この世界は自分が作っているものである


だけどそれで外側が自分に影響しているように見えている


でもいろんな人がいるんだから影響しあっているのは当たり前で


じゃあ一体どこからが自分のもの(自分がつくり出したもの)でどこからが他人がつくっている世界なの?と考えたりする


どうしてスピリチュアルに登場してくる存在が嫌いなのか


嫌いになる理由は人間をコントロールしてるように見えるから


もちろん全ての存在がそうだというわけではない


きっといろんな理由があってそのような形を採っているのだろうし


私にはコントロールに見えているけれども実はそうではないのかもしれない


ここは何とも言えない


だって目に見えない世界のことだから


これは考えてもわからないことだから一旦置いとくとして話をコントロールに戻すけど


人と存在は共存してるように見えるようでいてそうじゃないような気がしてしまっている


これもまた全部が全部そうというわけではない


ただ人間の方がそれ(存在からのコントロール)を望んでる感じもしていて


自分たちで自分たちのことを好きに使ってくれって感じがあって


どうにでもしてくださいと


これが私にとっては恐怖


怖くてしょうがない


一体どこの誰がそういう存在(高次元の存在だったり神様と呼ばれる存在)の手となり足となり動くよって約束してこの地球に生まれてきたのかなんて誰もわからない


本人がそうですって言って


その他の人が信じる


今のところそうじゃない?


エネルギーが読める人、わかる人は言ってることが理解できるはずと


完全に相手に委ねている


それも一旦置いとくとして神様と生まれる前に約束してきたっていう話に戻すけども


誰がそうで誰がそうじゃないのかなんて誰もわからない


本人ですらわからない場合もある


それでいて見えない世界のこと


この世界ってなんて怖いんだろう?と感じるものは全て他人が見せてきた目に見えない世界


毎回これは何だろう?と思いながら私はその世界を見ている


なんでこんなものを見ることになっている?


なんでこんなものが目の前に繰り広げられている?


間接的にだけれどもなぜこんな風な世界があることを見ているんだと


これは一体何なんだといつも思いながら見ている


見なきゃいけないっていう決まりはないけど


じゃあこれは何なんだと


私にとって怖いと思う理由は


見えない世界に憧れを持っている人が多いこと


その憧れる心を利用した講座やらセミナーやら研修やら学校みたいなものがあって


それが本物なのか紛い物なのかは私にはわからない


ただわからないなりに思うのは自分の人生を何で見えない何かに捧げてるのかがわからない


自ら望んでコントロールをされようとしている


何に対してそれを行っているのか


こういうのに憧れている人って基本的に多分ね


あんまりスピリチュアルなことについてよく知ってない人


知識はすごくあるんだと思うの


そういう意味では知っているんだけど


なんて書いたらいいんだろう?


でもその本質がよく見えてないとも言えていて


とにかく神様と話がしたいとか


なんか見えない存在と交流したいとか


見えない存在を使役したい人もいるし


自分が特別な人間だっていうのを誇示していたいみたいな?


全員が全員そういうわけじゃないけど


何か見えない世界で自分も役に立ちたいとか


神様の手伝いをしたいとか


こういう気持ちは何て言うの?


