こういうことなのかな?
見えない生き物が住んでいるゾーンと
私たちのように見える生き物が住んでいるゾーン
そんな感じになってて
で、この見えない生き物が住んでいるところと見える生き物が住んでいるところは連動している
だから一緒に何かをやって行こう
そういうことなのかな?
人が住んでいる現し世の見える生き物たちの世界みたいに
見えない生き物たちが住んでいる世界にも意識の層があって
その意識の(この表現が適切かは分からないけど)段階によっている場所が適宜変わっている
そのような印象を持つ
この捉え方が正解かは分からないけど
仮でこう考えとくのが今のところ一番分かりやすいかもしれないな
この先きっと私はこの世界が何なのかをずっと探究し続けると思う
だって不思議な仕方がないから
確かに見えない存在たちはいるの
そういう生き物はいるの
人と同じように暮らしているの
ただどちらもなんとなく
これも全ての見えない存在がそうだとは限らないけど
なんとなくその存在たちもまた思考の中にいるかのような感じがしていて
これは人間を通して話をしているからそう感じるのか
あるいは本当にそうなのか
昨日あたりからずっと考えてるけど
一体どういうことなんだろう?
人のレベルに合わせて話してんのかな?
レベルというのは人の意識レベル、人が理解しやすい言葉と言う意味
専門家が専門用語を使って一般人に話をしたところでちんぷんかんぷんでしょう?
分かりやすく平易な言葉に直して話す
なのでレベルが低いとかそういう意味じゃない
いや本当に不思議だよね
この想像と創造の世界
この世界の中にいると全てはイメージで世界が作られる
その人が自由に自在に
だから他者の話はその人のフィルターを通して世界を見てるわけで
あくまでもその人の世界
解釈一致で同じものを見てることはまずなく
それぞれの別のものを見ている
目の前にいちごのショートケーキが置いてあったとして
それは一律同じものに見えているけれど
全く別のものを見ている
そういう世界だよね?ここは
だから同じなんてことはなくて
同じではないということは
やっぱりここはイメージの中であって
イメージの中に私の本質はない
そう思うと
ここは何なの?っていう
新しい疑問が自分の中に出てくる
本当になんかさ
つくづく思うんだけど
気になりすぎるよね
私自身が本当にいろんなことが気になって仕方がない人だなって(^_^;)
自分で自分に時々疲れる時がある😅
しかもあまりそういうことに対して疑問を持つ人って少ないから
誰とも話が合わない😅
そういう見方をしてる人がいない
そこに疑問を持つ人がまずいない
なんか見聞を広めたいなと思うけど
話ができる人がいないから
結局一人で考えるしかないよね
自分で自分の中から出てくるものを
あーでもないこうでもないってそうやってくしかないよね