この世界の最初を見た人はいない?


見れたとしても見れないよなぁ。。。


見れるはずがないのだから


見えたらそれはもう最初ではなく


すでに始まってしまった後なのでは?


そもそも見えるということはどういうことなのか


そこからのスタートだよね




何もかも始まる前の状態は


誰も何も分からない


分からないから分からないのではなくて


本当に形すらないと思うんだ


認識すらできない状態


だから分からない


そしてそれはおそらく根源と呼ばれる原初の(?)存在でさえも分からないと思う


一応その存在から始まったことになってるっぽいよね


もしかしたらその存在を存在させた何者かがいるのかもしれない


それもまた否定はできないけど定かではない


いずれにしろこのぽつんと一軒家みたいな状態の全ては


全てだからなんにも分かんなかったわけ


なぜなら全てだから


全て故に無




でも全てだから既に全てが在って


根源は何もかも知っている


知っているけれども分からない


何もかもが自分自身なので確認のしようがない


だっせ全部が私自身だからね


でも私とすら認識することができない


私が私として存在できるのは私を私たらしめる存在がいて


私だと私を認識させてくれるから私は私として私でいられる





私(筆者)は


元々の(宇宙)状態を知りたいなって思ってるけど


誰も分からないよね


誰にも聞けない


聞いたところで答えられない


答えようのないものだから


答えられるはずがないんだよ


だって何もないんだもの


何にもないのに何が分かるのだろう


ただそこに何かが在る


それを感じ取るくらいで


けれどその感じるということさえも


すでに外側にいることになるのかな?


それができるのは


私という存在がいるから


でも全てが自分なら


何も見えない


自分を確認するのに姿見があるように


何かを映すものがない限り


そしてそれがそうだと認識しない限り


それはそうであることができないし


何かを識ると言うことは何ものかがあって初めて判る


でもそれができてしまった時にはもう


始まってしまった後なのだろうな


デフォルトの状態じゃなさそう(?)


何もかもが始まる前の


本当の最初の状態


ただ在るだけの


でもこの宇宙のようなあなたと私のような世界ではなく


ただただ存在していただけの


無の時


何にもない


想像もできない時の


いや想像や創造と言うものすらまだ存在しない状態の


まっさらなこの世界は


一体どんな状態だったのか


それが知れるとしたら


是非とも見せてもらいたいね


結局見れないのだろうけど


見れるということは認識すること


認識するということは知覚することだから


それができるということはそれらが既に有ることを意味してるからね


それはもう想像の世界なのだろうな


創造された後だから


やっぱり見れないんだよ


残念だなあ


でも全ては在るんだよね


なら実はデフォルトの状態って見れるのかしら?


見えると言う世界もあったっておかしくはないってこと


それを見て何になる?と言う声もありそうだけど


敢えて見てみたい


どんななんだろう?