日頃の感謝からとか


信じる気持ちから生まれてきている優しさのようなものでもあると思うんだけど


それが時々ね


全然違う方向に誘導させられてる感じがあって


見えない存在全てが必ずしも自分たちにとって害をなさないものとは限らない


あんまりこういうことを正直書きたくはないが事実としてそういうことはある


人にとってというか


悪意を持った存在はいる


害をなすというかね


なんて言うんだろうね、これ


その悪意を持った存在っていうのはその存在が自分が住みやすい環境を作りたくてしょうがないの


これは誰しも思うこと


そしてここはそういう存在も居て良いよっていう世界


全ての存在が存在することを許された世界


本質的にはこの世界には良いも悪いも何もない


何もないけれども確かに悪意のあるものもいればそうではないものもいる


そういう世界


私たちだって自分たちが住みやすいように環境を整える


それと同じことを悪意を持った存在もしているだけ


ただ私たちにとってはそれが悪意に見えるわけ


というかどうしても悪意にしかならない


それは違うよねって思うようなことをしてくる


でもそういう働きをする存在がいないとわからないこともあるから


それを教えてくれるためにいる


うん、そうとも言えるなって


で、何が言いたいのかって言うと


スピリチュアルに対して憧れを持っている人は全ての人ではないけれど


こういう悪意を持った存在に付け込まれやすい


自分にとって耳障りのいい言葉を言う


本人が聞いていて心地の良い言葉を用いて


他の人とは違うんだと特別感を出してきたり


あなたがいないと何もできないとか


自分自身というものをすごいよいしょしてくるわけよ


あなたがいてくれるから何々ができるとか


言葉巧みに誘導していく感じ


それがだんだんとね


その存在の言う通りに動くようになって行ってしまう


いつの間にか誰の人生を生きているのかみたいに自分の人生を生きているようで見えない何かに自分の人生を動かされているような


でもそれを本人が望んでやってる


それが怖いなって思って


見えないから確かめる術もなく


自分の感覚だけを頼りに分別していかなきゃいけないじゃない


でもそこがまだできてない人がたくさんいるの


それなのに見えない何かに身を委ねようとするの


それが私にはすごく怖いの


だから存在ありきで動く人間たちがすごく怖くて


その存在はどんな存在なの?と


本当にその存在の話を聞いていても良いものなのか


その存在の行動の促し方は果たして本人(繋がっている人)のためになっているのだろうかとか


そういうことを考えてしまう


まるで人間にある力を奪ってるようにしか思えないんだよ、その存在が


そうすることでしか自分たちの住みやすい環境を作れない存在がいて


どうしても人間が必要になってくる


人間の感情を揺さぶったり


人間の思考を悩みや不安、焦りや怒りにずっと持ってって


そこでぐるぐるぐるぐるあーでもないこうでもないってループさせる


そういうところから抜け出すのってすごく難しいじゃん


私自身も嫌いとか嫌とかたくさん言ったりするし


存在自体に対して不信感の方が強いから


人のことなんて言えないんだけど


そういう悪意を持った存在っていうのは


ネガティブとか負の感情とかそういうものに浸るのがすごく好きなの


逆に安心とか穏やかとか、にこにこ笑ってるとか


そういうものが苦手というか好きじゃない


環境が合ってないってだけなんだけどね


心地悪くなっちゃう


どっちかって言うと暴力的とか残虐とかそういう感じの方が好んでいたりする


でもそこにあるのはそういう環境がその存在にとってはベストなのよ


今はその存在にとってはそこがベストらしいのよ


でも私たちはそうではないのであれば


もうそこに合わせる必要はないと思うんだよね


付き合わなくても良いと思うの


それがまだやりたくて仕方がないのなら一緒になって体験すれば良い


でもそこにはもう興味がないとか


そこはもう体験済みだからこれ以上しなくても良いかなとか


もう十分に見てきた世界だからこれ違う世界を見るわとか


これは自分の意思で決めて良いわけ


居心地が良くないところにずっと居続けるって何故か人間ってやりがちだけど


でもただでさえさ


見える世界で現状維持を選択しがちな我々が


見えない世界でもそれをやるなんて嫌だよね


見えない世界までそうするの?と


私はいつも疑問なの


自分で選択できるはずなのに


見えない存在から言われた世界を信じ込む


