私(偏屈人間)を通したもの(私を通して思うこと、私と言う人間からの視点)


印象の話


人様の話を悪く言ってるわけではないんだ


人様の話を聞いて持った印象と


自分自身を通して思った印象との差異みたいなもの?


良いとか悪いとかそういう話じゃない




間接的に思うこと(外側、誰かの体験談、誰かからの話)


厄介、面倒、複雑、不可思議、難解、理解不能(不可解、意味不明)、疑問、不安、現実、悩みのタネ、良くも悪くも問題事の宝庫、比較、何とも言えない気持ちになる、悲しくなったりする、あまり好きではない、狭い、限定的、まるで囲いの中のようで窮屈、不穏、恐怖等


天井がありそう、限度や限界が設けられていそうな感覚


そうであるからある意味扱い易いとも?


でもどこまでも無限に想像出来るし創造も出来るからあらゆる真実があって


そう言う意味では限界なんてなく無限大だと思う




直接的に思うこと(内側、自分自身が体験し体感したこと)


謎、真理(神秘とも?)、(自分自身の)根源(であると言う認識)、現実、不思議、興味深い、知りたい、奥深い、広くて拡がりを感じる、未知な部分は怖いけど不安にさせる恐怖はなくどちらかと言うと何も感じない、削ぎ落とされてく感覚等


範囲なんてなくて青天井


どこまでも拡大していそうな


果てが見えない


あるのかさえも分からない


どこからその拡がりがあるのか


その源泉を見つけてもその根源の所在がはっきりとしない感覚


在るのだけど分からないと言うような


だけど決まっていることは一つだから沢山の真実はあるけどないとも言える


それらは上手く言語化出来ないけど


真実とは数ある真実の中の一つってだけで


でもそれはある一つの仕組みによって生み出されたその人だけのもの


だから確かにそれぞれに体験することも思うことも見るものも違う


それでもある意味では何も変わらない、変わってないとも言える(自分で書いてて意味不明になってる)


そのようなものとして今現在の私は認識してる




(外側に見るスピリチュアルも内側から来るスピリチュアルも)どちらも内観するけど


前者は落ち着かないし気苦労が多く心配になる


だけど後者はある意味では自分を信じることが出来なくて安心出来ず自己卑下のようになることも


でも同じ苦しさでも外側の方が煩雑、内側は難儀する


どちらもキツイ


どっちも同じくらいの悩み


だけど自分のことの方が


より分かるからこそ悩んで


そうやって悩む自分をまた責める?自分もいて


そう言う意味では僅差で?とも思ったりもする


でも他者からの方も自分のことじゃないからこそ


真意を読むことが難しくどう言う意図なのか、確かめようのない自己解釈と私の想い(気持ち)との間で悩む


なんでこうなるのだろう


どうしてこうなってしまうのか


なぜこのようになってしまっているのだろうと


けれども自分のことじゃないから分からない


何故そう思うのか


何故そう伝えているのか


発信元である存在に聞くことすらかなわないから


そう言う意味では解決のしようもなく


自分が思ったことがそれで良かったのかも判断することが難しい


間違っていたかもしれないという安心感のないまま


ある意味ずっと未解決で


そのまま進み続けるしかないとも


自分を通した精神世界についての話に戻すけど


なんかもう自分で自分をフルボッコしてる


やめたいのにね


ホント何がしたいんだか、、、


そんなに苦しいのなら


自分と向き合うことをしなくてもいいのでは?と思ったりもする


向き合わずとも生きれるけど


それではまた繰り返すから向き合うの


けど結果的に以前と状況や状態は多少異なるけど


繰り返しているようにも思える


納得してはまた同じで


同じとは違うけど


巻き戻るなんてないけど


戻ってるような錯覚に陥る


それでも向き合っているからか(捉え方で見え方が変わって体験した時の衝撃が(衝撃は))幾分かマシだけどね


だけど


違う部分、私の中のどことは言えない部分では


自分自身の本質、それも根源的な部分に於いて


この地球で、そして私と言う存在全てが体験したこと、それらは本来の私には無いものだと


それらを体験する上で必要なもの


ただそれだけであって


持っていないものなのだと


それも理解してる


今はただ


この環境を臨場感をもって体験する為に


その場に適した形で存在してるだけに過ぎないと


でも紛い物ではない


これは本物


でも本当ではないってどこかで分かってる


この世界を堪能する為に付き合っている


だけどそれは無理矢理合わせてるのではなく


私が望んで


だから付き合っていると言う表現は正確ではないのかもしれないけど


でも似たような感じがする


本当のように感じている世界だと


色んな解釈があるだろうけどね


真実についても独特の解釈を私はきっとしているだろうから


これを目にした人は尚更余計に意味不明かもしれないな、、、