光と闇の話


ものすごく聞く


私自身も


カードリーディングしてたりすると


あなたは光の存在ですって言われる


でも嫌だって否定する


私は光の存在ではない


だけど闇の存在でもない


私は私です


でも確かに光と闇どっちも持ってる


だからこう言ってもらえたら納得する


あなたは光も持っているし闇も持っている人ですねって


そう言ってもらえたらそうだねって思える


あなた方は光であり素晴らしい存在なんだって


そういう言葉はよく聞く


それはわかった


わかったけどじゃあそれ以外は?と


それ以外はどうなるの?と


そういうことを考えちゃう


光ばかりを強調するスピリチュアルは嫌い


かと言って闇ばかりを強調するスピリチュアルも嫌い


どちらも同じくらいの大きさ、同じくらいの量で伝えてもらいたい


どういうことなのかを


私はそういうタイプの人


光ばかり強調されると胡散臭って思い


闇ばかり強調されると怖くてしょうがないのとなんでそんな風になっちゃったんだろう?と


どうしてそうなるのかな?


なんでなんだろうな?


これはずっとそのままなの?と


すごい疑問が湧いちゃって


どうしようもない


元々ひとつの愛の存在なら


この闇の人たちだってそうだよね?


なんでずっとこのままなの?


どうにもできないの?と


思ってしまう


お子様だからか


この闇の存在たちだって私たちと一緒なら


この存在たちも一緒に変わっていけばいいじゃんって思っちゃう


何で置いてっちゃうの?


どうして闇は闇にしとくの?


だって闇だって私たちと同じだし


私の中にだってそういう部分あるのに


どうしてちゃんと見てあげないの?と


何で悪いものだって決めつけちゃうの?


光側だって悪いことするかもしれないよ?


どうして光だからって神聖なものと言えるの?


闇は神聖じゃないって言いたいの?


光の中にだって邪悪なものはあると思うよ


そういうことを考えちゃうし思っちゃう


だってこの世界は二元性の世界だから


その世界設定の中で生きているなら


光にも闇にもどっちにも善悪があると思うな


光は善で闇は悪どっちかなんてことあるわけがないと思うよ


なんてことを思ってしまう


だからどちらかを善悪に分類して


ラベリングをしそういうものだって


ある意味決めつける


そういう世界のやり方は私は好まない


闇も一緒にアセンションしちゃえばいいのにと思ってる


闇だってちょっとずつ、ちょっとずつ変えて行けばいいじゃん


闇を遠ざけないで一緒に連れて行けばいいのにって


何で置き去りにしようとするの?


それで愛ってよくわからない


住む環境が全然違うし


共存して行くために


棲み分けは必要


でも見たくないものだから


嫌なものだからって


よくないものだと決めつけて


離したり遠ざけてしまうのは好きじゃない


だって私たちと変わらないよ


変わらないのでしょう?


元々は一緒なら変わらないのに


どうしてそのまんまにしちゃうの?


関わらないのが一番だけど


無関心は違うと思う


だって必要だからそういう存在がいる


意味があって存在している


それなのによくないものになってる


なんで?


光の存在である自分たちは次元上昇をする


じゃあ闇の存在は?


どんどん次元降下するの?


それとも現状維持でずっとそのまま?


それは闇側が決めることだと思うんだけどさ


どうして連れて行ってはあげられないの?


闇は闇でそこにいればそれでいい?


闇は闇で闇の世界にいること


それが闇の働きだからそのままがいい


そういうことが言いたい?


それは本当に調和につながるの?


それが平和の形なの?


どうにかならないものなの?


闇の意思もあると思うけど


闇だって進化、成長はすると思うし


闇の方へ進化、成長って意味ではなくて


闇だって元々同じ愛の存在なんだから


愛の存在へ成長、進化することだってできるでしょう?


その可能性をどうして潰してしまうようなことしか言えないのか、言わないのか


そういう部分も私には引っかかってしまう


何で目を向けてあげられないのだろう?とか


もしかしたら目を向けてるのかもしれないけど、もしそうならそういう話は全然出てこないのはなんでだろう?とか


優しさってなんだ?とか


やっぱりいろんなことを考えてしまう


個々人で次元上昇はしていくものだけれども


この世界、宇宙全体で見た時に


ちょっとスケールが大きいかもしれないけど


光も闇もどっちも


それこそみんなで一緒に


全体が上がったりって言うことはできないものなの?とか思っちゃったりするんだよね


ものすごく子供っぽく


なんでダメなの?って言ってしまったりする


子供って言ってもすごい幼子みたいな感じになっちゃって


なんでだめなの?って


無理なことなの?と


寂しいな、悲しいなと思っちゃう


誰も手を差し伸べないのかなって


それでいて慈悲とか言われたりすると


その慈悲は分別されてるのかなって


差し伸べても構わない者、差し伸べてはならない者


そんな風になってたら


なんか嫌だなって思った


うまく言葉にできないけど


もしもそうだったらこの世界なんか嫌だなって思う


優しくないというか


やっぱり優しさって何なんだろうって思ったりする


優しいだけじゃダメな時もある


人間が思う愛と


この世界の愛ってまたちょっと違うから


多岐に渡るというか


その範囲が広いというか


人にわかりやすい言葉で表したら愛だけど


愛と呼べるものが広くて深いから


表現するのが難しい


とにかくそういうことを考えてしまう人なんです私は


他人(ひと)の話を聞きながら


こんなことを考えてた


だから余計にわからなくなってしまう


何なんだろう?この世界って


存在って何なんだろうなあとか


光だからとか闇だからとか


なんかよくわかんないなって


そこに自分が世界をつくっているっていう言葉を聞いたりするとさ


じゃあこれ私がつくってるの?と


このつくるっていう言葉


いろんな意味を含んでいそうで


単純に自分自身が創造してる


本当に自分がクリエイトしているっていう意味もあれば


自分自身が感じているもので捉え方って変わるよねっていう意味合いもあるし


なんか色々ありそう


一概に自分が1から10全てつくってるとは言い切れないなと


なぜなら影響し合って生きているから


言葉によって惑わされたくないなぁとは思う


だからきちんと自分で考えること


私はすぐ思考でぐるぐるになっちゃうけど


でもよく考えることはやめたくない


それは大事なことだって思ってるから


スピリチュアルについて全く知らない人が他人の話を聞いて思うこと


私はこんなことを考えてたし今も考えてる