こうなって行くであろうとか


そういう予言(預言)めいたもの


そういうものを信じる


信じることも信じないこともその人自身が決めて良いんだけれども


自分で変えて行けるのになぜそれを受け入れてしまうのか


そういう話題ばかり出すのか


敢えて伝えて対策を立てるとかさ


自分たちで選択できるんだからそうじゃない道を選んで行こうとか


そういう割にずっとそういうなんで起きるかどうかも不明なことにいつまでも焦点を当てているのか


私にはわからないの


そんなの一度触れればいいだけ


そうじゃない世界を選択するのなら


その話題ばかり持ち出されても困っちゃうわけよ


だってそこに意識が向かうから


そういう方向づけをしたいの?と聞きたくなってきてしまう


本当にそうではないのなら違う話をすれば良いのになって思ってしまうんだよね


こういう話が普通にスピリチュアル界隈でまことしやかに噂されてる


けどもう噂の域じゃない


そういうところばっか人って見ちゃうから


人間のこの体の中に刻まれた遺伝子の中にある防衛本能みたいなものだと思う


自分たちを守るためにはどうしたらいいのかって


準備や対策のためには前もっていろんな情報を知っておいた方がいいじゃない


だから不安に思うものほど興味をそそる


知っておくことで心の準備もできるし


そういうことで恐らく伝えてるとは思うんだけど


あまりにも繰り返しそれが行われるとかえって逆効果の場合もある


人の意識に影響を与えてその世界を引き寄せるっていう


そのように言われるということはもうその世界は在るってことだから


でもそうじゃない世界も同時に在る


全部もうすでにそこに在る


ないものは想像することすらできないから


頭の中に浮かぶということはもうすでにその世界が在る、存在しているということ


だから私は全く違う世界を想像する


だってその方が安心、安全だから


自分の心が穏やかになる世界の方に意識を向ける


どうしてもその世界に行きたいのであればその世界を想像してれば良いよ、ずっとね


そういう体験がしたいのならそれもその人にとっては必要なことなんじゃないのかなと


もうそうしか言えないから


そこにこういう出来事をしたのは自分が悪いとか、その出来事自体が悪いことなんだっていうことではなくて


きっと意味があって起きていることだと思うから


そこに人は感情と思考で善悪を結びつけて考えがちだけど


それはそうじゃない


ただ被害の大きさとか、人のね、命に関わることでもあるから


そこをどう捉えるのかって本当に難しいところだけどね


すごくデリケートでセンシティブなことだし


軽い気持ちで話せるようなものではないから


目に見えない世界について詳しい人はさ


時々そういうことを軽んじてるわけではないけど軽く言いがち


命には限りがあるけど魂は永遠だから消えることはないとかさ


そういうことだったとしてもその言葉は適切とは言えない


正確なことを言ってほしいわけじゃないの


その場にそぐわない発言なんだよそれはね


その言葉を言われた側の気持ちも考えてもらいたい


それが本当だったとしてもその言葉によって傷つくから


そういう部分で優しさを全く感じられない


そういう人が見えない世界について話をする


これもまた怖いよ


淡々とこの世界の事実だけを伝える


まるで心がないかのように見えて


怖いなって思う


心に寄り添ってもらえない人に心なんて開けない


そういう人が調和だとか平和だとか言っても


どこにそういうものがあるの?って


ものすごく疑問で


その人が話している調和や平和、愛という世界と


自分自身が思っている調和や平和、愛という世界は同じ方向を見てるのか


一致しているのかっていうそこがね


いつも私は疑問


文字を見ても同じだし


音を聞いても同じ


意味を調べても同じ


でもその言葉の中に含まれているものは何だ?と


毎回私は疑問に思う


全てに対してそうだというわけではないけど


そういうことをどうしても考えてしまう


とにかく外側の世界が怖いなとか


不安だなって思う時は大抵こういう理由があって


すごく悩んでしまう


でもこれも自分が多分つくってるんだろうと思うんだけど


じゃあ何をここに見てるんだと


時々思うの


本当にこれは私がつくってるものなのかと


ものすごく疑問なんだよね


何かわかってない部分が本当はあるんじゃないのかと


そのように言われているけれど


でもそれは本当にそうなのか


