフラットではないと思うの


自分自身のありとあらゆる経験や感情がきっとフィルターをかけて


思考を彩ってると思うんだ


何にもない、まっさらな状態で見たらどんな風になるんだろう?


その彩っているその部分をなぜそのように彩るのか


そこを深掘りしてったらどんなことを自分が思っているのか


こういう出来事を経験したことがあるから


このことに対してこんな風に思うとかさ


こういう感情が沸き起こってくるのは


これこれこういう理由があって起きているとか


なんかそういうのが分かりそう?な気もしなくもない?


実際わかるかどうかなんて何とも言えないけどね


一個人的な心情としては


こういう風に疑心暗鬼と言うか疑念でいっぱいなんだ


存在の方の誠実さがわかんなくて


見えないからなおさらわからないよね


言葉では何とでも言えるけど


その実どうなの?と


意外と本音を隠せちゃったりするのかな?と


人の心理を巧みに利用してね


なんかそういう風に思っちゃったりするんだよね


信じるにはまだ値してなくて


半信半疑


一体何でこんなに用心するのか


他人を見てると用心したくなってくる


怖いなと思っちゃう


特によくわからないからこそ


細心の注意を払っちゃうよね


そういうのを見せてくれている人たちには感謝してる


あえてそのような行動をとって教えてくれているんだって思ってるから


こうならないように気をつけてね


反面教師にしてくれって言っているのかな?って思っている


じゃあ存在たちもあえてそうしてるのだろうか、、、?


うーん🤔


どっちにしろ他人から受け取るスピリチュアルっていうのは本当に私を疑心暗鬼にさせるものが多い


安心できないものがいっぱいあって


これはどうしたらいいのやら?って


その人に答えを求めてるわけではないけど


間接的に受け取るものがあまりにも不安要素を含みすぎてて


なんか見えない世界に安心できない自分がいる


でもそれは他人が経験してるものとか


他人から受け取ったものなので


自分一人だったらどんな風に感じるのか


他人のスピリチュアル体験を見て聞いて判断してるだけだから


自分の体験ではない


それはあくまでも相手が体験しているもの


だからそれと自分の中にあるスピリチュアリティ的なものとを同じにして考えるのは違うのかもしれない


スピリチュアルというジャンルでは一緒かもしれないけど


中身はそれぞれに違うはずだから


じゃあ私を通して体験したスピリチュアルとはどういうものになるのか


これは正直私も気になるところ


とはいえ難しいよね


それをどういう状態なのかと判断するのってね




最後に書いとく


もちろん全ての存在や人がそうだとは限らないし


起きる全てがこの通りだと思わない


むしろそんなわけないし


こういう部分(側面)もあるように感じるなってだけ


こんな風に捉える人もいるんだってだけです


これが全てではないです