私は自分の中に矛盾を抱えている


スピリチュアルを否定的な目で見ながらも


見えない存在や見えない世界があることは知ってるし


八百万の神様のことが大好きだ


それは一緒に暮らしてる感があるから


すごく身近な存在だし


人らしさがあって好き


人とは何か、心とは何か、道徳的なことを教えてくれる存在だと思ってて


見えないけどそう言う人としての大切なことを伝えてくれる師のような雰囲気を持ってるなって思っている


厳しい雰囲気もあるけど


優しさもあって素敵だなぁと思う


師匠っぽい感じだけど


立場としては友だちのような


近くて親しい存在だなって


そう思う反面


世の中のスピリチュアルを耳にするとすごく引っ掛かる部分があって


その途端に嫌いになる


一気に冷めて(ドン引きして)


スーーッと身を引いて


ものすごく距離を置きたくなって


関わりたくないと言う気持ちが出て来る


無理だ、、、と


これが1つ


その違和感とは別に


スピリチュアルでは私が興味を持っていること、知りたいと思っていることが語られていないことが多く


何も知ることが出来ない


私が聞きたいのは神様の言葉ではないし


この世界が今後どうなって行くのかでもない


過去世や前世、インナーチャイルドの癒しとかそういう話が聞きたいわけじゃないし


地球がどれだけヤバい星だとか


光と闇どちらが勝つとか


そう言うのも関心はあるけど興味はないし


現実を変えるにはどうしたら良いかそれも関心はあるけど同じく興味はない


どうやら見えない領域は2種類あるようで


スピリチュアルでは分からない別の領域が見えない世界にはある


私が知りたいのはそっち側


広く広まっているスピリチュアルの話の中には残念ながらほとんどないもの


スピリチュアルは人の数だけ答えがあるでしょう?


でも私が知りたいのは人の数だけ存在する真実ではない


ただ一つのもの


変わることなく


ただ在る


それは想像の世界では見つけられない


想像されてしまうから


イメージの中には存在し得ることができない何か


他者の話は全てその人が経験したもの、その人が見たもの、その人が体験したもの、全部その人のもの


その人だから見えるもの、体験するもの、経験するもの


ひとりひとり見えるもの、感じるものは違う


それぞれが独自の想像の世界に生きているから


けれどそれでは人によって見えるもの、体験するもの、感じるもの、経験するものが変わる


それはそれで良いんだけど


でもそれでは私が知りたいと思っていることは分からない


想像も創造もしない状態を私は知りたいと見たいと思っているから


イメージではない世界


ただ在る


そのまんまを知りたいんだよね


だから想像力を使い、創造することをメインとしているスピリチュアルの中には私が知りたいと思っていることが見つけられない


残念だけどこれは致し方ない


だけど思考を使うスピリチュアルも好きなんだよ


思考も感情もこの身体にくっついてて


それが私なんだって思っている状態も好きなの


だって私は私でいたいし


スピリチュアルでよく耳にする肉体を脱いだら源に戻って一つになるって話


これ嫌だもん


ゾワッとしてそうなりたくないって思ってしまう


一つになりたくない!


絶対に嫌だ!!


そう思うくらいに


自分と言うものを持っていたい


個でありたいと思うから


すごく矛盾してるのよね


だって個って私がいるってことじゃん


だけど私が知りたい世界は


私がいるようでいない世界だから


私と言う存在、この概念はここ地球やスピリチュアルで話されるような何か別の存在がいて初めてあるようなもの


認識されるというのは自分以外の何者かがいないと私と言う存在の確認のしようがないからね


その私と言う存在そのもの、この概念が私が知りたいと思う世界にはある意味ないのよ


今は人として生きていて


沢山の自分以外の誰かがいるから


個を認識出来るけども


知りたいなって思ってる領域は全体意識になるから


個とは異なるんだよね


だけどその状態がどんなか


その体感はないから


あくまでも知識のようなもので書いてるだけなのでこれだと意味がないわけではないけど真に理解してるとは言い難い


スピリチュアルについてあらゆる人の話を聞いてて


気付いたらスピリチュアルでは行けない領域があることに気付いてしまった


だからと言ってスピリチュアルがダメという話ではない


どっちが優れているとかどっちが良いかとかそういうことじゃない


こう思いながらも


存在と一緒に何かをするとか


人の身体に備わってる感覚を研ぎ澄ませて能力開花をするとか


感情を思いっきり味わうとか


結構好きなの


出来る、出来ないは別として


だって面白いじゃん


不思議じゃん


愉しそうじゃん


それに私お得意の妄想とか


沢山考えるとかね


これガッツリ思考の中なのよ


だけど思考の中にいること


それがダメだとは思ってない


よりリアルに鮮明さと臨場感と没入感を伴ってこの幻を本物と思い込んで


私(個)として生きる人間と言う生き物をしっかり楽しむ


この世界(3次元)やスピリチュアルならではの体験もやっぱりあるし


これはこれで良いと思うんだ


だから矛盾するけど


2つの世界を体験してみるのも良いなって思ってる


これは先にも書いたとおり


どっちがより良いとかそういう話ではないよ


どんな状態で生きるかの違いなのだと思う


うまく言葉にできないけどね(^_^;)