そのように言われているからそうなんだって思わされているんじゃないのかとか


そういうことをどうしても考えちゃう


だって辻褄が合わないことがあるんだもの


じゃあなんで辻褄が合わないんだろう?って思うのは自然なことだし


どこからどこまでが自分がつくったもので、どこからどこまでが他人の影響を受けてるとかね


そういうことを考えちゃうよね


でもはっきりくっきりわかるわけじゃないし


その境目って誰にもわからない


結構馴染んじゃってるというか


曖昧だよね、溶け込んでしまって


とにかく外側に対して不安に思う時


自分がつくっているよと言われてるけど


でも確かに誰かがつくっているものを見てるんだよね


これは何だろう?


本当にこれは何?


自分の意志で生きれるのに


そうじゃなくなっちゃってるような人が一定数いるような気がする


人間の可能性、人間の持っている人間力、そういうのを見えない存在に奪われている場合じゃないよって言いたくなる


そういう意味では自分自身にちゃんと取り戻してほしいと思うし


何かを見つけに行くんじゃなくて


自分自身の中にあることに気付く


すでに持ってるんだってこと


与えられるものじゃなくて


すぐに自分の中にあるということ


だから本当は外側に探しに行くのではなく


思い出すだけ


だって自分がすでに持ってるんだもん


自分の内側を見つめる


自分の内側を見るよく聞くけど


自分自身と向き合うってことだと思う


そのくらいしか浮かばないよね


自分の内側を見るとか、自分の中を見るとかさ


つまるところ自己対話ってことだと思う


正直スピリチュアルについて詳しくないから私にもわからない


わからないけれども


私が外側に見てきたものはこういう感じ


こういうスピリチュアルは好きじゃない


ただ疲れるだけ


それと路頭に迷わせて余計に混乱させる


だから嫌い


好きになれない


距離をどんどん置きたくなってくる


はっきり言って関わりたくないし


知らなきゃよかったと思ったりもする


だってげっそりするんだもん


それが全てではないだろうけど


なんか思ってたのと違ったって感じ


見えない世界の存在たちって愛に溢れてるって言うから


とっても優しいと思ってたのに


存在同士で争うんだとか


ほんとドン引きだよね


冷たい目で見ちゃう


何やってんの?って


だから簡単に存在のことを信じられない


何考えてんのかわかんないってなっちゃう


ただでさえ見えないのに


想像していたこととまるで違うことやってるから


存在同士で争いとか何やってんだよと思っちゃうよね


もう呆れて口が塞がらなくなっちゃうよ


それでいて人間に


愛とか平和とか言うって


信じられないよね


どの口のだよって思う


もちろん全ての存在がそうとは言ってないよ


だけども説得力に欠ける


言ってることとやってることが合ってない


これはどう説明してくれるんだ?と思っちゃうよね


私がこの一部の存在に対してフォーカスしてるとそこしか見えて来なくなる


人類だって喧嘩っ早い人もいれば穏やかな人もいる


そういう違いみたいなものだと思うんだけどね


どんな目的があるのか


同じ喧嘩だってさ


自分がイライラしていて誰かを傷つけるためにする喧嘩もあれば


誰かを守るための喧嘩だったりもするし


それって中身が全然違うんだけども


こっちからしたらげっそり


何の理由も知らずにただ見てる側だとすると


事実として単純に喧嘩をしている怖いってなっちゃうけど


むしゃくしゃしてたから、喧嘩するのが好きだからと守るため、助けるためでは意味が全然違うからね


そういう部分ではちゃんとその意味とか理由を見なきゃいけないとは思うんだけどさ


これはあくまでも人間がやりそうなことで例えてみたけど


でも見えない存在までこれじゃちょっと困っちゃうよね


人と同じ感覚でいてもらっても困る


そう思う私は存在に存在っぽく振る舞えって言ってるのかな


もしかしたら押し付けになっちゃってるのかもしれないなとも


神様ってこうあるべきでしょ


存在ってこうあるべきでしょっていう


私の理想を押し付けてその型に当てはめてるような気もしなくもない


でもどうなんだろうね


愛に溢れた存在って言うなら


人に例えたけども喧嘩、いわゆる暴力的なことをするのかなと


殴り合いとか蹴り合いとかそういうことじゃない形での争いだと思うんだけど


口喧嘩とも違いそうだよね


口がついてるかどうかはわかんないけどさ


そもそもしゃべるのかね?


なんかテレパシーで話ししてるとかそういうのを聞いたりするから


全ての存在がテレパシーで話してるのかなんてわかんないけど


まさかの筆談かもしれないし?


人間とは違う形での筆談とかあるかもしれないじゃん?!


プラズマとかあるから電気(電子?)とかそう言う粒子のようなもので伝えたり、それこそ光や光線とか数字でコード 作ったりとか、映像とかそういうもので伝えたいことを一気に伝えるとか


色々な方法があると思うんだよね


勝手な想像だから詳しくは知らないけど


とにかく見えない世界と見えない存在に対して人の話を聞いてると安心感を持てない


不安とか怖さとかそっちの方が増してきちゃうんだよね


だから人の話から聞くスピリチュアルって好きじゃない


もちろんそうじゃない話もあるけど


気をつけないと悩みに沼りそうだなと思う


自分自身を通して知る精神世界は


私自身何にも感知しないからか


特に何も思わない


愛を感じるとか


温かさを感じるとか


エネルギーがどうのこうのとか聞くけど


そういうの全くわかんないから


いつも思うのは無


特に何もないけどなぁみたいな


でもどこかからいつも何かもらってるっぽくって


その何かからもらうものに対してはとても興味深いなって思ってる


この世界ってすごく変わってるなっていうか


不思議だなって思う


なるようでないようでないようであるし


本当に不思議だなって思う


だから余計に何を見ているんだろう?って考えちゃうんだよね


私は自分が生まれてきた意味なんてよくわかってないよ


確信も確証もないままなんとなく思ってることはあるけど


でもそれが本当にそうなのかなんて私にも不明


けどそれでも生きてるってことは何かしら意味があってここにいるんだろうなってことだと思うから


よくわかってないけど


いても良いんだなって思ってる


時々私いたらいけないのかなと思う時があるから


多分これも今生きてる私の過去の自分の家庭環境とか人間関係とかそういうことからの影響だと思う


だけどそれは人間をやっている私が体験したものであって


私の根源のエネルギーはそういうものとは全く無縁だってことも知ってる


そういうところから離れたら


多分もっとこの世界に対しての見方が変わると思うし


人間を今やっている私に対しての向き合い方も変わってくると思う


前世とか過去世とかそういう部分すらも


根源の私には全く関係ないことだから


経験としては自分に関係してるけども


その体験自体は本当に経験の一つであって


私ではないから


そしてこの私ではないっていうのは


今この時この自分として生きている私の体験すらもそう


全くもって意味不明なこと書いてるけど


私自身の本質、つまり根源的なものはそういうのとは一切無縁のもの


経験としては持ってるけどね


でもそれ自体は私じゃない


そういう意味では私とは関係ないなっていう意味


(だけどそのどれ(どの体験)も本物で


どれも大事


それには変わらない


すでに気づいてると思うけど


私は私の中に矛盾を抱えている


それなのに他のものが見せてくる矛盾に


矛盾していると言いながら


自分自身に矛盾を感じているから


あーわけがわからないなと


自分で自分にぐるぐるする


その悩みに浸りながら


苦しいよっていう自分と


考えるのが面白いって思っている自分


そしてその両方を眺める自分


そして私と


不思議なことになっちゃってる)


また小難しいことを書いちゃってってね


自分で自分にツッコミ


めちゃくちゃ長くなっちゃったから


この辺で終わろうかな